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第9話

  

 東の林道は昼の光が葉の隙間からまっすぐ落ち、白っぽい砂の地面をまだらに照らしている。街道から一歩逸れるたびに人の匂いは薄れ、その代わりに獣の通った気配が少しずつ濃くなった。


 途中、荷を裂かれた木箱が道脇へ寄せられていた。板そのものは割られていない。蓋の端だけが強く抉られ、隙間から中身を引っ張り出した跡がある。


 僕がしゃがんで見ていると、リナが箱の縁へ指を置いた。


「爪の跡が四本。深さも揃ってる」


「ここで止まって、力を掛けてこじ開けてるな」


 ガイールが周囲へ目を走らせたまま言う。


「箱を開けるってことは、中に食い物が入ってる形を覚えてる。人より荷を狙う癖が先に立ってる個体だ。街道へ寄る理由もそれだろう」


 森へ入ってから、ガイールは無駄に喋らなかった。声は低く、必要なことだけを伝えてくる。


「ここから先は声を落とせ。風下を取るぞ」


 ガイールが先に立つ。歩幅は大きくないのに、進み方はとても静かだった。

 枝を避ける位置、踏む土の固さ、身を低くする動きなどに迷いがない。

 僕らもそれに倣って進む。


 やがて、道脇の斜面でリナが僕の袖を軽く引いた。


「いた」


 視線の先、痩せた木の根元。灰色の毛並みが岩影へ溶け込むように伏せていた。

 犬より二回り大きい。

 けれど、狼みたいに脚で走る体つきじゃない。胴は低く、前脚だけが妙に太い。箱をこじ開けた爪の跡と目の前の体つきがぴたりと重なった。


「あれがグレイマウル……」


 呟いた瞬間、ガイールの手がわずかに上がる。止まれの合図だった。


「まだ動くな。鼻が利く。アーテル、お前は左の木まで。リナはその後ろ。俺は右へ寄る」


「分かった」

「うん」


 じりじりと位置を取る。途中で小石が靴裏の下で鳴りかけて、心臓が一度だけ跳ねた。

 だが、グレイマウルはまだ動かない。こちらは風下だから気づかれていない。


 ガイールが低く言う。


「最初はお前らでヘイトを取ってみろ。何かあればすぐに支援してやる」


 僕は朧差へ手をかけ、息を整えた。

 リンドリウムで少しだけ相手にしたアッシュタイガはCランクだった。

 あの一撃を受け切れたのは、僕一人の力じゃない。ギルド職員のエルシアがいたから何とかなっただけだ。


 目の前のグレイマウルはFランク。

 Cランクよりも三ランク下だ。そう考えれば、落ち着けるはずだった。

 なのに、喉の奥がとても乾いている。まだ右手は痛むし、いざ戦いになると何をすべきか頭で考えても整理できなくなっていた。


 グレイマウルが頭を上げ、きょろきょろと周りを見ている。

 行かないと――と思うと、急に体が、右手が動かない。


 それを見たリナが地面の小石を拾い、グレイマウルの斜め左へ投げた。茂みへ落ちた小さな音に、グレイマウルの頭がわずかにそちらへ向いた。

 それに合わせて、僕は何とか木陰から踏み出した。――瞬間、獣の首がこちらへ跳ねる。黄色い目が細く光り、少し低く伏せていた体がバネみたいな瞬発力で起き上がった。


 ――速い。


 昨日のGランクのススオオネズミと違って、動き出しの一歩がさらに速い。

 僕は斜めに入って横を取り、左手の朧差で首元を払うが、浅い。

 毛と皮を切った感触だけが返り、グレイマウルはそのまま体を捻って空中で回転するように前脚を振るう。


「アーテル、下から!」


 リナの声で、僕は腰を落とす。グレイマウルの爪が頬を掠め、僕の下から飛び越えていく。


 僕が視線で追いかけ、踏み込み直すより先に、グレイマウルが間合いを外す。

 真正面へは引かない。斜めに退いて、次に飛ぶ位置を作っている。見た目こそ野生の獣のようだが、実態はやはり魔物。


「距離を作るなよ!」


 ガイールの声。分かっている。でも追うには地面が悪い。根が浮きその上に載っている土が滑る。

 無理に入れば、今度はこっちが崩れる。


 その一瞬の迷いを、グレイマウルは待ってくれなかった。

 跳躍のために肩が沈む。

 突進的な動きに、体をひねって避ける。グレイマウルは横へ流れず、僕の右前へ踏み込み直して、そこから低く跳び掛かってきた。


 牙より先に前脚が来る。

 ――避け切れない。僕は朧差を逆手気味に立てて受けた。


 思っていたよりずっと重い。

 爪の圧と体重が一度に乗り、腕が痺れる。

 次の瞬間、視界の端で灰色の影がもう一つ走った。


 ガイールだ。

 体を低く落としたと思った次の瞬間には、もうグレイマウルの横へいる。踏み込みの音が遅れて耳に来る。


「《狼走(ルプス)》!」


 短い声と同時に、ガイールの右足が地面を噛む。そこから先は、ほんの一瞬だった。

 低く沈んだ体が、獲物の死角へ滑るみたいに潜る。一直線じゃない。

 こちらの視線から消えるように斜めへ入って、次に見えたときにはグレイマウルの喉元へ剣が伸びていた。


 深く突き刺したわけではなく、喉の柔らかいところだけを、噛み切るみたいに浅く鋭く裂いた。

 グレイマウルの体勢が崩れる。血が細く飛び、獣が後ろへ跳ねようとして足をもつらせた。


 ガイールは追わなかった。

 一歩だけさらに前へ踏み込む。獣の逃げ道の先へ、もうすでにいる。


 グレイマウルが苦し紛れに向きを変えた瞬間、その首筋へ今度は短い二撃目が入った。


「ギャオッ――……」


 獣が地面へ倒れ、脚を二度だけ痙攣させて止まる。


 森が急に静かになった。


 僕は息を整えた後、ようやく自分が止まっていたのだと気づく。

 ガイールは剣を振って血を落とし、鞘へ戻した。


「さっきのが、狼紋の俺の戦い方だ」


「動き……全然見えなかった」


「全部は見えなくていい。見るのはそこじゃねえ」


 ガイールがグレイマウルの死体を足先で軽く示す。


「狼紋は速いから強いんじゃない。獲物が一番嫌がる角度へ、先に入り込むスタイルだ。正面でぶつかって競り勝つタイプの戦い方じゃねえ」


 僕は倒れたグレイマウルと、ガイールの立ち位置を見比べた。

 最初の一撃のあと、相手はまだ動けていた。

 だが、次の逃げ先へもう先回りしていた。


「最初の一撃で決めてない」


「決め切れるならそれが一番良いんだが、決め切れなかったときは、即座に二手目へ動けているかどうかってのは、狼紋以外でも大事なことだな」


 その言葉がとても重く入ってきた。

 僕はさっき、受けて崩れて、そして考え直してしまった。

 ガイールは違う。一手目の時点で二手目まで考え終わって動いていた。


「ただ、アーテルが受けながら引いたから、グレイマウルの動きが固定できた。だから俺は横から入れた」


 ガイールはそう言ってから、僕へ視線を向けた。


「悪くねえ。無理に振り切らなかったのもいい。だが今後、俺がいなくなったときには二人で立ち回らなきゃいけねえ。そこが課題だな」


 ガイールが言葉を足す。


「リナ。お前は後ろにいるから、アーテルより見えてたな。なら、次はどこへ体を動かすかまでを声にしてみろ。このクラス帯の魔物を狩るときは、基本追い込みだ。相手の動きや向きを見極めれば、前衛が楽になる」


 リナが真面目な顔で頷いている。


「さっきは攻撃が来るのを、伝えるだけで精一杯だった」


「まぁ最初はそんなもんだ。だが、強くなるにはもう一歩先に進め」


 そう言いながらグレイマウルから魔核を取り出す。ススオオネズミより大きく、抽出器へ入れたときの光も少しだけ濃い。小瓶へ落ちた雫も、昨日よりひと目で分かるくらい量が多かった。


「昨日より多い。『片耳』は討伐証明用に取っておく」


 ガイールが解体用のナイフでさくさくと処理していく。


「Fクラスの魔物ならこんなもんだ。上へ行くほど差は出る。ただ、紋滓の『量』が多ければいいってものでもない。魔物にもよるが、数滴でもすごく味が濃い、つまり位階アップできるようなやつもいる」


 このグレイマウル一頭分の紋滓は、リナに渡す。

 非戦闘職のリナは、魔物由来の紋滓を優先的に使う方が良い。

 

 リナは小瓶を受け取ると、一度だけ中を見た。

 昨日の鼠の雫より、色がわずかに濃い。

 量も目で分かるくらい違うのがわかる。これがGランクとFランクの違いということだろうか。


「……これ、全部もらっていいの?」


 一度ガイールの方を見ると、頷いている。


「うん、こういうのはリナ優先で飲んでもらうつもりだ」


「わかった。私、強くなるためなら、どんなことでも頑張る」


 リナはそう言って、目を閉じて一気に飲んだ。

 喉が小さく動いたあと、すぐに顔がしかめられる。けれど、昨日みたいに飲み込む前で止まる感じはなかった。

 水袋へ手を伸ばして口をつけ、それでも少ししてから胸元へ手を当てる。


「……でも、やっぱりまずいね。ただ、昨日より中に残る感じがあるかも」


「それなら上出来だな」


 ガイールがそう言って、抽出器を布で拭った。


「じゃあ、次からは味だけで判断するなってこと?」


「この辺りはまずいのだらけだ。ただ、何が残るかはその人によるだろう」


 リナが苦い顔のまま頷く。


「嫌いな味だけど、昨日より嫌じゃなかった」


「飲めるようになってるってことだ。それを積むのが冒険者だぜ」


 帰り道は行きより少しだけ足が軽かった。勝ったからじゃない。勝ち方を一つ見たからだ。それに、リナがあの雫を迷いなく飲めたことも大きかった。


 街道へ戻ったところで、ガイールが立ち止まる。


「俺が関わるのは、とりあえずここまでだ」


 いつもの調子で言ったが、その声ははっきりしていた。


「次からはお前らだけやらなくちゃいけない。正直……心配だが、死にかけたら逃げることくらいはできるだろ?」


「今日のやつ、またいつでもいいから見せてほしい」


 僕がそう言うと、ガイールは少しだけ笑った。


「見ても真似はできねえぞ。あれは狼紋の踏み込み技だからな」


「あの技というより、次の手を予測する動きをもっと見て覚えたい」


 その返しに、ガイールは一瞬だけ黙ったあとで鼻を鳴らした。


「だったら、まず足場を見ろ。崩されるのなら、その前にどこで敵に()()()()()決めろ。そこから予測していくんだ」


 リナも横から言う。


「私は、危ないときに逃げる方向まで見れるようにする」


「おう、頑張れ。まぁ冒険者やってりゃ、また出会うこともある。しばらく俺はヴァレスタにいるから、たまには様子を見てやるよ」


 ガイールは何だか少し嬉しそうな顔でそう呟くのだった。





読了ありがとうございます。

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今後ともよろしくお願いいたします。

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