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第23話

  

 カスミの《影帳(かげとばり)》は、対象を空間ごと隔絶させる隠れ蓑を持続的に発生させる技のようだ。

 本当はそこに実在しているのに、周りの人たちからは限りなく認識できなくする、隠密には最適な力と言える。


 こちらからは相手が見えている。壁の煤も道行く人の顔も見える。話し声や槌の音も聞こえる。

 なのに、相手はこちらのことをほぼ認識できない。


 僕はその静かな空間の中を、リナの後ろから、時に軽く支えながらどんどん進んでいく。


「まだ歩けるか」


 できるだけ小さく聞く。


「……大丈夫。まだまだいけるよ」


 リナは息を整えながら頷いた。声は弱いが言葉ははっきりしている。

 前を行くカスミは、姿が見えない。

 曲がるときだけ、空気の薄まり方がわずかに変わり、声でそこが進路だと分かる。


「止まらないで」


 左前から急に声だけ聞こえてきた。

 リンドリウムの街が早朝から夜まで明るいのは、定点的に設置されている『魔灯(まとう)』のおかげらしい。

 魔灯(まとう)は、魔物の心臓部にある核を使ってつくる魔導具の一種で、このような魔核を利用した魔導具は生活の様々な場面で使われている。


 通りでは朝から見回りや追っ手、明らかにリンドリウムの街から浮いた連中たちが走っている。

 それらを横目で見ながら、僕らは路地を二つ抜け、崩れた煙突を回り込んだところで、カスミの声が鋭く落ちた。


「止まって。壁側について」


 言われるより先に、前方の角から光が揺れた。


 僕はリナを引き寄せ、煤けた壁へ寄せる。

 リナの肩が僕の胸に当たる。呼吸が少し速いが、足はまだしっかりと地について立っていた。


 すぐ目の前を男たちが走って横切った。

 煤で黒くなった外套。片方は槍。もう片方は小型の魔灯を提げている。 


 魔灯の明かりが揺れて、壁を舐めるように光が走った。全員に共通することは尻尾だ。

 おそらく虎紋派閥の多くは《生物紋(オルガ)》――特に『獣系』の紋章持ちなのだろう。

 装備も含めて強そうな男たちが多い。


 いくつもの明かりが、僕らの前をどんどん通り過ぎていく。

 相手には僕らが見えていない。


「これだけの人数で探して見つからないということは、隠匿系の紋か?」


「匂いを追え。包囲網から逃げられたら、こっちの首が飛ぶ」


「早くしないと笛吹きが来るぞ……」


「ちっ、それはやべえな。面倒な夜になりそうだぜ」


 手持ちの魔灯の明かりが、ほんの一瞬こちらへ向いたが、光はそのまま壁と地面だけを照らし、男たちは角を曲がっていった。


 足音が遠ざかる。金具が小さく鳴る音も消えた。

 そこでようやく、カスミが言った。


「……行くよ。今のは虎の下っ端ね」


「下っ端であれか」


「下っ端だから、よく喋る。まだ本格的な捜索ではないことがわかった。本気ならもっと街は悲惨なことになるはず」


 淡々とした声のまま、カスミは続ける。


「本隊はもっと静か。見つけた時にはもう囲まれてる。そのくらい下っ端の連中とは実力が違う」


 本隊と鉢合わせないようにしなくてはならない。

 僕はリナの肩を支え直す。


「行けるか」


「うん」


 ____


 古い溶鉱区画に入ると、路地の匂いが変わった。

 建物の壁は黒く厚く、窓は小さい。昼でも薄暗そうな区画だが、夜はほとんど穴みたいに見える。


 途中、二度足を止めた。

 一度目は、向こうの通りを横切る見張りの列。

 二度目は、屋根の上を走る影が三つ。


 屋根の方は、僕には形がよく見えなかったが、カスミは即座に曲がり、僕らを壊れた煙道の内側へ押し込む。


「たぶん偵察。上から相手を見るような癖がある動きをしている」


 カスミの声がより低くなる。


「もうすぐ着く。ここから先は、印を見せる場所。喋るのは必要最低限で」


 僕らの前には壁しかない路地があった。行き止まりに見える。だが近づくと、煤を吸った木板の継ぎ目が細く見えた。外壁に偽装した扉だ。


 その扉の前には灯りがない。代わりに、低い位置にだけ横に細い覗き穴があった。中から見られているのがはっきりとわかる。

 カスミの気配が、扉の右側で止まった。


「私はここまで」


「一緒には入らないのか」


「私が中へ入ると、誰の仕事かが曖昧になる。立場が変わるのは面倒だから」


 その言い方のまま、カスミが続ける。


「でも、中に入るまでは隠す。だから急いで入って」


 僕はポケットから鉄の印を取り出した。掌サイズの鉄製の棒印。覗き穴の向こうから、低い声がした。


「――印を」


 姿は見えない。男か女かも分かりにくい声だ。

 僕は印を覗き穴の下の細い溝へ差し込む。中で金属が擦れる音がして、少し間が空く。

 その間に、リナの肩が小さく震えた。


 鍵が三つ、順番に外れる音がした。

 重い木板が、内側へほんの少し開く。


「――入れ。印は返す」


 扉の隙間から、冷えた空気が流れてくる。ここも古びた書庫の匂いがした。

 僕はリナを先に通し、すぐ後ろに続いた。

 入った瞬間、背中の皮膚から薄い膜が剥がれる感覚がした。匂いと音が一気に戻ってくる。


 カスミの《影帳(かげとばり)》が切れた。

 振り向く前に、扉は閉まる。そのとき、最後にカスミの声だけが落ちた。


「――出口で待つ。生きて出てきて」


 それだけで、気配は消えた。



 狭い小屋のような建物だった。

 壁際に帳面、魔灯、小さな炉。床には鉄屑ではなく、縄と木箱が整然と積まれている。外観は古いのに、中は散らかっていない。誰かが毎日使っている場所だろう。


 椅子に座っていた老人が、印を机に置きながら僕らを見た。歳を重ねているが、目だけは今でもかなり鋭い。


 「印はもういらん。後は帳簿庫の鍵だ」


 老人は印を回収した後、今度は鉄製の鍵をこちらに放ってから視線がリナで止まる。


解紋(かいもん)はそっちだな」


 リナは少しだけ身を固くしたが、ゆっくりと頷いた。


「⋯⋯はい」


 老人は僕の腰を見る。小太刀の位置。鞘の収まり方。視線が一瞬だけそこに留まり、すぐ戻った。


「武器は抜くな。ここで抜いたら、先へは通さん」


「分かった」


「この先の通路は、書庫そのものじゃない。書庫へ入らせないための階層だ。古い坑道と保管路を継ぎ足してる。壁も床も均一じゃない。慌てるやつほど、自分の足音に迷う」


 言いながら、老人は部屋の奥の壁際にあった木箱をずらした。

 床板の継ぎ目が現れ、鉄輪を引くと下へ降りる階段が口を開ける。


 湿った空気が上がってきた。鉄錆と石の冷たさ、それに古紙の乾いた匂いが微かに混じる


「ここから先の動線を伝える。場所は階段を降りて、最初の分岐で左、三番目の分岐は直進、七つ目は下ったところだ。出口は九番目、左の上の段」


 老人はさらに続ける。


「帳簿庫を開けるだけなら、腕のいい盗人や他の紋章師でもできる。気づかれずにそれを持ち帰れる者には大きな価値がある」


「……私、何をすればいいの?」


 老人はそこで初めて少しだけ口元を動かした。


「帳簿庫の扉に触る前によく調べろ。契印は閉めるためのものだ。開ける側の細工は後から足されることが多い。古いものと新しいものが混じってたら、先に新しい方を疑え」


 リナは頷き、言葉を繰り返すように小さく口の中で整理している。

 僕が動くと、肩から下げた腰袋の中に入っている薬瓶が当たって小さく音がした。


「虎が地上を詰め始めてる。急げ」


 老人がそう言うと、階段の闇を顎で示す。


「リナ、降りられるか?」


「手すりがあるなら、たぶん」


「――ある。俺が後ろにつく」


「うん」


 僕らは階段へ足をかける。

 石段は狭く、乾いている段と湿っている段が混じっていた。

 一段、二段、三段。灯りが背中で細くなっていく。


 随分と下まで降りたが、まだ階段は続いている。

 

 そのとき、上から鈍い音が伝わってきた。扉を叩くような音が微かに伝わってきた。

 リナの肩が強張る。


「え、誰か……来た?」


「わからない。また別口の客か⋯⋯?」


 言いながら、自分でも楽観的すぎると思う。

 老人の怒鳴り声のような響きが薄く聴こえる。


「深夜……搬入――。明朝――戻――れ」


 さらに強い、争っているような音が二つ、三つ。内容までは聞き取れない。荒れていることだけがわかる。

 虎の連中かどうかまでは判断できない。分からないまま、足を止める方がまずい。


 僕はリナの背を軽く叩いた。


「急いで進もう」


「……うん」


 階段を降りた先には、横へ伸びる石の通路が見えた。

 魔灯が薄暗くあたりを照らしている。

 上を見ると天井は低い。壁に打ち込まれた古い金具が露出している。

 しばらく進んでいると、最初の分岐が口を開けていた。


 左の通路は風がある。正面は静かすぎる。右はどこかで水が落ちる音がしている。


 僕はもらった紙を見て、左へ視線を向ける。同時にリナが言った。


「たしか最初は左だったよな」

「左。……風の流れが違う。奥が乾いてる」


 帳簿の匂いか、保管路の匂いか。少なくとも何もない坑道ではない。


「よし左に行こう」


 どこかで、小さく扉を叩く音が聞こえた。

 その音を背中で聞きながら、僕らは迷路へ踏み込んだ。




■ 紋章の種類

・人間の紋章:生まれながら、人が神から与えられる胸の上に刻まれる紋のこと――通称《紋章》や《紋》


・魔核にある紋章:魔物の魔力循環の結節点である魔核の表面に生じる紋のこと――通称《魔核紋》

様々な使い道があり、今も研究が盛んな領域。


・人は魔物討伐によって魔核やレアな魔核紋から、『紋滓』を吸収することでも位階ランクを上げることができる。



紋滓(もんし)

①人間由来の紋滓、②魔物由来の紋滓 がある。


①人間由来の紋滓:人間同士の『紋狩り』によって、紋章を傷つけた場合、紋章が残滓となって狩人(勝者側)へ吸収される。

 この人由来の紋滓は、回収用魔導具は使用できない。

 ただし、狩られた側の紋章師の装備品などに紋滓が吸収されることで、『遺物』となることがある。

 紋滓が発生するためには、一定レベル以上の攻撃等によって、相手の紋章を傷つけることで、『紋狩り』が成立する(紋章師の生死は問わない)



②魔物由来の紋滓︰主にランクが高い魔物になるほど、『魔核』に紋章が刻まれていることがある。

 人間由来とは異なり、魔物由来の紋滓は、回収用魔導具の普及により、回収できるようなった。

 回収方法は単純で、魔導具『抽出器』を使って魔核から搾り取ることで紋滓を液体化させる。

 この魔物由来の紋滓は、戦闘職、非戦闘職問わず、紋章の位階を上げたり魔導具などの作成に使われたりしている。


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紋章/能力バトル/ファンタジー/逃亡劇/神話/成長/レベルアップ/属性
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