第18話
翌朝、僕が目を覚ましたときには、リナがすでに起きていた。昨日と同じだ。
しかし、昨日と違うところもある。
リナは小窓から差し込む朝の陽光の中で、銀貨と銅貨を机の上へ綺麗に並べ、何か考えるみたいに眺めていた。
「⋯⋯やっぱり増えてない」
「いや⋯⋯増えてたら困るだろ」
「でも、寝てる間に少しなら増えてるかもしれないし」
「昨日ガイールが奢ってくれたときのお釣り分は増えたと思うぞ」
僕が言うと、リナは渋々と袋へ戻している。
朝食を食べ終えてから、僕らは街へ出た。
今日は依頼を受けるつもりはない。
昨日は迷宮で頭と体を使ったため、今日は今後に必要なもの、足りないものなどを揃えたい。
あとは、ヴァレスタの内部の道をもう少し覚えて、どこに何があるかをある程度把握したい。
僕らは小さな露店から大きな店舗までゆっくり回りながら、必要な物を一つずつ確かめていく。
「これ、いるかな」
とある露店でリナが手に取ったのは、革紐と小さな留め具が何個か付いたベルトにつける装備だった。
「たしかに、鎖をまとめる時に使えそうだな」
「鞄に入れてると出しづらい」
「わかった。それなら買おう」
前なら少し値が高いと、後々のことを考えてしまっていた。今は必要性が高い物なら、ある程度勢いで買っても良いだろう。
他にも消耗品や非常食を補給しておいた。
―――――
昼が近づいた頃、歩いて露店を回っているうちに、僕らは東門の方へ流れ着いていた。
東門付近は荷馬車の通りが多いせいで、道幅のわりに人や荷馬車が密な状態だ。車輪が回る音をはじめとして、商人たちの話し声や積み荷を降ろす音など、多種多様な音が溢れている。
ギルドとはまた違う種類の騒がしさがそこにはあった。
「ここが保管庫の辺りか」
「うん、昨日ガイールが言ってた場所」
――そう話していた時だった。
怒鳴り声が一つ、通りの向こうから飛んでくる。
それに続いて、荷馬車を止める音。何人かが一斉にそちらを見る。
「またかよ!」
「だから朝のときは何もなかったって言ってるだろ!」
僕らは顔を見合わせる。
「⋯⋯行く?」「少し見えるところまでなら」
人の流れに押されるみたいに、少しだけ前へ出る。
騒ぎの中心は、東門のすぐ手前にある保管庫だった。
荷馬車が二台、変な角度で止まっている。間に立っている商人の男が、顔を真っ赤にして怒鳴っていた。
荷は散らばっていない。
その荷馬車の傍には、見覚えのある背中があった。
「⋯…ガイール」
「お前ら来てたのか」
声をかけると、ガイールは振り向いて、それからすぐに視線を荷馬車へ戻した。
「どうしたの? 怪我?」
「いや違う。だが、また面倒なことになった」
僕らももう少し傍に寄る。
停車している荷馬車の横側に回ってみると、確かに変だった。
木箱も樽も、荷物の積み方も整っている。
けれど、箱に括ってあった荷札だけが消えていた。別の荷馬車では、まとめてあった綱だけが切られている。荷台の中で荷物が崩れる寸前で停車できたらしく、被害は箱の角が少しずれたくらいだったようだ。
ガイールが顎で示す。
――その先、荷台の下に落ちているのは、切れた綱。
「今朝、荷を積み直すまでは何もなかった。昼の入れ替えで一番人手がいない時を狙ってやられてる」
荷自体を盗むなら、もっと分かりやすく木箱ごと盗まれるか、壊されて中身を盗られるはずだ。
けれど、これは違う。
中を開けないと誰の荷物なのか分からなくしたり、荷物を崩れさせて積み直させたりする――つまり、荷の流れを止めるやり方だ。
目的が『盗み』ではないのかもしれない。
商人がまだ怒鳴っている。
「ここで止められたら今日の分が全部遅れるんだぞ!」
「何かしら異常が起こったときは、確認が終わるまで動かせません!」
「かーー! これだからお役所は頭が固えって言われるんだ!」
声を聞いているだけで、頭が痛くなりそうだった。
その時、リナがある場所でしゃがみ込んだ。
「アーテル」
「ん?」
「⋯⋯これ」
リナがさっき見た切られた綱を指している。僕も横にしゃがむで近くで見る。
「綺麗に切られてるよね?」
「だな。しかも一回で」
切り口の繊維の潰れ方が揃いすぎている。
つまり、素早く手慣れたやり方で切っている。
ガイールもそれを見て、低く言った。
「時間稼ぎなのは分かっているんだが、その目的が不明だ」
「嫌がらせって感じもあるけど⋯⋯」
「表向きは商会同士のいざこざみたいに見えるが、おそらくその線は薄いだろう」
ガイールが答えた、その時だった。
保管庫の奥で、また別の声が上がる。
「おい、こっちも開いてるぞ!」
人が一斉に動く。
木箱が一つ、こちらは荷台の奥で半分だけが蓋の留め具が外されている。
けれど、中身はなくなっていない。開けかけて、途中でやめたみたいな状態だ。
「何だ、今度は本格的に盗みに変わったのか?」
「いや、あれは違う」
ガイールが短く言う。
「俺たちがさっき止まってた道端の荷馬車に気を取られているうちに、こっちに来てたってわけか? ⋯⋯もしかするとまだ近くにいる――?」
その一言で、保管庫の空気が変わった。
「裏手を見ろ!」
「門の脇もだ! まだ遠くへは行ってねえ!」
職員や荷運びたちがばっと散る。商人の怒鳴り声まで一瞬止まり、代わりに靴音と車輪の軋みがあちこちで重なった。
僕たちも反射的に周りを見回す。
木箱の影。荷台の下。門柱の脇。
周囲に動いている人が多すぎて、誰が関係者で誰が違うのかも分からない。
「アーテル、あっちは?」
リナが示したのは、保管庫の奥へ抜ける狭い通路だった。けれど、そこを見ても、今のところ不自然な人影などはない。
「いないな」
すると、門の方で馬が鼻を鳴らした。咄嗟に僕らはそちらを見る。
一台の荷馬車が、騒ぎの中を止まらずに抜けていくところだった。荷台全体が黄土色の厚い幌で覆われ、積み荷の形は見えない。
見張りらしい男が二人、左右に張りついている。
周りの荷馬車は止められているのに、その一台だけは流れを切らず、そのまま奥へ通ろうとしていた。
「⋯⋯あれは止めなくていいのか?」
僕が思わず言うと、ガイールが答えた。
「あれは通しの許可が出ているんだ。後回しにできない荷物ということだろうな」
「こんなときでも?」
「こんなときだからだろう。ああいう許可持ちを門で詰まらせる方がもっとまずい」
後ろからガイールは言い切った後、持ち場へ戻っていった。
たしかに理屈は分かる。
分かるのだが、あの荷馬車が妙に頭に引っかかった。
その荷馬車は怒鳴り声の横を抜け、分厚い幌をほとんど揺らさずに進んでいく。
近くを通ったとき、何か金属が噛み合うような聞いたことのない音が聴こえた気がした。
「アーテル⋯⋯今の、聞こえた?」
「何か動きに合わせて鳴ってる音のこと?」
「うん⋯⋯金属音? 硬いものが削れるみたいな」
僕らがそう話している間にも、その荷馬車はもう少し先へ進んでいっていた。
見張りの一人がこちらを見た。
ほんの一瞬だったが、すぐに目線は進行方向へ戻る。
その視線だけが妙に冷たく印象に残った。
「おーい!」
ガイールの声が飛ぶ。
振り向くと、ガイールがこちらへ早足で戻ってきていた。顔つきがさっきよりずっと険しい。
「そっちは何か見たか?」
「荷馬車が一台、止まらずに抜けていった」
「あれは『許可持ち』の荷馬車だな。よくあるんだ、これだけ荷馬車の出入りが多い街だと、上からの許可が出ているやつがな」
ガイールは舌打ちした。
「今はそんなこと気にしてられん⋯⋯俺がこの依頼を受けたあたりから、こんなことばっかりなんだよ」
奥の箱を見ていた職員が、別の荷札を持って駆け戻ってくる。
「こっちも中身はそのままです。抜かれた形跡もないですね」
「じゃあやっぱり、盗みに来たんじゃねえ。何かを探していただけか?」
ガイールは額を軽く押さえてから、すぐに顔を上げた。
「ちっ、やってることが一つじゃねえ」
商人がまだ怒鳴っている。
別の職員が門番と揉めている。保管庫のあちこちで声が重なり、もう何がどこで起きているのか、一度では追えない。
ガイールは僕らを見た。
「お前らはもう戻れ」
「さっきの荷馬車――」
「今お前らをここに置いといても何もできねえしな。こっちもまだどれを追うべきなのか、依頼者の判断を仰がなくちゃならねえんだ」
その言い方で、無理に食い下がれなくなった。
リナも小さく息を吐いた。
「⋯⋯分かった」
「何かわかったら、またこっちから話すぜ」
ガイールはそれだけ言うと、もう別の荷馬車の方へ向かっていた。
僕らはその背中を見送ってから、保管庫を離れた。
来た時より、人の流れはもっと乱れていた。
怒鳴り声も車輪の音も近い。
しかし、さっきの荷馬車だけはそこから切り離されたみたいに素通りだった。
「何かわからないんだけど気になるね」
少し歩いてから、リナが言う。
「だが、僕らには何もできない。許可があるだけで、あんなに簡単に積み荷ごと通れるものなんだろうか」
「ガイールも何となく気にしてたけど、他のいざござがかなり多いみたいだったから」
宿へ向かう道すがら、東門の方を一度だけ振り返る。あの一帯だけが空気が埃っぽく霞んで見えた。




