第23話
宿の部屋の前まで着いた。
そこで僕は一度だけ右手を握ってから、静かに扉を開けた。
中は暗く、外に出たときのままだ。
だが、リナの寝息が聞こえない?
窓の傍の椅子に、リナが座っていた。
毛布を肩にかけたまま、じっとこちらを見ている。
「……おかえり」
声はとても静かだった。静かすぎて逆に怖い。
「どうだった?」
すべて分かっている顔だ。
気を遣って説明する意味はもうないだろう。いろいろと想定していたが、起こったままの出来事を伝えることにする。
僕は無言のまま扉を閉めると、一度深呼吸をしてから口を開いた。
「例の荷馬車で、子どもが運ばれていた。おそらく僕たちが競り場へ運ばれたのと似たような状況だろう」
その一言で、リナの目の色が変わった。
「ほんとに? ⋯⋯子どもだった?」
「ああ。一瞬だったが、縛られた足が見えた」
それを聞いた後、リナはしばらく何も言わなかった。
毛布の端を握る指先だけが、少しずつ強くなる。
「⋯⋯他には?」
「あとは東門の騒ぎがあっただろ?」
「ガイールが見張ってたやつ?」
「そうだ。イスカが言ってた。門番も倉の運び人も、そっちに気を取られているって」
そこまで聞いて、リナが低い声で呟いた。
「でも、ヴァレスタは競り場とは違うし、いったい何をしているんだろう」
声はとても静かだった。
静かすぎてリナの胸中を思うと胸が詰まった。
僕は転生者で、過去のことはほとんど覚えていない。転生してすぐのときは、理不尽に追われ、捕えられた結果、競り場ではゴミとして売られそうになった。
しかし、身内を殺されたわけではない。
一方で、リナは違う。
ローイン村で生まれ、家族と共に穏やかに生きていた。愛情に満ちた人生を突然壊された、この世界の人間だ。
目の前で父親を殺されたことやあのときの怒りは忘れることはないだろう。
「起こしてくれればよかったのに」
「遺物の練習でかなり疲れていただろ。休むことも大切だ」
「それは分かるよ。分かるけど⋯⋯」
リナはすぐに頷くが、その後で小さく続ける。
「でも、次は置いていかないで。約束してほしい。虎紋派閥との戦いのときに決めたはず」
僕は少しだけ黙った。
「⋯⋯わかった。次は先にちゃんと話す」
僕は椅子を引いて腰を下ろした。
リナも窓際から立つと、僕の向かいの椅子に座った。
「⋯⋯ねえ、それでイスカって何者なの?」
「まだ詳しくはわからない。東門の流れについて、以前から調査してたみたいだ。その中で、一度見ない振りをしてしまった負い目があるようなことを言っていた」
「⋯⋯だから追ってるんだ」
僕は腕を組んで少し考える。
「ここ最近らしいんだよ、活発になってきているのが。イスカも怪しいとは思ってたんだろうな。だが、一人で追える範囲には限界がある」
リナは静かに頷いた。
「⋯⋯うん。私たちみたいに実際に捕まって運ばれたことがある人じゃないと、あの違和感は繋がらないのかも。ヴァレスタって交易都市って言うくらいには、朝から晩まで荷馬車が動いてる街だし」
「誰に話すかは間違えられないな」
僕は少し思案する。イスカにも話した信頼できる人。
「役人や門番、ギルドにも協力者がいると仮定すると、やっぱり副支部長か」
「だね、さっそく明日相談してみよう」
リナは大きく頷いた後、急に話を変えてきた。
「……イスカって年下だよね」
「本人には聞いてないが、何で急に?」
「大事なこと! 私は自分より年下だと思うんだけど」
リナが言い切る。
「いや、おそらく僕よりも上だぞ」
「うそ……私より年下がいい! 明日東門に行くんでしょ? そのとき本人に聞いてみようよ」
最後には願望になっている。
なぜかそこだけは譲らない頑固なリナに、僕は少し吹き出してしまった。
「明日聞いてみればいいが、張り合ってどうするんだ」
「むう、張り合ってない。事実を言ってるだけ。だって、私より年上だったらアーテルはそっちの方が⋯⋯――」
ごにょごにょと言葉を濁している。
「あ、あと背とか私よりも低かったし。それに⋯⋯幼い感じで、何か可愛かったし……けどあの胸は……――」
「結局見た目で判断してるんだろ」
「そこ、大事だからね!」
言い切った後で、リナは少しだけ口元を緩めた。
さっきまで強張っていた顔が、ほんの少しだけ和らいでいた。
「明日の昼は、近場の討伐依頼を一本だけ受けよう。街の外へ出る理由もできるし、何より遺物を使いこなす練習になる。依頼が終わったら、その足でギルドへ行って副支部長に探りを入れる。――夜はイスカと合流だ」
「昼の依頼は簡単なやつ?」
「それが良いだろう。Fランクの魔物の討伐依頼を回そう。ただ無理しすぎないように疲労の調整が必要だぞ」
「うん、分かった」
そこでようやく、リナは肩の力を抜いた。
「じゃあ、もう少し寝よ? 明日も動くなら、寝不足は絶対ダメ。特にアーテル、まだ寝てないんでしょ」
「ああ、わかったよ」
リナはベッドへ入る前、僕の方を一度だけ振り返る。
「アーテル」
「ん?」
「もし、この流れの先が競り場と繋がってたら⋯⋯私は許せない。絶対に捕まっている子どもたちを助ける。そして……」
その声は静かで、迷いはなかった。
僕はその覚悟に同意するように黙って頷いた。
―――――
翌朝、僕らはギルドで簡単な討伐依頼を受けた。
今回は昨日パルたちが受けていたニードルラビットの討伐依頼だ。依頼の中で怪我だけはしないように注意しながら、疲れを調整しつつも『遺物』の練習を重ねた。
ある程度ニードルラビットを討伐した後は、その場で魔核を抽出して紋滓を二人で分けて飲み、討伐証明の『角』を袋に集めていく。
ギルドに戻ると、いつも通りの賑やかさに満ちていた。
掲示板の前には依頼終わりの冒険者が集まり、受付には素材の査定待ちが並んでいる。食堂の方からは騒がしい笑い声や怒鳴り声が聴こえてくる。
「さて、依頼完了だ。ドーレマン、いるかな」
窓口での受け渡しを終えてから辺りを眺める。
「いるといんだけど⋯⋯」
僕がそう答えたところで、受付の奥の通路から一人の男が出てきた。
書類の束を抱えた細身で長身の男――ドーレマン直属の部下であるサムだ。
背筋を真っすぐして歩き、副支部長室の前で一度立ち止まると、僕らの方をちらりと見た。
「サムはいるね。呼んでもらう?」
そのとき、こちらに気付いたサムが歩いてくる。
ルルレーダンの迷宮調査のときと同じく、体は大きいのに足音がほとんど聞こえない。
副支部長の横に立っていたときのサムは、ドーレマンの補助役にも見えたが、こうして近くで見ると周囲へ目を配る速さやその身のこなしの速さ的にも、かなりの舞踏派であることがわかる。
迷宮調査のときに少しだけ戦闘時の動きを見たが――この人はかなり強い。
「お二人とも、ルルレーダンの迷宮以来ですね。あのときは君たち二人のおかげで素晴らしい調査ができました」
サムは書類を抱えたまま、穏やかな顔で立ち止まった。
「副支部長に少し話があるんだ」
僕が言うと、サムの目がほんのわずかに細くなる。
「⋯⋯東門の件ですか?」
先にそう言われて、僕は一瞬だけサムの顔を見てみるが、特に変化はない。
「その件で話がしたい」
「分かりました」
サムはそれ以上聞かずに扉の方へ向かうと、副支部長の部屋の扉をノックする。
「ドーレマンさん。少しよろしいでしょうか。急ぎの相談があるそうで」
中からすぐに低い声が返ってくる。
「入れ」
僕らが部屋へ入ると、ドーレマンは机の上に広げた帳面から顔を上げた。相変わらず簡素な服だが、座っているだけで部屋の空気が少し締まる。
「ああ、君たちか。何かあった顔をしているな」
僕は椅子に座る前に言った。
「どこから話そうか⋯⋯まず東門の近くで妙な荷馬車を見たんだ」
ドーレマンの表情が少しだけ変わる。
横に立ったサムも、書類を抱え直した。
「詳しく話せ」
ー・ー・ー・ー・ー
僕は昨夜見たことを順に話した。
荷台にいた縛られた子どもについて話したところで、メモをとるサムの手が止まった。
「⋯⋯見間違いではなさそうか?」
ドーレマンが憤りを抑えずに問う。
「かなり近かったから、見間違いではないと思う」
「荷札や書類の盗難報告については、こちらでも把握している」
ドーレマンはそう言ってから黙ったまま、机を指で叩いている。考える時の癖らしい。
「……他に何かあるか?」
「似たような荷馬車が何台も動いている。つまり、ヴァレスタの東門だけの話ではないかもしれない」
部屋の空気が一気に重くなった。
サムがそこで初めて口を開いた。
「見かけたのは東門の保管庫の方ですか?」
「⋯⋯そうだ」
「どの倉だったか見分けはつきますか? 荷馬車が通った通路の方向、近くに積んであった荷や物なども分かれば」
「暗くてそこまでは」
僕が答えると、サムは「そうですか」と短く言って書類へ視線を落とした。
ドーレマンが腕を組む。
「子どもが運ばれていた可能性が高い、か。ただの商会同士の嫌がらせではないということだ」
ドーレマンは腕を組んだまま、短く息を吐いた。
重く受け止めている顔だ。このまま軽く流す気はないように見える。
サムは机の端に積まれていた東門まわりの記録書類へ手を伸ばし、そのうちの一枚を手に取りながら口を開いた。
「ドーレマンさん、夜間の通行記録を先に洗った方がいいのでは。他の揉め事の件も含めてずれを確認すれば――」
「それは必ずやる」
ドーレマンはすぐに言った。
「だが、まずはこの話を俺のところで止めろ。裏を取ることが最優先だ」
その言葉に少しだけ肩の力が抜けた。
優先的に取り組んでくれるということは、ある程度信用してくれたのだろう。
「君たちは他の誰にこの件を話した?」
「まだ誰にも話してない」
「それでいい。広げるのは早い」
ドーレマンはそこまで言って、サムへ視線を向けた。
「東門付近で起こった事件や争いごとの記録や報告、この一週間の分を全部持ってこい。夜間通行の許可控えや東門付近の保管庫のすべての情報もだ。俺の机以外に置くな」
「了解です」
返事は早かったが、保管庫の話が出た瞬間だけ、サムの手が止まった。
サムが部屋を出ていくと、ドーレマンは声を少し落とした。
「東門の件は動くにしても証拠が要る。夜の搬入口も昼のいざこざも。仮に一本に繋がるならなおさらだ」
「今夜調べる予定だけどいい?」
「君たちに動くなとは言わん。だが、相手にばれるような突っ込みはするなよ。もしクロなら逃がしたくない。このヴァレスタで子どもの売買などあってはならん。もし本当なら支部長と領主へ連絡し、必ず制裁を与えてやる」
ドーレマンはそう言ってから、僕らを順に見た。
「今夜も見るなら、見たことをそのまま持ってこい。事実だけだ」
その言葉は重かったが、ドーレマンが敵ではないことの裏返しだろう。
「分かった」
僕が答えると、ドーレマンは書類を片付けていた手を止めてこちらを見る。
「君たちはルルレーダンの迷宮でも違和感を拾い、成果を出した。今回も期待してるぞ。気づいたものを⋯⋯見落とすな」
部屋を出た後、僕とリナは少し歩いて人がいない区画で足を止めた。
「部下のサム、何か変じゃなかった?」
リナが小さく言った言葉に僕も同意する。
「東門の件だって、こっちが言う前から詳しすぎる感じだったし」
「保管庫のことも、驚いた感じではなかったな」
「うん」
まだ確信じゃないが、何となく引っかかりが残る。
「それにしてもドーレマンは、ちゃんと聞いてくれたね」
「そうだな。だが、全部の情報を預けるのはまだ危ないかもしれない。これでドーレマンまでグルだったらどうする? 最悪の場合も想定しておいたほうがいいかもな」
「そうだね。⋯⋯⋯⋯今夜は行くよね?」
「ああ、イスカにも今日のことを伝えておこう」
リナは短く頷いた。もう迷っていない顔だった。
僕らはそのまま依頼達成を報告してから、ギルドをあとにした。




