第4話
暗闇に目を凝らすと、誰かがしゃがんだ姿勢で慎重に手を動かしているように見えた。
荷布の隙間に指を入れ、箱や包みを探るように手を差し込んでいる。
僕は身体を起こさず、最小限の動きでリナの体に触れた。
リナはすぐにぱっと目を開け、少し混乱しながらも僕の顔を見て何かを察する。
驚いて身体を跳ねさせない。呼吸が次の瞬間には落ち着いた。それを見て、僕は唇だけを動かして伝える。
「……荷台、いる」
しゃがんだ姿勢で、動いている影。
荷布を大きくめくらず、隙間から触れる範囲だけを探っているようだ。
手を伸ばして一瞬止まる。そこから先、無理に入ろうとはしない。様子を見ている感じだ。中に入ったら人を呼びに行こう。
「どう、する?」
リナが肘でつついて口の形だけ動かす。
ここからでは影の顔は見えない。
そのとき、別の荷馬車の方で木が軋んだ。
誰かが歩いた音じゃない。荷を積み直したような音に近い。
影の手がすぐ引っ込んだ。布が元に戻り、しゃがんだ影がそのまま滑るように後ろへ下がる。走らない。急がない。だからこそ不気味に見える。
影が闇に溶けた直後、別の方向からガイールが現れた。藁を踏む乾いた音が止まり、低い声が落ちてくる。
「今、誰かいたか?」
僕は身体を起こさず、声も不用意に大きくせず答える。
「荷台の辺りで動いている影を見た。商会の人ではないと思う。中に入るまでは動きを見てた」
ガイールが小さく舌打ちをする。
「ってことは……狙いがはっきりしてるな」
カンベリーが急ぎ足でこちらに歩いてくる。
「この食堂は、荷馬車が何台も並びます。盗みならもっと雑にやるはず。やはり、例のギルド関係の書類だけを探しているのかもしれません。それがある荷馬車には――」
僕たちがいる可能性が高い――ということ。
シンベルが明かりの当たらない影から近づき、膝をついて確認していた。
「荷を抜かれた様子はありません。例の包みも位置は変わっていない。中身も無事です。探っていたらちょうどガイールさんが来たので、逃げたのでしょう」
ガイールが僕らの顔を見て、短く言う。
「声を出さなかったのは正解だ。ここで揉めたら、明日の門で余計な情報が回ってたかもしれん」
リナが小さく頷き、口だけ動かした。
「……荷馬車を何台も調べているってこと?」
カンベリーが否定も肯定もせず、事実を返す。
「確かにヴァレスタ行きの荷馬車は多いです。その中でギルド印の匂いがするものだけ拾えば、候補はさらに絞れます。ギルド依頼の荷馬車は少ないですからね」
ガイールが周りを一度だけ見回して言った。
「なら、想定より早めに出たほうがいいかもな。ヴァレスタの正門前の列ができる前に、さっさと街に入ったほうがいいだろう」
カンベリーは声をさらに低くする。
「アーテル君とリナさんは、明日は隠れている方が不自然なので、商会の荷番として外に出てもらいます。存在を隠すより、そのまま実在する荷番として街に入ります。ただ、リナさんは着替えてもらえれば大丈夫ですが、アーテル君は髪が少し目立ちますね」
この世界で黒髪黒眼にはほぼ出会わない。だから特徴としてはすぐに覚えられてしまう。
「フードは逆に目につきますので帽子で行きましょう。髪は紐でまとめます。あとは、名簿を見せる必要があるので、そのときに名前を呼ばれたら、迷わず返事をしてください」
シンベルが横から短く添える。
「アトル君、ミナさん。明日はその名で呼ばれます。今から慣れておいてください」
リナが小さく息を吸い、僕を見た。怖がる目じゃない。心配しているような顔。
「……アトル」
「……ミナ」
カンベリーとシンベルが頷く。
その夜はそれ以上の話を増やさずに明日に備えてすぐに眠ることにした。
―――
僕らは夜明け前に動き出す。
街道食堂は昨晩の匂いだけが少し残っていた。本来ならゆっくり眠って朝食も食べていきたいが、そうはいかない。
荷台に乗り込み、ヴァレスタの近くまでは乗っていく。リナの酔いは昨夜より軽いようで少し安心した。
空が薄く明るくなる頃、遠くに背の高い石壁が見えてきた。
それがヴァレスタの外壁だと分かる頃には、周りの荷馬車がちらほらと見え、車輪の音も増えている。
正門の前にはすでに列ができていたが、これなら一時間もかからず入れるだろうと、ガイールが話しているのが聴こえる。
人も荷も多い。
商人の声、嘶きや木箱が擦れる音は絶えない。門番の抑揚のない声だけが頭上から降ってくる。
「次、荷を前へ。書類を出せ。名前を言え」
一つ前の商会の番だ。
その間にカンベリーが御者台から振り返ると、僕らに手を出す。
「降りてください。顔は上げすぎないで、でも返事ははっきりです」
ガイールが先に列の外側へ回った。見張るために離れる動きだ。もう一人の護衛も反対側へ回る。落ち着いた目で列の流れを見ている。
僕は用意してもらった帽子を被り、そのままリナと一緒に荷馬車の周りを歩く。
列の前方で、怒鳴り声が上がった。
「書類がない? 昨日まで確かにあったぞ!」
「知らん。無ければここは通せない決まりだ。次」
僕たちの前にいる商人が青い顔で言う。
「薬も食料も残ってるんです。盗られたのは書類だけで……」
「だから言ってるだろ。無いなら戻れ。準備し直してこい」
カンベリーが小さく息を吐いた。僕らに聞かせるためじゃない。
「……やはり、いくつかの商会がやられていたようですね」
列が少しずつ進んでいく。門番がこちらの荷馬車へ目を向けた。
「商会名は」
「ルベル商会です。ギルド委託の荷物や商品になります」
カンベリーが書類を差し出す。シンベルが横で荷目録を開き、読み上げる準備をする。
門番は紙を受け取り、印を確かめ、視線を上げた。
「では人員の名を述べよ」
カンベリーが僕を見ずに言う。僕らを紹介する口調ではない。もともとそこにいる人間として扱う。
「アトルとミナです。まだ子どもですが商会の荷番や雑用です」
門番の目が僕へ来た。
帽子の影で視線が隠れる。けれど返事を濁せば、覗き込まれる。
「アトルです」
次にリナが息を吸って、同じ強さで答える。
「ミナです」
門番は一瞬だけ黙り、書類へ視線を落とした。
そこから、紙の端を指でなぞる。印を確かめる動きが一つ増える。
「……」
門番の眉がわずかに動いた。
さっきまでの雑な確認とは違う感じがする。
門番が隣の役人へ紙を傾け、低い声で言った。
「こっちも控えろ」
隣の役人が頷き、何かを紙に書き足している。
カンベリーは顔色を変えず、丁寧な声を崩さない。
「何か不足がありましたか。規定通りに揃えてあるはずですが」
門番は答えず、顎で脇を示した。
「荷馬車を寄せろ。次も同じだ。書類はもう一度確認する」
列が止まった。
後ろの荷馬車から不満の声が上がるが、門番は聞かない。
カンベリーが僕らにだけ、口を動かさずに言った。
「慌てないでください。何もない、と自信をもってください」
僕らは頷いた。
門の脇へ寄せられる荷馬車の列の中で、僕はふと、あの夜の荷台をを探っていた手を思い出す。
敵の手はもうここまで届いているのだろうか。




