第34話
避難所の入口に辿り着いたとき、僕の口の中は血と煙の味しかしなかった。
身体が重い。手は満足に動かない。喉は焼けて、息を吸うたびに砂を飲むみたいに痛い。心も落ち着かない。身体のどこかがまだ戦っているみたいに錯覚している。
途中で意識が戻ったエルシアと何とか歩けるロンネスとともに、ようやく避難所まで戻ってくることができた。
避難所の中は外より静かなはずなのに、今は別の音で満ちていた。
濡れ布が擦れる音。水を分け合う小さな声。どれも弱いものだけど、それでも生きている証の音だった。
毛布の山の向こうから、リナがこちらを見た。
僕を見た瞬間に瞳が揺れて、何かが崩れそうな顔をした。
無理やり立ち上がって、脚の具合を確かめるみたいに一度だけ膝を固める。それから小さく駆けてきた。
走りきれない。踏み込めない。
それでも、目だけは逸らさなかった。
僕の胸に顔を押しつけてきた。声が出ない代わりに、息が震えている。
腕が細い。震えが、服越しに伝わる。
僕は抱き返そうとして、右手首の痛みで指が一瞬だけ止まった。
それでも左手で背に回し、強くしすぎないように支える。リナの声が、胸元からくぐもって漏れた。
「……遅い……」
責める言い方なのに、怒りじゃない。
溜めていた息を吐くみたいな言い方だった。
「……ごめん」
言った瞬間、喉の奥がまた熱くなった。
リナが顔を上げた。
目が赤いのに、涙は落ちてこない。落としたら自分が崩れると思って、堪えている目だ。
「ここ、音が少ないから……余計に怖かった。外で何が起きてるかも分からない。……アーテルが生きてるかどうかも分からない。どこまで敵が来てるかも……わからない」
言葉が途切れて、唇が震える。
それでも止めない。止めたら戻れないみたいに、必死に吐き出した。
「……お父さんのときも、そうだった。声が遠くて……助けてって言ってるのに誰にも……届かなくて……」
胸の奥が痛い。リナにとっての帰るべき場所、帰ってくる人、それらはもうこの世界にはないのかもしれない。
「だから……アーテルが戻らなかったら、もう……」
言えない言葉が喉に詰まって、リナは息を吸って、吐いた。
「……私、弱い。一人じゃ……何もできない。お父さんの仇だって、まだ……」
意地を張る言い方なのに、声が泣きそうだった。
「弱くない。リナがいなかったら、ギルドに帳簿を渡すこともできなかった」
「かもしれないけど……怖い。解紋の力を使っても、すぐこんな感じで……寝込んでしまう。それで皆に迷惑かけてしまう……」
僕は一度だけ息を吐いてから、リナの目を見たまま言った。
「ここで休んで待ってたのは、弱いからじゃない。……生きるためだ。……生き残って、取り返すんだろ。リナのお父さんのこと、そして、リナの今後の未来も」
リナの唇が少しだけ開いて、何かを言おうとしてから閉じた。
「ただ、待つのは逃げるよりきつい。……僕なら、途中で頭がおかしくなってたと思う」
それを聞いてリナの目が少し揺れた。
涙が初めて零れた。
落ちたのは一粒だけだった。けれど、落ちた瞬間、拭ったのにもう一粒が勝手に出てくる。一度出始めると、ポロポロと頬を伝って流れ落ちる。
リナは鼻をすすり、僕の服をまた掴んだ。
掴んだまま、歯を食いしばって言う。
「……私、強くなりたい。そして誰かの役に立てるように。アーテルの役に立てるように」
「……それは僕もだ。今回の戦いでよくわかった。一人じゃ勝てない……。強くならないといけないって」
僕はその頭に手を置き、一度だけ撫でた。
それだけで、リナの体の力が少し抜けた。
リナが目を細めた。
安心というより、納得する顔だった。
「一緒に強くなる……うん、それがこれからの、私たちの約束……。だから勝手にいなくならないで⋯⋯」
そのまま、指の力が少しずつ抜ける。
泣きつかれたのか、安心したからなのか、リナはその場でしゃがみ込んだ。
力が抜けたのに、離れない。僕の服を掴んだまま、ゆっくり眠りへ落ちていく。
僕はその場に膝をついた。
右手首が脈を打ち、肩の傷が遅れて痛む。肺の奥が煤で固い。
だけど、ここに来て初めてゆっくりと息を吸えた。
リナを横にさせると、すぐに寝息が聴こえてきた。
僕は声にならないくらい小さく言った。
「……ただいま」
答えはない。
でも、リナの指が一度だけ、僕の服を掴み直した。
その小さな動きが、返事に見えた。
この世界に転生させられて、ただ孤独で、理不尽にぶつかってきた。
初めて自分が守らなくてはいけない――そう思える家族のような存在ができた。
僕もそこで目を閉じる。体も心も限界だった。
毛布と薬草の匂いの奥で、煙の匂いが少しだけほどけていく。
明日になればまた、前に進まなくてはいけない。
でも今は、足を止める。
外ではまだ、作業の音が続いていた。
瓦礫を動かす音。水を運ぶ足音。誰かが名前を呼ぶ声。
生きている音は、しっかりとこの街に残っている。
このように長い話を、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
ブックマークもいただき、ありがとうございます。
何とか第一章の最後までいけました。
第二章からは舞台も変わり、ガラッと違う感じになっていきます。
今後も続きを読んでいただけると嬉しいです。
また、ブックマークやいいねなどしていただけると大変喜びます。
このあと一章のエピローグと閑話があり、第二章へ入る予定です。
今後ともよろしくお願いします。




