第16話
夜の廃炉のはずなのに、辺りは昼間みたいに明るかった。
男が纏っている雷光が崩れた鉄骨も、灰の積もった地面も、容赦なく照らしているせいだ。
男は腰の剣を抜かない。抜くまでもない――そう言われているようだ。
手首を軽く払う。たったそれだけの動きで、雷撃が生まれる。発生した雷撃は枝分かれしながら僕の前方へ回り込み、雷鳴を引きずって逃げ道を塞いでくる。
まるで蛇みたいに地面を這い、進路を変え、獲物を囲うために何度でも方向を変える。
僕はそれを真横へ飛んで避ける。
靴底が灰を蹴り、砕けた金属片が散る。
――だが、読まれていた。
雷撃はさらに地面を走って先回りすると、足元の石ごと弾けて火花が散り、その熱が僕の脛を撫でた。遅れて衝撃が脚を吹き飛ばす。
一瞬触れただけで意識を持っていかれそうになった。もう一度あれに当たってはいけない。
次の攻撃に対し、僕は《黒穿》を『点』で走らせる。
騙紋との戦いの中で、黒点を撃つことができるようになってきていた。
ただ、今は大きく使わない。――避けるために軸をずらすだけだ。
放たれた雷撃の隙間に対して《黒穿》を撃つことで、軌道を捻じ曲げることに成功した。
掠めた電が背後へ抜け、次の瞬間――後方の壁が爆ぜた。
爆発と轟音。
灰と火花が派手に吹き上がり、熱風が頬に触れる。
崩れた鉄片の一部が甲高い音を立てて転がっていった。
攻撃の位置をずらしただけだ。だが、今はそれで良かった。
――爆発の隙に、僕はさらに足を動かしていた。
逃げるだけじゃ足りない。
笑顔でこちらを見ている男へ、逆にこちらから距離を潰しにいく。追い詰めるのは無理でも、見せるべき手はある。
この雷撃の間合いで攻撃を受け続ければ、いつか終わるが来る。それなら、相手との距離を早く乱す方が良い。
僕は小太刀を握り直し、なるべく近づいてから水平に斬りつけた。
踏み込みは浅くして、最短、最速で斬る。
読まれているのだろう、男が肩を引くだけでこちらの刃は届かなかった――はずだった。
男の周囲の空気が、遅れて裂けた。
布を裂くより薄い音がして、着ている外套の端が、指先ほど――切れて、はらりと落ちていった。
――刹那、ぞっとする悪寒が体中を駆け巡った。
「……へぇ」
男から放たれた強烈な殺気。笑みが深くなる。
空気の温度は高いのに、肌の内側だけが冷える。
「その小太刀、"遺物"だね。しかも――軌道が嘘をつくタイプか。面白い」
即座に判断してくる。でも、僕自身は意図して小太刀の技を使ったわけじゃなかったため、噛み合っていない感覚にやや戸惑っていた。
自分で振った刃の動きが、今の記憶とずれている。腕が通った軌道と、切れた場所が一致しない違和感。
――当たっていないのに、遅れて斬れる。
最悪の手触りだが、相手の反応をみると、実はかなり使える能力かもしれない。
殺気の中、男の目からは楽しさが消えたわけじゃない。むしろ――火がついたみたいに笑った。
足の置き方が少し変わる。今までより、僅かに前のめりになる。
「それ、使いこなせたら――もっと面白そうだ」
僕を褒めたのか、確かめたのかも分からない。
ただ、評価されたことだけは分かった。無論、嬉しくなんてない。獲物の動きが面白いから、もっと遊びたくなった――そういう類の目だ。
男の手掌が、天へ向いた。指先が夜空をなぞるみたいにゆっくり上がる。
一瞬だけ、雷が消えて世界が静かになった。
静けさのあとに来るものを、脳が言葉より先に『危険』と警笛を鳴らした。
――逃げろ。避けろ。
今すぐ――そう頭が必死に叫ぶのに、足はもう動かない。筋肉が先に硬直し、呼吸すら浅くなっている。
次の瞬間、上から。四方から。地面から。雷撃が落ちてくる。雷流が縦横に走り、交差し、空間に陣を描く。
地面と空気が同時に焦げる匂いを発した。
視界のあちこちで青白い線が増殖し、逃げ場のない罠が完成した。
「《縛雷陣》」
地面に刺さった雷が幾重にも広がると、僕の脚とその周囲を舐め、全身を硬直させた。
膝から下に熱した鉄を流し込まれたみたいな痛みと痺れ。意志と関係なく、身体が動かなくなり、僕はその場に倒れ込んでしまった。
膝が笑う余地すらなく、地面に縫い止められる。
頬のすぐ横で火花が弾け、焼けた石の匂いが鼻を刺す。
――だが、完全に終わりじゃない。
視界が薄くなる。輪郭だけが残る。
音が遠のき、逆に、雷の流れだけが妙にはっきり見えた。縛りの『核』が見えた。
地面に刺さった一本の雷の杭。固定しているものは、『あれ』だ。
僕は倒れたまま、指先だけで小太刀を握り直す。
指が痺れてうまく閉じない。爪の先に力を寄せるみたいにして、どうにか掌に柄を掴ませる。
そのまま、握り締めたまま『黒』を込める。
小太刀の刃の先だけが一瞬、漆黒に染まった瞬間、一度だけ撃った。
届くはずがない、男もそう思っていたのかもしれない。しかし、その黒点は僕の脚につながっていた雷の根幹を撃ち抜いた。
縛られている雷の張りが緩む。
さらに反対側の手で《黒穿》をもう一度。本来の攻撃の位置から僅かに外れたが、それでいい。
壊すんじゃない、『ずらす』だけ。
『黒』が雷の杭の脇を削り取り、また一段と拘束が緩む。絡みついていた雷がわずかにほどけ、足が少しだけ自由になった。
それを見て、男の笑みはさらに深くなる。
足取りがさっきより速いが、焦ってはいない。楽しんでいる速さだった。
「その見た目で覚醒済み。戦いに喰らいつく精神と未知のスキル。……面白い、実に」
全身が痺れて何も答えられない。ただ、殺す気ならすでに終わっているはずだ。そのくらい力量に差がある。
それが分かるからこそ、余計に腹が立った。
――見世物じゃない。試験でもない。
男が自分から近づいてくる。これはチャンスだ。
《縛雷陣》にもう一発――と思った瞬間、男は僕に向けて雑に手を振り下ろした。
――真横に雷が落ちる。
僕からわざと外して、離れた瓦礫へと叩きつける。
眩い閃光。遅れて炸裂音。灰と石が飛び散り、瓦礫が崩れ落ちた。
その衝撃で床が小さく浮いたみたいに僕の体が跳ねる。
「最後まで諦めない。そして、常に相手の隙を突こうとする。――悪くない。あぁ、悪くない」
呼吸が乱れる。怒りなのか恐怖なのか分からない。喉が熱く、胸の内側だけが冷たくなっていく。殺されないとしても、ここで折れたらダメな気がする。
さっきの合間に《縛雷陣》がまた僕の足を縛っている。この体に触れているところからさえ出られれば――。
何とかわずかに動く指先を使って《黒穿》を『点』で撃った。再度、雷に縛られている部分に当ててずらす。
雷の圧が一箇所だけ薄くなり、そこから空気が流れ込んでくる感触があった。
動けた。だが、完全には解けていない。
それでも、一歩だけ出られる。この一歩で十分だ。
男の目が、さらに楽しそうに光った。瞳の奥で雷光が跳ね、笑みの輪郭が濃くなる。
「――それだ」
男は、笑ったまま、こちらへ向き直る。
外套の裾がふっと翻り、その周囲の空気が帯電して細い火花を散らした。
夜の溶鉱炉に、雷鳴が轟く。
ここが薬師の言った約束の場所であることを、僕はもう忘れかけていた――しかし、同時に理解してしまう。
――最初から、僕を『試している側』の人間だ。
次の雷が落ちる前に、僕は小太刀の柄をもう一度だけ無理矢理握り締めた。




