第27話
ギルドの明かりが背後へ沈む。
街外れへ向かうほど店の明かりも途切れ、夜風に混じる匂いも変わっていった。
屋台の匂いが薄れ、乾いた土と古い灰の匂いが鼻に残る。
「こっちです」
先を行くイスカの走りには無駄が一切ない。
角を曲がる前に一度だけ壁際へ寄り、後ろを確かめてから次の道へ移る。
見通しの悪い夜道を最初から知っているみたいに進んでいた。
リナもそれに黙ってついていく。
心の乱れはまだ収まっていないはずだ。だが、怒りを外へ出さず、今は前だけを見ている。
北門をくぐり、休みながらしばらく進んでいると、道はどんどん細くなり、途中から上り坂へ変わった。
土の道は所々が雑に盛り上がり、片側には低い岩肌、もう片側には折れた木の枝や塀の崩れた跡が残っている。
昔はここを越えて荷を通していたのだろう。
今は草が伸び、踏まれなくなった小石ばかりが目についた。
「これが『枯れ道』か……」
「以前一度だけ、依頼でこの辺りまで来たことがあります。ここから先、山側へ折れる細い道がいくつかあるので、その中のどれかが関所へ繋がる『枯れ道』だと思います」
さらにしばらく進んでいくと、急にイスカが足を止めた。
しゃがみ込み、月明かりで少しだけ影ができている地面の溝へ指を置く。
「⋯⋯これ、やはり新しい跡です」
僕とリナもイスカの隣へしゃがむ。
浅い轍が二本、土を薄く削っていた。荒れた道の中で、そこだけが妙に新しい。
リナが一歩前へ出る。
その目が金色を帯びた。
「まだ隠してない」
「隠してない……?」
僕が聞くと、リナは頷いた。
「通った跡を消す気ならここが一番目立つのに、そのまま残ってる。鑑定証とかの書類がなくなったことには、まだ気づいてないってこと」
つまり、今ならまだ追いつける。
リナはそのまま《解読》で地面を追っていく。
「ここ、右は違う」
短く言って、脇へ逸れる道筋を指差した。
「左は使われていないように見せかけてる」
左の道はぱっと見ならただの獣道にしか見えなかった。だが、近づくと入口の大きな石に擦れた跡がついている。荷馬車の鉄の車輪が当たった跡だ。
「助かります。一人だとこれ以上進めなかったでしょう」
僕たちは左へ折れた。
その先は崩れた廃墟の裏を通る細い通路だった。
割れた煉瓦、傾いた柱、半分埋まった石板が散乱し、そこら中に雑草が生えている。
リナがそこで足を止めた。
金色の目が地面と周囲をゆっくりなぞってから、指を差した。
その先を見ると、木々の枝葉で分かりづらいが道から逸れた場所に荷馬車が置いてあった。
黄土色の幌に、車幅の狭いあの荷馬車だ。
「……ここからは相手も歩き。つまり、荒れてるだけの地面じゃない。廃墟の壁際の石、並びが一か所だけ新しい。あそこ踏むと崩れるかも」
さらにその奥を指す。
「あと、そこの柱から柱へ細い線みたいなのが張ってる。何か仕掛けに繋がってるはず」
凝視すると、月明かりを拾ってようやく透明な線が見えた。普通の糸よりは少し太いくらいだが、崩れた柱の影から影へ渡っていて、注意していても気付かないレベルの罠だ。
「リナ、さすがです。これだけ罠を重ねるということは、そろそろ『支部』が近いということですね」
「ここまでするのは、誰かに入ってこられたら困るものがあるってこと」
リナは呟いてから腰の鎖に触れる。
細く光る鎖の先が、張られた線へ静かに絡んだ。そのまま手首を返し、線を切らずに浮かせる。
「切ると気づかれるから、こうしておく」
崩れかけた足元にも視線を落とす。
「通るのは右の石板みたいな石の並びだけ。そこ以外は通らないで」
「分かりました」
「了解」
イスカと僕は短く返してから、リナの示した動線だけを進んでいく。
東門で感情に飲まれかけていたことが嘘みたいに、今は前へ進むためだけに集中している。
通路を抜けたところで、イスカがすっと手を上げる。その合図で僕らは止まった。
「⋯⋯この先に複数人います」
僕たちは慎重に崩れた石壁の影を伝っていく。
すると、先に少し開けた場所が見えてきた。
そこは古い関所の跡地だった。
門そのものは崩れ、石の土台と片側の門柱だけが残っている。
その脇にある倉庫のような二階建ての建物は、まだ形を保っていた。
一見、壁はひび割れていて今にも壊れそうだが、屋根は落ちていない。入口には新しい板が打たれ、補強されているのが分かる。
「ここが……支部?」
リナは唇だけで小さく呟いた。
見える範囲だけでも、建物の外に二人。
それに加えて、倉庫の中にもいくつか人の気配があった。
耳を澄ませていると、倉庫の搬入口近くに立つ見張りたちの乾いた声が聞こえてきた。
「二便はまだなのか? 今日は遅すぎないか……」
「東門側が遅れてるらしい」
倉庫の扉が半分だけ開いた。中から痩せた不健康そうな顔の男が出てくる。
「商品が着いたら俺のところへ回せ。分かったな?」
ここはただの通り道じゃない。
仕分けの後、実際に商品を置く場所だ。
リナの指先が震える。
だが、もう飛び出しはしなかった。外の男の位置を把握するように見ている。
「……支部ではなく、ここも通り道?」
耳を澄ます。
子どもの小さな咳。続いて木の軋む音が聞こえた。
僕は壁際へ身を寄せる。
ドーレマンに言われたのは、動きがあるかを見ることだ。だが、今ここまで来たのなら、踏み込めるかどうかも含めて押さえたい。
「裏、回れそうか?」
僕はイスカに尋ねる。裏口や逃げられそうな扉などを先に把握しておきたい。中が見えるような場所もあるかもしれない。
「見た感じですと、左側からならあの小さい隙間を通れば回れそうです。……誰が行きますか?」
僕たちはその隙間とやらを見てみる。
とても小さい穴のようなところだ。
「これ、イスカしか無理」
「私では体が引っかかります。だから行くのはリナです」
「待って、その言い方何かひどい⋯⋯。けど、私だとそもそも見張りに見つかっちゃうよ」
「確かに。外の連中に見つからない実力者となると、やはりイスカだ」
「実力者っていうのは年上のお姉さん的なやつですね。なら行きます」
次の瞬間、イスカの輪郭がぶれた。
「――《閃駆》」
視界の中で一瞬だけ像が薄れ、次にはもう倉庫の影、そして裏口へ移っていた。
本人も薄々気付いていたのだろう。自分しか通れないと。
外の見張りの男たちは、閃光のように駆け抜けるイスカに全く気付けない。
少ししてイスカが戻ってきた。
「中には四人います。立ってるのは二人、座って子どもを見ているのも二人でした。武器や防具などは冒険者っぽい恰好です」
声が少し低くなる。
「子どもはその奥、壁際で縛られていました。⋯⋯見えたのは三人だけです」
今ここに、助けを待っている人がいる。
だが、今すぐ飛び込める状況ではなかった。
外には二人の見張りがいて、さらに中には四人もの装備が整った大人。
そのとき、リナが壁に手をついたまま言った。
「一度……戻ろう」
僕はそっちを見る。
リナは倉庫を睨んだまま続ける。
「今ここで飛び込んだら戦いになる。相手が私たちの倍もいるなら、助けられないかもしれない。敵にも逃げられる」
リナの声は無理やり怒りや不安を飲み込んでいるのが分かる声色だった。
「だから戻って、早く救援を呼ぶしかないと思う」
その言葉に、イスカと僕も頷いて同意する。
「はい、私も同感です。そうと決まれば急ぎで戻って合流しましょう」
ここは競り場の『支部』そのものじゃない。
だが、支部へ繋がる場所であることは確実だ。
「この場所は確実に押さえた。次は逃がさない」
中でまた小さな咳がした。
その音にリナは歯を食いしばる。それでも、もう飛び出さなかった。
「敵の位置と戦力が分かったんだ、今は戻ろう」
僕らは来た道をそのまま戻らず、別の方角から斜面沿いへ抜けた。追われた時に足跡が読まれにくい地面を選んで、迂回しながらヴァレスタの方向へと進む。
『枯れ道』をちょうど離れる頃には、月はさらに高く昇っていた。
子どもを助ける戦力としては、あと三、四人くらいは必要だ。見張りや注意を引ける人間がいれば、攻めても子どもたちを逃がせる確率がぐっと上がるだろう。
――そう思った時だった。




