閑話「見えていた出口」
『ルルレーダンの迷宮』の周辺の依頼は、迷宮内の浅瀬を含めても、危ない場所じゃない。
特に採取依頼となれば、Fランク冒険者でも受けられる『入門クエスト』にもなっているほどだ。
幼馴染の冒険者ダンとレイラの二人組パーティも、以前来た時には半日で戻れたうえ、珍しい『金具』も拾えたこともあって、それなりの成果があげられた。
『自分の名前が迷宮の名前に入っているぜ』――なんて調子に乗っていたのが懐かしい。
だからこそ、今回も迷宮の周辺や浅瀬に落ちている『鉱石のかけら』や『薬草』、運が良ければまた『金具』などを見つけられたら――そんな希望の中、依頼を受けていた。
何かがおかしくなったのは、全く同じ『石柱』を三連続で見てからだ。
崩れた石柱の根元に、斜めのひび。
脇に小さな石片が二つ。これはさっき見た。
気のせいで済ませようとしたが、少し進むとまた同じ柱が立っていた。
「……ダン、同じところ回っていない? 入り口からここまで直進してきただけなのに」
「だな。さすがにおかしい」
出口は見えている。はっきりではないが、見上げれば所々、周辺の草地や空の雲まで見えている。
なのに、近づけない。
レイラが先に立ち止まって泣きそうな顔をしている。
「出口見えてるのに、なんで――……?」
「おい、落ち着け。何か原因があるのかもしれない。どうするか……。歩いてるのに、その分だけ逆に引き離されてるような感じがする……」
風が抜ける。
石壁の中の方から、短く音が鳴った。
不安になるような嫌な音だと思った瞬間、足元の並びがずれた——ように感じた。
周りの石壁も少し横へずれたかのように錯覚する。
反射的に変な体勢で動いてしまい、足を踏み外した。そのせいで足首を大きく捻ってしまい、その場で一旦座り込む。
「っつ……!」
「ダン! 大丈夫?!」
痛みは強いが、立てないほどじゃない。そう判断する前に、低い唸り声が石柱の陰から響いた。
Fランクの魔物――レトルファングだ。
二頭、三頭、四頭まで数えたときに、もう数えるのをやめた。
視界にどんどん増えていくのを見ると、その絶望感に逃げる足すら止まりそうになる。
迷宮の浅い場所の小型魔物ではあるが、二人で三頭程度なら戦っても勝てる。
しかし、それ以上の集団となると、相手の位置はバラけ、目で追えないところから噛みつかれるだろう。
俺は武器にもなる長いナタを背中から抜き、レイラも短剣を構えた。
だが足場が悪い。外へ行くつもりで動いても、出口へ寄れている感覚もない。むしろ横へ流されるような違和感。
「これ、やっぱり道がおかしい」
「ああ、分かってる。けど今はコイツらが先だ!」
一頭を斬り払う。もう一頭が低く潜ってこちらを見た後、跳び掛かってきた。
レイラがそれを避けた拍子に、足をつい石が動き、壁の位置がまたずれて横に倒れ込む。
「レイラ――!」
――その時だった。
壁の向こう、外の方から声が届く。
女の子の声。続いて少年のような別の声もする。
何かを話している声が妙にはっきり聴こえてきた。
――「外された?」
――「右側の大石の並びに寄せられてる。まっすぐ歩いたように見えて、途中で空間ごとずれてるみたい」
俺とレイラは声の方向に顔を上げた。
見えているはずなのに届かない、この気味の悪さを『外』から言い当てた。
短い間があって、また声がする。
――「どの辺りか、分かりそう?」
――「うん。今ならぎりぎり追えると思う。でも、もう少しずれたら……見失う」
俺は息を呑んだ。
迷宮の外、こちらからだと出口は見えているが、距離的にはかなり遠いところにあるように感じる。
しかし、この声の出どころは近い。
そんな違和感が溢れているこの場所で、僕たちを本当に追えるというのか。
さらに今度はより近い位置で聞こえる。
――「アーテル。助けられるかもしれない。だからお願い。見つけたらすぐ戻るから」
――「……わかった」
レイラが短く息を吐いた。
「もしかして、この声の人たち助けに来てくれるの……?」
「そうみたいだ。それまで絶対に諦めるな!」
だがその直後、壁の向こうからまた声が飛ぶ。
――「右の列は踏まないで」
――「了解」
――「こっちだけ、私が先に行く。同じようについてきて」
見えている出口じゃない。石の並びの方を見て進んでいるらしい。
そのまま声がどんどん近づいてくる。
「こっちは雨で欠けた形。こっちは人が踏んで丸くなった感じ。でも、これだけ違う。削れてるっていうより、最初からこの形にしてあるみたい」
――「踏ませるためか」
――「たぶん」
俺はレトルファングを何とか牽制しながら、こんなときなのに苦笑いしそうになった。
自分たちが分からなかったものを、あっちは入る前からすでに読んでいる。
――「こっちから行く」
――「分かった」
その声のすぐあと、柱の間から二人が現れた。
先に見えたのは小太刀を持った少年だった。若い。だが迷いがない。
その後ろから、鎖を手にした少女が入ってくる。
「いた!」
少女がこちらを見つけて叫ぶ。
同時に、正面のレトルファングが跳んだ。
少年が横に跳ぶ。
「ちっ――! 何の魔物だ?」
攻撃を即座に避けた少年の問いに、俺もすぐに返答する。
「あれは、レトルファングだ。一頭、前から来るぞ!」
少年は鞘小太刀を抜きながら迎えた。
刃の縁に一瞬だけ、濃い闇のような靄が乗ったように見えた。
「《瞬纏》」
その姿から想像する声よりも低い声がしたと同時に、小太刀がレトルファングの前脚の付け根を払った。 その勢いで、着地が崩れてそのまま前へ転がっていく。
「ギギャッ……!」
一頭目が迷宮の石壁へとぶつかる。その瞬間には、すでに少年が壁まで距離えを詰めており、レトルファングの首元へ浅く刃を通した。
速い。だが、右から回っていたもう一頭が、そのわずかな遅れを狙った。
レイラが息を呑む。
間に合わないと思った瞬間、鎖の音が鳴った。
「やあぁぁああ!」
少女の鎖が、魔物の前脚へ巻きつく。首じゃない。足だけをガチガチにまとめて止める、迷いのない狙いだった。
「アーテル、大丈夫?!」
「助かった!」
少年は浅く踏み込みを変え、今度は黒い何かを乗せずに払った。
レトルファングの腹が裂け、乾いた悲鳴が壁に跳ねる。
残りはそれを見て、奥へ引いた。
音が止む。
少年がこちらへ向く。
「立てるか?」
俺は足首を押さえたまま答えた。
「ああ、捻ったが何とか歩ける。嚙まれてはない。君たちのおかげだ、ありがとう」
「もう一人は?」
レイラは壁に手をついて、呼吸を整えながら言った。
「……私も転んだだけだから大丈夫です。擦り傷くらい。助けてくれてありがとうございました」
少年は小さく頷く。
少女はもう次の線を読んでいた。
「すまねえ……入口の脇を回っただけなのに、気づいたらここに来ていたんだ」
「外にいたら、あなたたちが突然見えなくなった」
少女は少しだけ眉を寄せて続ける。
「もう出よう。今ならまだ戻る線を辿れる」
「ああ、すぐに出る」
帰り道は短いはずなのに長かった。
見えている出口をそのまま追うと、また外される。だが、その少女は、壁ではなく床石と継ぎ目だけを見て進んでいく。少年は、その半歩後ろを僕たちを誘導するように進んでくれる。
途中でまた、石が低く鳴る。さっきも聞いた奇妙な音色。しかも、長い。
耳にずっと残る音だった。
四人は黙ったまま外へ出た。
草地へ戻った時、レイラはようやく息を吐いた。膝が笑いそうだったが、声は何とか出た。
「本当にありがとう……もう少し遅かったら、もっと奥に連れていかれていた気がします」
俺も足首を包帯で固定しながら続ける。
「周辺の採取だけのつもりだった。けど、気づいたら……以前来たときにはこんなことにはならなかったから、これはギルドに報告したほうが良さそうだ」
二人さ僕らを支えながら、もう少し迷宮から離れ、草地の外れまで移動してくれた。
少女は迷宮を振り返った。
「次来るときには、もっと前から道を見てみる」
その言い方が少しだけ印象に残った。
怖がって離れる人間の言葉じゃない。危ないと分かった上で、次は読み切るつもりでいる声だった。
レイラも同じことを思ったらしい。
こんな小さな子どもが、自分たちを助け、さらに冒険者としての責務を果たそうとしている。
小さく息を吐いてから、迷宮ではなく二人の背中を見る。
助かったで終わる話じゃない。
ルルレーダンの迷宮の異常。そしてこの二人への感謝もまだ足りない。
報告が落ち着いたらしっかりお礼をしようと心に誓ったのだった。




