エピローグ②「残るもの」
あれから三週ほど経った。
ヴァレスタの朝はまた元の騒がしさを取り戻していた。
宿の裏手にある細い通りへ出ると、焼けたパンの匂いと荷車の軋む音、それから通りの店番が呼び込む声が一緒に流れてくる。
朝一番の荷馬車がもう何台も街へ入っていて、石畳の上を鉄輪がごとごと鳴らして進んでいた。
宿を出る前にリナは必ず一度だけ足を止めるようになっていた。
窓際の棚、その奥に置いた二つの包みへ目を向ける。
ガイールが残した直剣と遺物となったレッグガード。
今は持ち歩かないが、置いていく前にはそこにあることだけは確かめる。
「行こう」
振り返る顔はあのときよりは随分落ち着いて見えた。
「今日は先に東の薬屋だ。その後、ギルドで昨日の討伐系の依頼の報酬を受け取ろう。携帯できる食料も必要だな」
「その食料って干し肉だよね?」
「干し芋だ。肉だと買った帰りに食べるだろ」
「……食べない」
間を置かず真顔で返してくる。だが、リナには前科があった。
「二人とも朝から元気ですね」
隣を歩くイスカはいつも以上に無表情だった。眠いのだろうか。
背には新しい細剣が差してある。
あの夜の後、元の細剣はどうにもならず、結局ドーレマンがヴァレスタでも名の通った鍛冶師を紹介したらしい。
「それ、もう馴染んできた?」
リナが尋ねると、イスカは細剣の柄へ軽く指を添えた。
「少し不満はあります。ですが、前のよりさらに軽いので気にならないです。私の場合、武器が軽い方がそのまま強さに繋がるので」
「へえ……確かに軽い武器ってイスカに合いそう」
「はい。だから、これはかなり良い剣です」
リナが横から鞘を見て微笑んだ
そのとき、露店の果物屋の店主が声を張った。
「そこの兄ちゃん、姉ちゃん。今日は赤蜜柑が安いよ!」
リナが足を止める。
「……安いっていくら?」
「三つで銅貨二枚だよ!」
「昨日は四つで二枚だった」
「……よく覚えてるな」
聞こえていたらしい店主が苦い顔をすると、リナは赤蜜柑の籠をじっと見た。痛み具合、色、皮の張り。値札だけじゃない。
「これ、一つ下が傷んでる。そっちの籠は朝のうちに日が当たる。五つで銅貨二枚なら買う」
結局、店主はお手上げみたいな顔で、少し傷んだ一つをおまけみたいにつけた。
五つで銅貨二枚。店を離れながら、僕は一つ手渡される。
「今のも《解読》なのか?」
「さっきのくらい使わなくてもわかるよ」
「値段が下がるなら十分すごいです」
「二人は言われたまま買いすぎ⋯⋯」
そう言いながらも、リナの声は前より柔らかかった。
僕たちの日常もこういう会話と一緒に少しずつ戻ってきていた。
今日のギルド前の通りは朝から人が多かった。
討伐帰りの泥だらけの一団、護衛依頼を見上げる商人、受付の列へ割り込もうとして怒鳴られている若い冒険者。
三週前の騒ぎが嘘みたいに、建物そのものはいつも通りだ。
だが、前と同じではないところもある。
入口の脇に立つ見張りが増えている。
裏口側へ回る通路には、以前はなかった柵が立てられていた。
受付の奥では見慣れない役人たちが帳面を広げて何かを書きつけている。
「⋯⋯まだ終わってないんだな」
僕が言うとイスカが小さく頷いた。
受付へ行くと、顔見知りの職員がこちらを見て少しだけ表情を緩めた。
「アトルさんたち。昨日の依頼、もう処理できてますよ。薬草群の採取とグリーンビーグ八体分でしたね」
「はい。依頼の控えはこれです」
僕が差し出すと、職員は確認して印を押す。
「最近、外縁の依頼をよく受けてますね」
「遠すぎず、危なすぎず、ちょうどいいからね」
横からリナが答えた。
本当はそれだけじゃない。
遠出をしすぎず、街の周りの依頼を受けている理由は、今回のことで何か進展があったときに情報をすぐ受け取れる距離にいたいからだ。
依頼票の確認と報酬の受け取りが終わって、僕たちはギルドを出た。
その時、イスカが小さく言った。
「……少しいいですか?」
僕とリナが揃ってイスカの方を見る。
イスカは通りの人の流れを一度だけ見て、それからこちらへ向き直った。いつもの表情が動かないままだ。
だが、少しだけ肩に力が入っているのが分かった。
「⋯⋯私、このパーティに残ってもいいですか?」
言葉は短かった。
「必要な時だけ手を貸す形だとすぐに動けません。ちゃんと最初から一緒に動く方がいいです。今後⋯⋯例の件を追いかけるのも、その先を探るのも」
リナが先に笑う。
嬉しそうな笑いだった。
「そんなの、聞かなくていい」
そう言ってから、一歩だけイスカの近くへ寄る。
「嬉しい。今後も協力してほしいと思ってた」
それに僕も頷いた。
「僕も賛成だ」
イスカはそこでようやく、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「では、それで決まりですね」
「うん。決まり」
少しだけ間が空いて、それからイスカがまっすぐこっちを見た。
「……では、改めて――」
今度はちゃんと声に出す。
「これからよろしくお願いします」
「うん、もちろん!」
「こちらこそよろしく」
短い返事が二つ重なる。
そこで、リナがふと思い出したように言う。
「せっかくだし今日はちょっと良いもの食べて帰ろう」
「⋯⋯急ですね」
「だって、正式に三人になった日だよ。イスカは何が食べたい?」
イスカは少しだけ考える。
「……かわいいケーキがいいです」
僕とリナはお互いに目を見合う。
「祝いの日なので。そういう方が、たぶん合ってます!」
言いながらも、イスカは視線を逸らした。
それに気付いたリナがにやっとした。
「やっぱりイスカって⋯⋯年下だよね」
イスカの眉がほんの少しだけ寄る。
「……どういう意味ですか」
「別に。なんかそういうところ――」
むっとした顔だった。
だが、本気で怒っているわけじゃないのはすぐ分かる。
「――いいと思うけど」とリナが続けると、イスカは少しだけ間を置いてから息を吐いた。
「そういう言い方をされるのは、あまり納得いきません」
「でも、かわいいケーキ食べたいのはほんとなんだ」
「それは⋯⋯ほんとです」
即答だった。
その返しに僕は笑いそうになった。
「じゃあ決まりだな。南通りのカフェ、まだ開いてると思う」
「お昼はケーキで、夜は肉だね」
「結局、肉は譲らないんだな」
三人で話しながら広場の方へ足を向ける。
ヴァレスタは今日も賑やかだった。
笑い声も、商品を値切る声も、荷車の鉄輪が石畳を鳴らす音も――途切れず街を流れていく。
ガイールが残してくれた武器と防具。
パーティに残ると言ってくれたイスカ。
なくしたものは戻らない。
だが、僕たちの手にはまだ残っているものがある。
それだけでもう少し前へ進める気がした。
ヴァレスタの騒がしさの中を、三人分の足音が続いていた。




