第15話
日が沈むころ、薬師のロンネスが僕の頭に煤けた布を放った。
「これを巻いて行け。すれ違う奴らに余計な印象を残さないためだ」
僕は言われた通り、黙って髪に布を巻く。この世界では黒髪は目立つ。いないことはないが、かなりの少数派のようだ。
「帰りは行きと違う道で帰れよ。まぁ競り場からうまいこと逃げてきたやつに言うまでもねえか」
「わかった。それで……ギルドは僕をわざわざ指名して、どうする気なんだ」
自然と問いが口から零れる。
「さあな。だが、指名ってのは良い意味でも悪い意味でも目を付けたってことだ。きちんと仕事をやりゃあ、価値を証明できるってもんだろ」
ロンネスは当然のことのように言うが、ただ物を運んで渡すだけなのに、何がわかるというのだろうか。
敷布の方に目を向けると、リナが薄く目を開けてこちらを見ていた。焦点はまだ揺れていて安定しない。
「もう……いく、の……?」
「すぐ戻る。だから大丈夫だ」
「必ず、戻ってきて……」
「もちろんだ。約束する」
自分にも言い聞かせるように言うと、リナは小さく頷いた。僕の袖を掴む力が弱い。その弱さが胸の奥をぎゅっと掴んでくる。
「さぁ、行ってこい。嬢ちゃんは任せておけ」
薬師はこちらを見ずに手を振った。
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僕は板戸を押し、夜のリンドリウムへ繰り出した。
この街の夜は、普通の街よりも明るいらしい。
この時間になっても鍛冶場の火が、街のあちこちで生きている。
灰捨て場までは、薬師から受け取った地図通りに進むだけだった。
目印こそ多くないが、この街はかなり独特だ。
壁の煤け方、炉の残り香、捨てられた鉄屑の山――それらの特徴が道を覚えさせてくれる。
街の外れが近づくと、周囲の音が変わってきた。
槌音は遠くなり、代わりに風が通る音が増える。空気は少し乾いてきて、足場も悪くなってくる。拳程度の石も多く、進むたびに普段よりも足音が大きく鳴っている。
やがて、古びた鉄が剥き出しの構造物が多い区画に入った。その中でも、特に古い溶鉱炉の残骸が待ち合わせ場所になっている。
その廃炉は壁が崩れ、外郭の鉄骨だけが残っていた。
黒く焼けた鉄骨が月明かりを鈍く弾き、風が吹くたびにどこかで細い金属の音が鳴っている。
中から見上げると夜空がしっかり見えた。
僕はそこで立ち止まり、耳を澄ます。
人工的な音はしない。風だけが通り抜け、灰が薄く舞っている。
舞い上がった灰は、折れた梁の隙間を抜けるたびに渦を作り、すぐに散っていった。
「早かったかな」
この閑散とした一帯で、誰かが近づいてくれば、音や気配で分かるはずだ――そう思った瞬間、空気が変わった。
全身の皮膚が先に反応する。
産毛が総立ちになり、歯の奥がきしむようなプレッシャーが場を支配した。
視界の端が、一瞬だけ閃く。
――雷光と衝撃。
白く焼き切るような雷光が横殴りに走り、それがどこかにぶつかった衝撃。遅れて耳に炸裂音が叩きつけられる。
瓦礫の上の灰が勢いよく吹き荒れ、砂粒みたいな鉄屑まで跳ねた。
廃炉の外郭の天辺に、男が立っていた。
金色の髪。白い胴衣と長めの上着、その上に紫の肩掛けを片側だけに落としている。
雷に照らされるたび、その紫は鋭く帯電している。
細身だが、線の薄さじゃない。余計な肉のない硬い体つき。片足に重心を預けるだけで立っているのに、崩れる気配がない。
装備は一流だった。派手さはないのに、布も革も金具も、全部が実戦で生き残るための形をしている。
この男がいつからいたのか分からない。気づいたときにはすでにいた。いや、気づけなかった――と言った方が正しいのか。
男の外套が風を孕んで緩く膨らみ、裾の端だけが濡れた皮みたいな光沢を返している。立ち方には無駄が一切ない。その姿には自信が満ち溢れているように見える。
腰には一本の長剣。柄と鍔が独特の形をしていて、武器というより美術品か何かのような造形美だ。
鍔の輪郭は雷を模した曲線に見え、月光を受けて細く青白く光った。
男は笑っていた。
口元だけじゃなく、目も完全に『遊び』の目だ。獲物を見つけた獣というより、珍しい玩具を前にした子どもの目に近い。
「……ギルドの、連絡役か?」
答えを期待したわけじゃないが、あまりの唐突の出来事に、僕は自分を落ち着かせる意味も込めて問う。
その男は肩をすくめ、一層笑みを深くした。
肩を揺らす仕草は軽く、まるでここが戦場じゃなく舞台の上みたいに思えた。
「連絡? ああ、そういう用事だったっけ」
男が指を鳴らすと同時に、地面が雷流に洗われた。 一本ではない。細い稲妻が何本も、まるで生き物みたいに地面を這った。石の継ぎ目を走って僕を囲むように陣を描く。
枠の角では雷が跳ね、銀砂みたいな光粒がバチバチと散っている。
廃炉の骨格の『内側』だけが、雷によって切り取られた檻になった。鉄骨の影まで青白く縁取られ、空間そのものが雷に囲まれ、閉じたように見える。
「――《雷牢》」
空気が熱い。髪が逆立ち、皮膚の表面が小さく痺れる。鼻の奥に焦げた匂いが刺さる。
踏み出せば焼け、触れれば弾かれる。考える前に、体が理解した。
僕は腰に差していた小太刀を抜いた。刃が雷光を反射し、青白い光を一瞬だけ細く弾く。
その輝きは、ただ研がれた鉄のそれじゃない。刃の奥にもう一つ別の冷たさが沈んでいる。
見る者が見れば、それが「遺物」だとすぐ分かるだろう。
――遺物。
それは、ただの高価な武器じゃない。
覚醒者が紋章を破壊されて倒れたとき、力の『痕跡』が定着した特別な装備品だ。
紋章の持ち主が倒れた戦場では、まれに装備や武器に力の名残が刻みつく。そうして生まれたものは、鍛え直しただけの剣とはまるで別物になる。
中には一振りで戦いの理屈を壊せるものも存在する。当然、価値は跳ね上がる。
遺物を手にする方法は少ない。
覚醒者を倒すか、所持している遺物を奪うか、莫大な金で買うか、あるいは命を賭けて盗むか。
どれを取っても、まともな子どもが触れられる世界じゃない。
そんなものを、僕みたいな年齢の人間が持っている。それだけで「何をくぐってきた」のかと疑われるには十分だった。
だが――ここで武器も出さずに何もしない、という選択肢は残っていない。
男が軽い動きで外郭の上を歩いて近づいてくる。鉄骨の上を渡る足取りは静かだった。
音だけが置き去りにされているみたいに薄い。
僕を追い詰めるというより、獲物がどう動くか観察している様子だ。
「へぇ。あそこから逃げてきただけあるね。ちゃんと『形』してる
「……遊んでるのか?」
「遊びって言うと、君が拗ねそうだな。じゃあ――試験ってことでどう?」
音はそう言うと、外郭から飛び降りてから、ぱっと笑顔を咲かす。
その瞬間、目だけは逆に冷えたように見えた。
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【遺物ステータス】
装備:小太刀
種別:騙紋
レアリティ:不明
クラス:C(伸びしろ込みでB寄り?)
【パッシブスキル】
名称:《遅延斬》
効果:斬撃の「切断判定」が半拍遅れて発生する(ことがある)
相手視点では「避けたはずなのに遅れて裂ける」=感覚を騙される。
【アクティブスキル】
*現時点では未開放




