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第24話

  

 僕らは日が落ちきる前に、東門へ向かった。


 夕方のヴァレスタは、昼の熱をまだ石畳の下に残している。大通りの屋台は赤い明かりを返し、門へ急ぐ荷車の影が長く伸びていた。

 空が暗く沈むにつれて、人の数は少しずつ減っていく。


 門の手前の壁に寄りかかるようにイスカが立っていた。門そのものではなく、そこに集まる人の流れを見ている。


「少し早いですね」


「何か準備がいるかなと思って。そっちはどう?」


「今のところ、大きな動きはまだないです。ですが、今日こそ何か掴めるかもしれません」


「今日は三人いるから。行けるところまで行こう」


 僕がそう返すと、イスカの視線がリナへ移った。


「……結局その子も行くんですね」


「もちろん、行く」


 僕が答えるより早く、リナが一歩前へ出て言った。

 イスカはその覚悟を決めたリナの顔を見て、短く頷いた。


「昨日はちゃんと話せなかったから。私の名前はリナ」


 イスカがもう一度頷く。

 そのやりとりを見て、自分は昨夜あれだけ一緒にイスカと動いていたというのに名乗ってすらないことに気付いた。


「すまない……僕もまだだった。アーテルだ」


「二人ともよろしくお願いします」


 無表情でそれだけ言って、イスカはリナの服の胸元へ目を落とした。


「……その外套、前を結ぶ紐が少し緩いです。走ると胸元がばたついて音が出ます」


 指を差されたリナが自分の胸元を見る。言われてみれば、たしかに紐が少し緩んでいた。

 リナが手を伸ばしかけたところで、イスカが一歩近づく。


「じっとしててください。すぐ終わります」


「え、あ……うん」


「お姉さんなので、妹の服装くらい直します」


「妹……?」


 イスカは無表情のままそう言って、リナの外套の紐を結び直した。

 速い。だが雑ではない。締めすぎず、走っても邪魔にならないところで紐を止める。その手つきには妙な慣れがあった。


「これで大丈夫ですよ」


「……あ、ありがとう」


「当然です。お姉ちゃんですから」

 

 イスカはそう返してから、迷いのない手つきでリナの頭を撫でている。

 二人が並ぶと、拳一つくらいリナの方が背が高い。

 撫でられたリナは一瞬だけ固まり、それから焦ったように僕を見る。


「……何この人、すごく年上ぶるんだけど」


「聞こえていますよ。実際に年上ですから」


 間髪入れずに返されて、リナは目を細めて問い掛ける。


「……ちょっと待って。イスカって何歳なの?」


「十八です」


「え……」


 即答され、またもやリナが僕の方を見る。

 僕としても少し言葉に詰まった。年上だとは思っていたが、この見た目で本当にそう返されると、変に納得しきれないのも事実だった。


「見た目で決めつけるのは良くないです。ですが、続きはあとで話しましょう」


 リナは納得していない顔のまま口を閉じ、僕も曖昧に頷く。そこでようやく場の空気が切り替わった。


 イスカはもう保管庫へ続く暗がりを見つめている。


「昨日は最後の三台目が来てから、まとめて奥へ流れました。今夜も同じならこの時間帯に一台来ます」


「今日は保管庫の中の様子まで見るの?」


「例の荷馬車の停め方や見張り次第です」


 まだ本格的な夜の動きの前だ。だからこそ、今のうちに近寄れるところまで行っておきたい。


「わかった。行こう」


 イスカに先導されて、僕らは保管庫が立ち並ぶ区画へ入った。そう遠く離れているわけではない。


 昨日見ていた道より、今日はさらに一本奥だ。

 その途中に荷を一時的に置けるように道幅が広がっている場所があった。壁際には布をかけた箱、床には縄が無造作に置かれている。


 そのとき、リナが小さく息を飲んだ。


「……ここ、嫌な匂いがする」


「匂い?」


「……あのときと同じ」


 競り場のことだろうか。僕が返す前にイスカがすっと指を立てた。


「――やはり、もう来ました」


 僕らはすぐに木箱の陰へと体を寄せた。まだ明るいこともあってか、ここからだと保管庫の搬入口から裏側の通路までしっかり見える。


 黄土色のぶ厚い幌の荷馬車が一台、道の脇からゆっくりと入ってくる。御者の他には、荷台の右側へ一人、後ろへ一人、見張りがついている。


 荷馬車は保管庫の前では止まらず、そのまま裏の壁際まで寄ってきた。後ろの見張りが荷台へ手をかける。


「一台目はこっちだ。すでに鑑定してるやつらだから、他のとは混ぜるなよ」


 幌の入口が少し持ち上がる。その隙間から倒れた子どもが二人見えた。手足を縛られたまま、荷台の奥へ折り重なっている。


 リナの体が咄嗟に動くのを、腕を掴んで止めた。


「アーテル離して、行かないと!」


 こちらを振り向いたリナの顔が怒りに満ちていた。


「アーテルも見たでしょ?」


「ああ。昨日僕も同じことをした。ここで飛び出すのはダメだ。⋯⋯今は落ち着いてくれ」


「でも――」


 イスカが僕とリナの間へ、小さな体をねじ込んでくる。


「二人とも、今はあちらを見てください」


 イスカの視線の先――保管庫の脇に置かれた箱の上に、いくつかの書類の束が置かれていく。


「鑑定証のある三人を所定のところへ移動しろ。まだ紋章を確認していないのが来たときは、鑑定士が来るまで中で待機させろ」


 リナの顔に怒りとは別の色が差した。


「……鑑定証?」


「鑑定士による正式な証書です。それがあれば表の買い手にも回せます」


 ただ運んでいるんじゃない。ここで本当に人を選り分けて売ろうとしている。


「……競り場と似てる」


 リナが小さく呟いた。


「あの書類なら証拠になるでしょう」


 リナはそれを聞いて腕の力を少し抜いた。


「……捕まってる子どもは?」


「助けますが、今は証拠が先です。あの証拠を使って上を巻き込みます。そして、この仕組みごと壊さないといけません」 


 リナの視線が荷台から壁際へ積まれた書類の束へ走った。今にも飛び出しそうな息を押し殺しながら、無理やり見る先を切り替えたのが分かった。


「あれ、上にある書類だけじゃダメ。左側の束の下の方。競り場の印と同じ印が見えた」


 リナは《解読(パース)》を使いながら言う。

 金色に煌めく眼を通して、視たものの現象を読み解く力。

 それゆえ、副次効果として使用時には視力が跳ね上がる。


「ありがとうございます。では、その書類とその周辺だけを狙いますね」


 見張りの一人が荷馬車の幌をめくり、子どもを一人ずつ降ろし始めた。二人かと思っていたが、荷台の中からもう一人運ばれてきた。


 三人ともぐったりしていたが、運ばれているときに少し動いたり呻いたりしている。


 生きている。


 子どもたちの状態を確かめるような声が微かに聞こえてきた。


「この子たちは鑑定済み。次の荷馬車へ移して」


「こいつらは支部行きでいいな」


「奥の二人はまだ終わってない。鑑定士が来るまで待て」


 その直後、別の男の声が重なった。


「そっちの縄、締め直しとけ。拘束が半端に残ってるぞ」


「ああ、そいつは鍵が合わなかったやつだ」


「ここに来る前のところで責任者に外してもらったんだった」


 また、何かについて話し合っている声が聴こえてくる。今なら外には見張りに二人しかいない。


「証拠を取るなら今しかありません」


「リナが見た左の束をバレないように取ります。アーテルは私が戻れるように隙を作ってくれますか?」


「わかった」


 二人いる見張りのうち、一人が保管庫の中へ消えていった。


 今しかない。


 外に残った見張りは荷台の中を見た後、箱の上の書類を整理していた。

 だが、中から呼ばれたようでそちらへ向き直った。


 ――その瞬間、イスカは動いた。


 とてつもなく速い。

 まるで閃光みたいな速さで書類まで突き進む。

 ただ前へ出るだけではなく、建物や木箱の影や死角を縫って一気に到着した。


 イスカはリナが言っていた書類の束へ迷わず手を伸ばすと、狙っていたいくつかの書類を抜き取った。

 そこタイミングで見張りの男が振り返りそうになる。


 僕はその視線を逸らすため、板壁の脇に積んであった鉄屑を掴み、反対方向へ投げた。乾いた音が奥の方へ転がっていく。


「ん?」


 男の顔がそっちへ向いた。だが、完全に気が逸れる前にもう一人が中から戻ってくる気配がした。


 僕はすぐに出てきた見張りの足元へ『黒』を小さく撃った。次の一歩を遅らせるには十分だった。


「っ、何だ……!」


 そのわずかな隙に、一瞬でイスカがこちらへ戻ってきた。

 

 見張りが担ぎ上げた子どもがよく見える。

 その手首には、今は縄で縛られているが、元の金属の拘束具の一部が残っていた。


 切った跡ではない。端が飴みたいに潰れ、どろりと溶けて拘束具の形をなくしているもの。


 それを見たとき、リナの爪が僕の腕へ食い込んだ。


「アーテル……あ……あいつの、溶かす……やつ」


「あれは……。今は我慢するしかない。証拠をちゃんと届けてからだ」


 あれは競り場でリナの父親を殺したやつの力に似ている。

 胸が熱い。だが、ここで飛び出したらせっかくバレないように証拠を集めたのに相手に気づかれてしまう。


「引くぞ!」


 僕が囁いた、その時だった。

 抱えられた子どもが薄く目を開けた。焦点の合わないまま、唇だけがかすかに動く。


「……斧……熱い……溶け……た」


 声になっていない。だが、三人ともその言葉を確かに聞いた。


「――こっちです」


 イスカの合図に合わせて、僕らは一気に後ろへ引いた。

 来た時と同じ細い通路を逆へ抜け、さらに奥の裏路地へ走る。


 曲がり角を二つ折れたところで、背後から車輪がきしむ音が聴こえた気がした。

 別の荷馬車がもう入ってきたのかもしれない。

 だが、振り返る余裕はない。


 傍にあった小さな木戸の陰へ入ると、イスカが迷わずその扉を押して中に入った。


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