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閑話「虎爪」

  

 『競り場』から少し離れた廃墟。

 湿った石壁の裏にある隠し倉は、酒と油と獣皮の匂いが混じり、息を吸うだけで胸の奥がざらついた。明かりは薄暗く、声だけがやけに生々しく響いていた。


「くそ……競り場はこっちの庭じゃねえ」


 虎紋の男――レンが吐き捨てると、周りの連中は黙ることしかできなかった。

 競り場は()()()()な紋章師たちによって運営されている。

 つまり、虎紋の名だけで殴り込める相手じゃない。

 こっちは向こうの窓口役と裏取引をして、いろいろとうまい汁を吸わせてもらっている側だ。

 むしろ、油断すると『餌』にされる可能性すらある。

 レンだってそれは分かっている。分かっているが、納得できるかは別だ。


 胸の紋章が所々黒く塗り潰されていた『紋崩れ』のガキ。

 偶然が必然か、未覚醒の子どもだというのに、こちらの覚醒者が大怪我をした。あれを『偶然』で片付けることはできない。


 レンは机代わりの木箱を、指で二度叩いた。

 最初は遊びだった。逃げても追い込めばいいと簡単に思っていた。

 油断していたと言え、まんまと逃げられた時点で評価を変えた。あの『紋崩れ』には、何かがある。直感がそう告げていた。


 さらに、競り場の内偵が持ってきた情報。

 禁忌覚醒で起こされたという少女。正式な鑑定士が入り、少女は《事象紋(キニーマ)》の《解紋(かいもん)》だと判断されたという。


 門、封印、契約、金庫、結界、契約。

 『結び』や『縛り』が絡む場面では、金で済むことのほうが少ない。そんな中で、解紋は喉から手が出るほど欲しいレアな紋章の一つだ。


 あの二人を確保できれば、まだまだ『上』に喰らいつける。レンはそう踏んでいた。


「競り場には手を出さねえ。じゃあどうするか……?」


 レンは木箱の上へ、灰みたいにくすんだ金属の札を置いた。皮紙でも木札でもない。近づくだけで指先が冷える。


 契約札。

 重要な依頼のときだけ流通する、裏の魔導具だ。

 現場の回収役に持たせる『識別札』とは別物で、契約そのものを繋ぐために契約主の手元に残す。


「競り場とやり合う気はねえ。それが『上』に知られたら俺が終わる。だが、ガキどもは逃がさねえ」


 声が少しだけ掠れた。怒りより、焦りが勝っている。

 虎紋派閥の『王』から釘を刺されている。


「競り場に手を出すな」

「今は余計な火種を持ち込むな」――と。


 規律違反が露見すれば、同じ派閥でも簡単に切られる。しかも、利が見えない違反ならなおさらだ。


「金で雇った騙紋師を送った。逃げた器だけ拾わせるためにな」


 騙紋は戦いを始める前に終わらせることができる系統だ。武力よりも駆け引きで動くことができる。

 目立たず、競り場の内側も荒らさず、外で拾うならこれ以上の手はない――レンはそう読んでいだ。


 契約の内容は単純だった。

 回収。殺すな。上に嗅がれないように動け。



―――――



 真夜中を過ぎた頃。酒をあおっていたレンの横で、契約札にひびが入った。


 レンはそれを見て、舌打ちを飲み込む他なかった。

 失敗なら失敗でいい。契約札が壊れれば、それで片がつく。

 だが――契約札は()()()()()()


 ひび割れた後、そのひびから黒粉が滲むように零れ、全体を侵食していった。

 次の瞬間、契約札は壊れるどころか、そのものが跡形もなく()()した。


「……冗談だろ」


 レンの声が乾いた。

 刺客が落ちた。

 それ自体は理解するしかない。

 依頼が失敗した。信じ難いが、あのガキにしてやられたっていうことだろう。


 ただ、問題は契約札自体が跡形もなく『消えた』ということの方だ。


 ただ、壊れたのならいくらでも説明できる。

 失敗の証拠として相手側への布石にもなる。

 契約札という魔導具は、真っ二つなら契約者が死。

 ひびや欠けなどの壊れ方であれば、契約者の失敗を意味する。


 だが、消えたら――?

 説明できない。説明できないものは嗅がれた瞬間に『余計な証拠』のなり得る。


 レンは消えた契約札の跡を指でなぞり、すぐに手を引っ込めた。

 理屈だけが頭の中で組み上がる。


 契約札は成功なら残る。失敗なら壊れ、死ねば二つに割れる。

 そういう『魔導具』なのだ。


 それがもしこの世から、目の前から忽然と消えたなら――それは意図していない常識の『外』だ。

 この世の理が機能しなくなったとしか言えない。


 酒に酔った札師が笑いながら言っていた与太話が、ふと嫌な形で蘇ってくる。


 系統(常識)で括れない紋章がある。

 不明紋(アンノウン)でもない。

 それは『色』に付随する紋章。神聖国セラフィスには『白』を司る巫女がいるという噂。近づいたやつは()()()――と。


 聞いたときは馬鹿げてると思っていた。

 色の紋章など聞いたこともなかった。

 だが、契約札が『消えた』というイレギュラーなこの現実だけは、笑い話にできなかった。

 

 何がおかしいことが起きているのは間違いない。


 レンは奥歯を噛んだ。

 怖いのは放った刺客が落ちたことじゃない。失敗が、『上』に届く形として表に出そうになっている。


「……上に嗅がれる前に回収する。何としてもだ」


 周りの派閥の構成員たちに視線を投げる。

 誰も顔を上げない。今のレンの目が、冗談を許さないからだ。


「まずは網を張る。競り場を出たガキ二匹が、どこの村や街へ流れたかはまだ分からん。だから、分かるまで総当たりだ」


 レンは木箱の上に、もう一枚、別の札を置いた。

 契約札じゃない。現場で使うただの札だ。雑で、安い。だからこそ使い捨てが効く。


「周辺の街と村に流せ。二匹の逃亡者。報告すりゃ褒美。捕まえりゃうまい思いができるってな」


 その一言で、倉の空気が変わった。

 理屈も正義も関係ない。餌の匂いだけで人は動く。


「ただし、競り場の名は出すな。もちろん、虎紋の名もだ。時期にバレるだろうが、今は誰がやったか分からない形で回せ。後は勝手に広がるだろう」


 レンは続ける。


「ガキ二人は殺すなよ。傷を増やすくらいなら許すが、死なせたら価値が消える。禁忌覚醒なら女のガキは薬が要るはずだ。各街の薬師や医師を当たれ」


 レンは最後に、消えた契約札があった場所をもう一度見た。何もない。だが、そこに『何か』があった感触だけが消えない。


「確かめるまでは終われねえ……」


 呟きは小さかったが、倉にいた全員が聞き取っていた。


「行け。網を投げろ。どこかで必ず引っかかる」


 レンの金色の両眼だけが、宙をじっと見つめていた。




読んでいただき、ありがとうございます。

ブックマーク等いただけると、大変励みになります。

今後ともよろしくお願いいたします。

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