第8話
宿代を払って鍵を受け取ったあと、僕らは一旦荷物を部屋へ置きに上がった。二階奥にあるその部屋は、本当に狭く、寝台が二つ並んだだけでほとんどいっぱいになる。
窓も小さい。けれど屋根と壁があって、荷物を置いて鍵を掛けられる。僕らにとってはそれだけで十分だった。
「……ちゃんと閉まる」
リナが鍵を回して確かめる。
「ほんとだ、閉まるな」
当たり前のことなのに、何だか嬉しかった。
「昨日まで荷馬車の中だったのに」
「それと比べても……」
そう返すと、リナがやっと少し笑った。
その顔を見て、僕も肩の力が抜ける。泊まる場所が一つあるだけで、街の見え方が少し変わるらしい。
荷物を置いてから、すぐに僕らは買い物に出ることにした。時間は有効に使わなければならない。
可能なら今日軽く一つくらい依頼を受けてみたい。
まず必要なのは、見栄えのいい物ではなく、依頼を受けてこなすため、戦いに必要な装備や物だ。
「まずは……靴かな」
僕が言うと、リナが自分たちの足元を見る。
「うん。ずっと歩いて逃げてたから、底がだいぶ減ってる。あと、私は手袋が欲しいかも」
露店を何軒か回って、底に細かい刻みが入った靴を見つけた。石畳でも土でも滑りにくそうで、踝までしっかり包んでくれる。
派手じゃない薄茶色の靴なのも良い。
リナが履いてみると、何歩か歩いてから振り返った。
「これ、滑りにくいし、足が動かしやすい」
「じゃあそれにしよう。僕に合う大きさの靴もあるし」
「え、けっこう高いよ?」
「戦いの最中に転んで怪我するより安い」
次にリナの薄手の手袋を選ぶため、雑貨全般も売っている店に入ってみた。
いくつか手袋が置いてあったが、その中でも布は薄いが掌の内側だけ少し縫い目が細かくなっていて、縄や柄を握っても滑りにくそうなものを選ぶ。指先は出ていないが、動かしやすく作られている。
「これなら、細かいこともこのままできそう」
リナが手袋をはめたまま、指を曲げたり開いたりしていた。
店の奥に目をやると、短い刃物や小道具がまとめて吊られていた。料理に使う包丁とも、戦うための短剣とも違う。荷の縄を切るための、先が少し反った小刀。
袋の縫い目を裂くための、針みたいに細い刃。
獣の皮膚を開いたあと、指では滑って掴みにくい魔核を挟んで引き抜くための、鉄の摘み器具まである。
「それも買うの?」
「魔核を抜くとき、ガイールが使ってた。次からは自分でやらないといけない」
細刃は肉を裂くためじゃなく、皮や筋を切り分けるのに向いていそうだった。摘み器具の方は、ぬるっとした核をつまみ出すのにちょうどいい。右手がまだ万全じゃない今でも扱いやすい形のものを選ぶ。
「じゃあ、こっちの方がよくない?」
リナが別の摘み器具を一本を取った。柄が少し太くて、指を掛けやすい作りになっている。
「抜くときに滑りにくそう」
「うん、いい感じだな」
僕が持ち替えると、確かにこちらの方がしっくりきた。
「じゃあ、これにしよう」
「アーテル、こういうの選ぶときは意外と適当」
「実際に使うところまでは、あんまり頭が回ってなかった」
「今後も、アーテルが使うものは私が選んであげるからね」
少し得意そうに言われると、何だか言い返しにくい。
他に良さそうなものがないか、店の棚を見ていると、普通の油紙や『防湿布』が並んでいた。防湿布は依頼票や木札を濡らさないための魔導具らしい。指先でつまむと、布なのに少しだけ張りがある。
「これ、便利そう」
リナが防湿布を持ち上げている。
「確かに木札とか書類は水から守りたいな」
「じゃあ一枚だけ買おう。あとは油紙で分ければいい」
木札や依頼票を濡らしたくなかったし、採ってきたものを分けて包むのにも使える。僕らは籠に入れていた防湿布と油紙、手袋、魔核抜き用の細刃と摘み器具をまとめて台へ置いた。
途中、値切るところはリナの方がうまかった。
僕がそのまま払おうとした銀貨九枚を、リナは店主に二言三言返して、銀貨六枚と銅貨五枚にさせる。
「かなり得したんだが……」
「アーテルはすぐ払おうとするから」
宿が決まっただけで足取りが軽くなっているのが、自分でも分かった。帰る場所が一つあるだけで気分がこんなに違うとは思わなかった。
―――――
買い物を終えてギルドへ戻ると、掲示板の前は朝より少し空いていた。新しい依頼票が何枚か増えていて、その中から僕らは受けられそうなものを探していく。
街道の見回り、薬草採取、外縁の害獣駆除。
貼られて間もない紙と、もう端が剥がされた跡が並んでいて、この街では迷っている間に仕事がなくなるのだと分かる。
「まずは無難に街道の見回りか」
僕が言うと、リナが隣で頷いた。
「うん。薬草採取とかでもいいけど、まだ採れる場所が分からないよね。外縁の害獣駆除は……昨日のススオオネズミと同じくらいならいけるかな?」
「日暮れまではまだ時間があるが、今日はそこまで無理しなくていい気もする」
そう言いながら端の方へ目をやると、少しだけ紙の質が違う一枚があった。僕が手に取るより先に、後ろから伸びた手がそれをひょいと抜く。
「俺なら、こっちだな」
振り向くと、ガイールだった。今日も腰に剣を差しているが、昨日までとは少し雰囲気が違い、ヴァレスタの街の冒険者として溶け込んでいた。
「ガイール、どうしたんだ?」
「商会の任務が終わったんでな」
ガイールは依頼票を流し読みしてから、少し偉そうに僕らへ向く。
「心配してくれてるんだな」
「ちげえよ! ……見てみろ、これ。東の林道脇のグレイマウル討伐依頼。最近グレイマウルの目撃情報が街道へ寄り始めているので早めの処理を求む――だとよ」
「単体で出てくれるならやりやすいか」
僕がそう言うと、ガイールが鼻を鳴らした。
「そうだな。グレイマウルはFランクの魔物だが、基本は群れない。単体なら危ないと思ったら引くって判断がしやすいし、しかも林道の脇だ。奥へ入りすぎなくて済む」
依頼票を指で叩いて続ける。
「グレイマウルは野生の獣でいうと、鼬系の魔獣だ。すばしっこく、前脚と爪が強い。荷箱や袋をこじ開ける癖がある。真正面から噛みに来るっていうより、斜めから入って爪で崩してくる方を警戒しろ」
「なら、僕らだけならまだ早くないか?」
「もちろんお前らだけなら止めてるが――」
ガイールはあっさり言った。
「今日は俺が付く。お前らで倒せるようならやれ。どうだ、少しは安心しただろ?」
ふん、とカッコつけながら偉そうに語るガイール。
「アーテルは強いけど、こういう依頼は受けたことないから、来てくれるのはありがたい」
リナが少し不安そうに言う。
「いや、僕はまだ強くない。だから分からないことだらけだ。こっちこそ、いろいろと教えてほしい」
ガイールに向き直って言った。
「……わかった。魔獣は対人戦とはまた違った戦い方が重要になる。初めて単体の魔物を追うなら、何を見て、どこで引くかを覚えた方がいい。見回りより、よっぽど身になると思うぜ」
少し真剣な目つきになったガイールの言葉に、僕たちは大きく頷いた。
「分かった。今日はその依頼で行こう」
ガイールは依頼票を僕へと渡す。
「それでいい。頼れるときにはどんどん頼って覚えていけ」
受付へ持っていくと、受付係は依頼票を見てから僕らを見た。
「これの依頼でお間違いないですか?」
「はい」
「受理はできます。ただし、東の林道脇の魔物は、外縁より一ランク上です。初めての依頼ということなので、敵の数や地形が悪ければ無理をしないこと。見つけても勝てないと思ったらしっかり引いてくださいね」
「はい、分かりました」
僕が答える横で、ガイールが出てきて短く言った。
「今日は俺も現地まで行く。記録には補助同行で付けといてくれ」
受付はそれで納得したように印を押した。




