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第29話

 

 正面から重い足音が近づいてくる。


 リナとイスカは同時にそちらを向き、僕は黒鉄の小手に力を込めた。


「⋯⋯一人? ですが、嫌な感じがします」


 暗がりから男が姿を現した瞬間、全身が寒気に襲われた。

 馬よりも二回りほど大きな獣。脚が六本あり、乗っている姿は地面から見上げるほど大きい。


 その背から男が飛び降りた。かなり大柄な体格で、肩幅も広い。

 片手に提げているのは長い柄の大きな斧。

 それは見ているだけで重さが感じられるほどの異質な武器だった。

 刃元から先には、焼けた鉄みたいな黒ずみが筋になって走っている。


 歩く度、石を踏む音ははっきり響いてくるのに、その足取りには無駄な力みがない。

 ここにいる全員を視界へ入れたうえで、誰も逃がさないと最初から決めつけられる――そういった余裕がある。


 その男の顔をはっきり見た瞬間、リナの指が僕の袖を掴んだまま震えた。


「あ、あ⋯⋯⋯⋯」


 漏れたのは息とも声ともつかない音だった。

 運ばれた荷馬車の中、競り場の汚れた檻、そして血の匂い。その全部が一気に蘇ったのだろう。

 喉の奥で詰まった感情に、心が耐えきれず叫ぶ。


「あ、ああ⋯⋯ぁぁぁあああああ――っ!!」


 恐怖と憤り。あの日止まったままの時間が、一気に動き出したような悲痛の叫びだった。


 ボルナの盾の後ろに隠れていた子どもたちがびくりと肩を跳ねさせる。僕以外のみんなは何があったのか分からず、驚いた顔でリナを見る。イスカだけが、何となく察しているようだった。


 その男はリナに対して眉一つ動かさず、斧の刃先を地面へ押しつける。地面の石の表面がじわりと黒く濡れたように変わり、その端からどろりと溶けていった。


 熱い。溶けた。斧。


 東門の保管庫で子どもが発した言葉も、拘束具に残っていた溶けた金属の跡も――全部が繋がった。

 競り場でリナの父を殺した男へ。


「⋯⋯その斧⋯⋯お父さんの⋯⋯仇⋯⋯」


 絞るような声でリナが漏らす。あの時の男が、今、目の前に立っている。


 男はそこでようやく口を開いた。


「仇が何だ? ここはガキだらけじゃねえか」


 怒鳴りもせず、ただ数を確かめるみたいな低い声だった。

 パルによって折れた石柱へ縛られていた痩せた男が、青ざめた顔で身をよじる。


「ば、バビルさん、ま、待ってくれ! こいつらが急に――」


 最後まで言わせなかった。


 斧が一度だけ揺れたように見えた瞬間、空気そのものが歪み、次には柱の半分がどろりと溶け落ちていた。

 男を拘束していたパルの糸ごと、焼けるみたいに体が弾け飛ぶ。

 縛られていた男の体は、その後ろの柱と同じように半ばから溶けて崩れた。


 悲鳴は短かった。

 男の紋章が煌めく粉――紋滓(もんし)となって、斧の男の胸へ吸い込まれていく。


「な、何だ、こいつは⋯⋯いきなり仲間を⋯⋯いや、仲間じゃないのか⋯⋯?」


 パルの顔から血の気が引いていた。ボルナはすぐ大盾を前へ出し、子どもたちを隠す。


「それ以上、こっちに来るな!」


 バビルの視線が大盾へ落ちる。

 次の瞬間、斧がわずかに傾いたと思った時には、ボルナが構えた大盾の真上から振り下ろされていた。

 真正面で受けるつもりはなかったはずなのに、ボルナは子どもたちを庇うために一歩も退かなかった。


 斧が大盾の縁へ触れたところから黒い染みが広がり、鉄が焼ける音とも違う異音を立てながら、盾の端がどろりと溶けていく。


「なっ⋯⋯何だ、私の大盾が!?」


 ボルナは目を見開いたまま引き戻し、そのまま体当たりへ持っていく。後ろに引けば子どもたちを巻き込む。前へ流すしかなかった。


 大木の上からニケが鋭い矢を放った。狙いは頭。倒すつもりの一撃だ。

 しかし、バビルは避けない。


「《溶圏(ようけん)》」


 斧を持つ腕とは逆の手が前へ出た瞬間、その周囲の空気が揺らぎ、矢は届く前にじゅっと音を立てて途中から溶け落ちた。

 パルもニケに合わせて拘束用の糸を飛ばしたが、白い糸は足首へ届く前に煙みたいに揺らいで蒸発した。


「⋯⋯何だよ、それ」


 パルの狼狽具合に、バビルは愉快そうに口の端を上げる。


「近づくなら、溶ける覚悟で来いよ」


 その名が耳に刺さった。周囲を溶かす防御膜。

 リナが今にも飛び出しそうになるのを、僕は腕で止める。


「今は子どもが先だ!」


「でも――!」


「あいつは僕たちを逃がすつもりもない。だから今救った人たちだけでも、安全なところへ退避させるぞ」


 怒りで震えたリナが、肩越しに睨んでくる。憎まれてもいい。

 だが、助けた子どもたちまで巻き込ませるわけにはいかない。リナは歯を食いしばって息を整え、何とか子どもたちの方へ振り向いた。


「ごめん⋯⋯分かった」


 そのときだった。バビルの目が僕ではなく、イスカへ止まる。

 細剣を抜かずに重心だけを前へ置いたその構えを見て、目の色が少しだけ変わった。


「⋯⋯お前。雑魚じゃねえなァ? ひひひ」


 イスカは答えない。細剣を抜き、切っ先を斜めへ向ける。視線だけは逸らさず、真っすぐバビルを見ていた。


「こっちに付け。幹部にしてやるぞオ?」


「⋯⋯お断りします」


 返事は短い。そのままイスカが先に踏み込んだ。


 今までの《閃駆》とは違う。距離を詰めるだけじゃない。

 細剣の白く光る軌道が前、横、足元、喉元と一度に重なって発生し、どこが本命か分からない連撃を放った。


「《閃舞せんぶ》――!」


 細剣の連続した白刃が《溶圏》の揺らぎへ入ると、切っ先が溶ける――いや、イスカは溶け切る前に抜き去った。

 バビルの頬へ、浅い線が刻まれる。

 だが、指でその血をぬぐい、見てから逆に笑った。


「やっぱりいいな、お前。調教したら良い声で鳴くんだろうなァ、ひひひ」


 その下品な笑みに鳥肌が立つ。

 意識がイスカへ寄っている間に、パルとボルナが子どもたちを荷馬車まで連れていく。

 パルが一人を背負い、ボルナが溶けかけた大盾を片手へ持ち替えながらもう一人を抱える。残る一人はリナが引き寄せ、僕がその肩を支えた。


「荷馬車の準備は!」


「もうこっち向けてある。乗せたらいつでも出せる!」


 ボルナがしっかり逃がす算段まで入れて準備をしてくれていた。


「わかった、急いで子どもを乗せてくれ!」


「お前たちは――」


「僕たちは時間を稼ぐ」


 その間にもバビルの斧が振られ続けていた。

 イスカは正面から受けず、斜めへ流しては距離を外してはいるが、細剣の刃先が赤く焼け始めていた。

 イスカの剣戟のあまりの速さに、溶けそうになっては何とか保つという状況を繰り返しているのだ。


 だが、長くは保たない。

 僕は黒鉄の小手に『黒』を纏うと、二本の指先へ収束していき、そこから同時に撃ち抜いた。

 

「《連牙(れんが)》!」


「――ん?」


 バビルの周囲の溶膜ごと貫いた。


 想定通りだ。

 この『黒』なら敵に攻撃が通せる。

 だが、バビル自身は斧の柄を地面へ突き立て、それを軸にして体ごと逸らしため、避けられてしまった。

 さらにその返しの動きのまま、イスカへ横薙ぎを放つ。


 《溶圏》が機能しなかったことへの対処速度が凄まじく速い。

 相手の未知の攻撃に対しても、反撃まで計算に入れて動いている。


 バビルの次の一歩が、荷馬車の方へ寄ろうとした。


「パル、僕たちはもういい。早く街へ行け!」


 すでに子どもたちを乗せ終わっていたため、僕は荷馬車へ向かって叫んだ。

 ニケは木の上からもう一度弓を引いた。

 今度はバビル自身じゃない。

 斧の落ちる先、その少し手前だ。


 矢は《溶圏》に触れた瞬間に先から消えたものの、狙いを読ませるには足りたらしい。

 バビルの目が上へと流れた。


 その一瞬で、イスカと僕が踏み込んだ。


 イスカの素早い閃撃に合わせるように、僕は《黒穿》を細かく撃つ。

 さらに、避けられた瞬間を狙って、その横から朧差を振るう。

 

 朧差の攻撃自体は避けられた。

 ただ、この朧差の力――騙しの一撃がバビルの腹部をかすめた。

 腹部に血の線が走る。


「その技、何だア? お前もいい声で鳴きそうだ、ひひひ」


 バビルがその場で立ち止まった時には、荷馬車はすでに出発していた。これで子どもたちのことだけは、ひとまず切り離して考えられる。


 すでに子どもたちを乗せた荷馬車は闇の向こうへ消えた。

 ここに残ったのは、僕とリナとイスカだけだ。



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