第25話
扉が開いた瞬間、少し冷たい風が流れ込んできた。
煤と鉄と乾いた灰――地下のこんな部屋でも、リンドリウムの街の匂いが薄く混じっている。
どこかで繋がっているのだろうか。
僕は自分が通れるだけ開き、部屋の中へ体を滑り込ませた。開け放てば光と音が漏れそうな気がしたからだ。
リナもそれに続く。肩が扉の枠に触れそうになり、ぎりぎりで止めたあと、扉を閉めて鍵をかける。
部屋の中の壁には魔灯が設置されているが、この部屋はこれまでよりも薄暗い。左右の壁には本棚が埋め込まれるように置かれている。
床には空の木箱や裂けた麻袋、縄などがあり、書庫というよりは荷を一度ここで仕分けるための作業場――そんな雰囲気を感じる。
各棚には様々な本が所狭しと詰まっている。革表紙、布綴じ、板綴じなど。大きさも色も全然揃っていない。
ただし、埃は少ない。定期的に人の手が入っているのがわかる。
「思っていたより……本、多いね」
リナが小さく息を吐いて、手を動かし始めた。
彼女は派手な印や封の色を見ないで進める。
棚板の擦れ、角の丸まり、戻し方の癖――ここ最近でよく扱われているかどうか、といった点だけを拾っていく。
「丁寧すぎるのは、たぶん違うよね」
「囮ってことか」
「この棚のあたり、綺麗じゃない。雑さが残ってる」
部屋の左側の棚、二列目の中段あたりで、リナの視線が止まった。
一冊だけ、背の向きが少しだけおかしい。
きっちり逆向きというより、返却が雑でねじれたような差し込まれ方をしている。
それに本の角が擦れて革の一部が白くなっている。
棚からよく抜かれて、よく戻されているということ。
「……これか」
僕が手を掛けようとした瞬間、リナが手首を掴んできた。
「待って、動かさないで。先に、ここ……見て」
リナは表紙の内側――綴じ糸の根元を指した。革の色に紛れた細い線が見えた。
背中が冷えた。
罠は扉や道だけにあるんじゃない。
持ち出しの瞬間にも噛みつくために、帳簿そのものに仕込まれている。
「これ、持ち出すとどうなる?」
口に出した瞬間、自分の声がやけに硬かった。
リナは首を横に振る。
「わからない。ただ、綴じ糸のところに何か細工されてるから、もしかするとそこが固まって、開けられなくなるとか?」
なるほど。消すためじゃない。奪われても使えなくするための防具ということか。
「どうするかな」
僕が呟くように言うと、リナは一瞬考えるように黙った。迷っているのではなく、自分の残りの体力的な面含めて考えているようだ。
「私がやるしかない。……だからアーテルはここを持って支えていて。そこから動かさないでね」
僕は帳簿を持ち上げないまま、落ちないように手の位置だけ変えた。
リナは触れない。指先は綴じ糸の根元のすぐ上、空中で止まる。
呼吸が浅くなる。額に汗が滲み、前髪が額に張りついた。瞳の奥がわずかに細くなり、一瞬だけ薄い金が滲んだ気がした。
「……《解綻》」
派手な光や音もない。
でも、糸の根元にある『仕組み』が、ほんの少し緩んだような気配があった。
「うん……罠の線が解けてる。もう持ち上げても大丈夫」
声が掠れていた。かなり疲労がありそうだ。
ゆっくり帳簿を持ち上げてから、僕らは同時に大きな息を吐いた。
直後、リナの膝がふっと抜けかける。
「リナ!」
「ん、平気。……少し頭がぼーっとしただけ」
言い方が強がりじゃないが、僕はリナの肩へ腕を回し、体重を受け取る。もうあと一回、使えるかどうかまできている。
「もう戻ろう」
僕は帳簿を布に包んで持つと、入り口へ向かって歩く。扉の取っ手へ手を伸ばした――その瞬間、通路の向こうから金属が軽く触れる小さな音がした。
気のせいか? リナと目を合わせて息を潜める。
間を置いて、もう一回。
偶然じゃない。誰かが探っている音だ。
しかも足音が増えない。声もない。
リナが僕の袖を、小さく引いた。
「……怖い」
扉に当たるその金属音が、今度はもっと近くで鳴る。鍵穴に何かが触れる音がした。
ゆっくり確かめるように。
僕は帳簿を抱え直し、リナを引き寄せた。
外の静けさが、こちらの呼吸を待っていた。
鍵穴の外で、金属がもう一度だけ笑うようにカチリと鳴った。
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