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第25話

 

 中に入ると、そこは長い間使われていない物置のような場所だった。


 砂埃の匂いが強い。壁際には割れた木箱、床には古い麻袋が積まれている。


 イスカが携帯型の魔灯を鞄から出し、明かりをぎりぎりまで絞った。青白い光が床板の一部だけを照らし、僕らの影を低く落とした。


 リナはまだ荒い息のまま座り込んでいた。

 さっき見たものを、頭の中で何度もなぞっているのだろう。


 子どもの手首に残っていた溶けて形を失った拘束具。

 肩に担がれていた子どもが零した言葉。


 あの日の競り場での記憶を、引きずり出されているのかもしれない。どうにか踏みとどまっている、そんな表情だった。


 イスカは奪ってきた書類を床へ広げると、証拠になるかどうかを確認していく。


「これが紋章の鑑定証か」


「これ、競り場で見たのと同じ……」


 鑑定証は厚めの紙質に整った文体、特殊な印、一番下には鑑定士の名を書く欄まである。

 リナはあの競り場で鑑定士が書いていた書類を少し見ていたのだろう。


―――


『年齢:十五』

『性別:女』

『紋章:兎紋』

『発現:薄いが能力使用可(小)』

『宛先:支部』

『鑑定士:リブル』


―――


『年齢:十四』

『性別:男』

『紋章:鎌紋』

『発現:部分的に濃い。能力自覚ややあり』

『宛先:支部』

『鑑定士:リブル』


―――


 イスカが別の書類を開くと、そちらは鑑定証ではなく、今夜の流れを書いた連絡用の紙らしかった。走り書きだが、内容ははっきり読める。


『本日の一台目は鑑定済み。支部へ』

『枯れ道』

『未鑑定は倉で待機』


「……支部、枯れ道?」


 イスカがそこで一度言葉を切った。すぐに断定はせず、何かを頭の中で繋げるように目を細める。


「その呼び方を、前に一度だけ聞いたことがあります」


「知ってるのか?」


「街外れに、昔の関所へ続く古い山道があります。今はほとんど使われていなくて、人目を避けるには向いています。枯れ道という呼び方をされていても、おかしくありません」


「じゃあ、ここにある『支部』は送り先で、『枯れ道』はその支部へ続く道? つまり、そこを辿れば……」


 イスカは小さく頷いた。


「はい。断定はまだできませんが、行ってみる価値はあるかと」


 これでもう言い逃れはできない。

 子どもを攫い、紋章を鑑定し、値をつけ、送り先まで決めている。

 その先は競り場の支部らしい場所。


 リナの肩が細かく上下した。呼吸がどんどん荒くなっていく。


「また同じ……。こうやって攫われて売られていく」


 僕が何か言うより先に、イスカがリナの横に静かに座る。魔灯の青白い光が二人の横顔を薄く照らした。


「……胸、苦しいですよね」


 落ち着いた声だった。

 なだめるというより、今のリナの気持ちが分かるというような言い方だった。


 リナは首を振る。イスカに分かるわけないという顔だ。


 それに対して、イスカはすぐには反応しなかった。

 ゆっくり、リナの乱れた呼吸が落ちつくのを待ってから静かに口を開いた。


「リナ。……私もなんです」


 短い間が空いた。

 その一瞬だけ、イスカの目が遠くなる。


「実は私も、似たようなところへ売られました」


 物置の中がしんと静まり返っていた。

 外の車輪の音も今はずっと遠いところで聴こえる。


 リナの目が、初めてイスカをまっすぐ捉えた。


「……イスカも?」


「はい。両親が死んで、別の家に引き取られました。十四歳のときです」


 イスカは視線を逸らさなかった。


「鑑定で属性紋エレメントだって分かったときは……すごく大事にされました。属性紋エレメントは強い。将来は家の誇りになるって、周りも騒いでいましたっけ」


 そこで一度だけ息を継ぐ。


「それから食事も服も急に良くなりました。とても優しくされました。ですが、あれは私にじゃなくて、まだ見えていない属性紋エレメントの力に向けてでした」


 リナはじっと黙って耳を傾けている。

 イスカにそんな過去があったとは、たぶん想像もしていなかった。


「私の胸の紋章――『閃紋』は、属性紋の中でも前例が少なくて、書物にも記録がほとんど残ってなかったんです。だから余計にすごい力が眠ってるって話だけが先に膨らみました」


 イスカは少しの間、床に置いた魔灯の薄い光を眺めていた。当時を思い返しているのだろう。


「……でも、『閃紋』は火や雷みたいに、見てすぐ分かる強さじゃなかった。ほんの一瞬だけ速く動けたり、立つ位置がずれたり、しばらくはそういう地味な使い形しかできなかったんです。そのくらいから、お前は使えない、と言われるようになっていきました」


 淡々とした言い方だった。

 だが、その裏には何度も何度も飲み込んで、やっとの思いで消した痛みがあったことが何となくわかってしまった。


「大事にされていたのは、私じゃなくて――私の『紋章』だったんです。本当の家族ではなかった。期待された分、外れだと思われるのも早かった……。それで最後は……売られました」


 リナの肩がまた震える。今度は怒りだけじゃない。息を呑む音が小さく混じった。


「……イスカ、ごめん。私、あなたのこと何も分かってなかったのに……自分一人で怒ってるだけで」


「いいえ、これはリナのせいではないです。ただ、怒るのは敵に会ったときにしましょう。そこまでは溜めてください。あと少しだけの辛抱なんです。ね、お姉さんの言うことは聞くものですよ」


 リナは少し微笑んでから、決意した顔で頷いた。


「ありがとう……わかった」


 その頷き方が、さっきまでと少し違って見えた。

 ただ怒りを押し殺しているのではない。自分と同じ痛みを知っている相手の言葉として、受け入れている頷き方だ。


 イスカはずっと一人で東門の事件を調査していたが、それはただ依頼を解決していたというわけじゃない。

 売られる側の痛みを知っているイスカだからこそ、見ないふりをせず、ここまで追ってきたのだとようやくはっきりと分かった。


 僕は広げた書類へもう一度目を落とす。

 頭の中で、さっき見た光景が並び直されていく。


 子どもを運ぶ荷馬車。

 保管庫での会話。

 鑑定証の内容。

 溶けた金属の拘束具。


「……ヴァレスタと競り場が繋がったな」


 僕の言葉にイスカが書類を見たまま返す。


「この書類がなくなったことに向こうが気づけば、今夜の便は延期されるかもしれません」


「なら、副支部長のところに今から行こう。まだいると思う。これを見せれば、少なくとも東門で何が起きてるかは誤魔化せない」


「うん、すぐ行こう」

「わかりました」


 僕らは書類をまとめて立ち上がる。


「今日はここで終わらせない」


 物置出ると、夜気が肌を刺した。

 狭い暗がりの中で張りつめていた気が、冷たい空気に触れた途端に少しだけほどけた。

 

 だが、足は止めない。僕らはそのまま人気の少ない路地を選び、ギルドへの道を急いだ。





読んでいただき、ありがとうございます。

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今後ともよろしくお願いいたします。

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