第15話
翌朝、ギルドの裏口には四人が集まっていた。
ヴァレスタギルドの副支部長ドーレマンは、昨日と同じ簡素な上着の上に革の胸当てだけを足している。腰に剣はない。
両手首には厚い革の帯が巻かれ、その上からさらに短い留め具を打たれている。それが拳に何かを噛み合わせるための土台だと分かる。
昨日助けた冒険者ダンによると、副支部長は元Bランク冒険者らしい。
その横に立つのは、ドーレマンの直属の部下だ。
体が大きいドーレマンよりもさらに背が高く、肩幅が広いが、立ち方や身のこなしが軽いと感じる。
「こっちはサムだ。俺の補助として来てもらう」
短くそう言ってから、ドーレマンは僕らを見た。
「もう一度確認しておくが、今日は迷宮に潜るわけではない。迷宮のどこで何が起きているのかを押さえるための調査だ。途中で違和感が強いようなら俺が撤退の判断をする。君たちはもし気づいたことがあればそのときにすぐ言ってくれ」
「分かった」「うん!」
ドーレマンは朧差や鎖を入れた鞄、右手の黒鉄の小手など、僕とリナの装備を一瞥する。
「子ども扱いはしないからな。期待している」
ぶっきらぼうだが、嫌な言い方ではなかった。
―――――
ヴァレスタを出て郊外の草原地帯へ入る頃には、日は高く登っていた。
空は透き通り、日差しも柔らかい。
だが、ルルレーダンの迷宮の石壁が遠くに見え始めると、それだけで足が慎重になってくる。
迷宮が近づくにつれて、リナはほとんど喋らなくなった。まだ入口までは遠いが、目だけがいろいろと動いている。
迷宮へ続く道の石の色や配置、草の切れ方、地面の沈み方、石壁の欠け具合など。見ている場所が、昨日より明らかに増えていた。
入口の少し手前に着いても、ドーレマンはすぐには前へ出なかった。
「まずこのまま分かることがないか見ていく。ここの時点で、昨日と違うことはあるか?」
僕らは並んで立つ。
風が抜ける。草が揺れる。
昨日と比べても、ただの崩れかけた背の低い石壁は変わらない。だからこそ何か嫌だった。
「石の並びが整いすぎている⋯⋯?」
リナの言葉に、ドーレマンは部下へ指示を飛ばす。
「サム、一度ここから入口の手前まで普通に歩いてみてくれ。見えてる入口へ真っすぐだ。危険を感じたら――わかってるな?」
「了解」
サムは迷わず歩き出した。見えている入口へ、昨日の僕らなら何も考えず進んでいた動線だ。
二十歩、二十一歩、二十二歩――。
「⋯⋯そこから――」
リナが低く言った。
次の瞬間、サムの身体がわずかに流れた。転ぶほどじゃない。だが、真っすぐ踏み出したはずの足と、身体が進んだ位置が半歩ほど噛み合っていない。
「サム、止まれ!」
ドーレマンの大きな声で、サムはその場に瞬時に踏み止まった。
「⋯⋯今のは滑ったんじゃありません」
「ああ、お前ですらズレるのなら⋯⋯この目の前の現象を信じる他ないな」
ドーレマンは短く返し、今度はリナを見る。
「今のは視えていたのか? 外れるラインが」
「うん。他には一個先の欠けた石の次も、何かおかしい感じがする」
リナはサムの方へと歩み寄っていく。その途中で、サムが歩いた足元とその周辺だけに気を配る。
「おい、大丈夫か?」
「ここは大丈夫。踏んでも何も起きない。さっき私が言ったところはダメ」
リナが眼に解紋を灯して言う。
風が抜けたと同時に、昨日よりもっと近い位置で『鳴石』が鳴った――耳の奥にじわりと残る音だ。
「⋯⋯鳴ったか」
サムが身構える。だが、ドーレマンは動かないままサムの足元を見ていた。
「位置は?」
「かなり奥。でも、音より先に足元がズレてた」
「鳴石が鳴ってから道が動くのではない⋯⋯のか」
「逆だと思う。道がずれたから⋯⋯石が鳴る」
リナの返しに、ドーレマンが短く頷いた。
「なるほど。鳴石が道を動かしているんじゃない。道が――空間が歪んだ時に鳴る『印』として、鳴石があるということか⋯⋯。これはすごい発見かもしれん」
僕は思わず昨日まで入口だと思っていたところを見る。
「真っすぐあの入口を目指すと普通なら動く石を踏んでしまう。では逆に、踏まなければ何か起きるのか?」
リナは足元の石を順に見ながら言う。
「⋯⋯やってみる? 私が視た正しい位置だけを進んでみることはできる」
ドーレマンは少しだけ考えてから頷いた。
「よし。分かれてやる。二人は先に行け。囮みたいで悪いが、俺たちはここで状況を見極める」
ドーレマンがゆっくりと続ける。
「今は皆が一緒に動くことのリスクを減らしたい。だから、おかしいと思ったらすぐ撤退だ」
「わかった」
リナはそれだけ言うと、低い石壁の方へ歩き出した。
真っすぐ入口へ向かうのではない。
少し右へずれ、足を止め、また半歩だけ前へ出る。まるで落とし穴の位置が分かっていて、それを避けているみたいな動き方だ。
僕はリナが通った場所だけを追う。
後ろのドーレマンやサムは一言も喋らず見守っている。
「次、ここ。少し注意して」
リナが振り返らずに小さく言う。
僕がその位置へ足を置いた瞬間、足裏の感触がふっと抜けた。
風景が大きく動いたわけじゃない。
けれど、立っているこちら側だけが、半分だけ別の空間へ滑り込んだみたいに位置を変えた。
「⋯⋯っ」
僕が息を呑んだ。
遅れて、フウウオオオオオ――ン⋯⋯と鳴石が聴こえた。長い息のような音。
まるで生き物の鳴き声のような奇妙な音だ。
風景が揺れたわけじゃない。なのに、立っている場所だけが、するりと別の継ぎ目へ滑ったような感覚だった。
そのときには、すでに後ろの気配が消えていた。
「⋯⋯アーテル」
リナの声だけが、すぐ近くで聞こえる。
さっきまで後方からこちらを見ていたはずのドーレマンとサムの姿が見えない。
代わりに、目の前には二本の石柱と、その奥へ続く細石が二列に並んだ『道』のようなものだけがあった。
「今⋯⋯何が起きたんだ?」
「繋がったんだと思う。正しい位置で進んだから案内されたような感じ?」
リナは息を整えながらも、目だけは石柱の先を見ている。
ぞくりとした。
転移したというより、同じ場所のまま別の重なりへ移された感覚だ。
その時、遠くなのか近くなのか、わからないところからドーレマンの声が飛んできた。
「おい! 聞こえるか!?」
外から声は聞こえる。
けれどその距離や方向が分からない。薄い壁を一枚挟んだ向こうにいるようで、もっと頭上の上のから聞こえるような響き方だ。
「聞こえてるけど姿が見えない!」
僕が返すと、かすかにドーレマンの安堵した声が混ざる。
リナがすぐに言った。
「一回戻る。戻れるうちに説明したい」
「戻れるのか?」
「たぶん。さっき踏んだ位置を逆に辿ればいいんだと思う」
リナは足元を確かめ、来た時より慎重に半歩ずつ下がる。僕もその後ろに続いた。
――足下がずれる感覚。
鳴石がもう一度、今度は短く鳴った。
「⋯⋯っ」
目の前にドーレマンとサムがいた。
ドーレマンは一歩踏み出しかけた姿勢のまま止まっている。サムも腰の武器へ手をかけていた。
「今、消えたぞ⋯⋯かと思って近くにきたら出てきた」
ドーレマンの低い声には、驚きがそのまま残っていた。
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