第7話「壁際の攻防と暴かれる秘密」
温室の空気は、熱気と緊張で飽和していた。
ガラス越しに差し込む陽光が、ジェラルド王子の黄金の髪を神々しく照らし出しているが、その表情は修羅のようだ。
彼はわたしの襟元を掴み、強引に立たせた。
背中が温室のガラス壁に押し付けられる。
逃げ場はない。
いわゆる「壁ドン」というシチュエーションだが、ときめきよりも生命の危機しか感じない。
「……ノエル君の匂いが、移っただけです」
わたしは声を絞り出した。
最後の悪あがきだ。
ジェラルド王子は鼻を鳴らし、わたしの首筋に顔を埋めた。
熱い吐息が敏感な肌にかかる。
背筋がゾクリと震えた。
「嘘をつくな。あちらのオメガの匂いは、熟れた果実のような甘さだ。だがお前の匂いは違う」
彼は深く息を吸い込む。
「雨上がりの森のような、清涼で、それでいて奥に秘めた花の香り……俺を狂わせる匂いだ」
詩的な表現で追い詰めないでほしい。
わたしは必死で彼を押し返そうとするが、アルファの筋力には敵わない。
彼の腕は鋼鉄のように固く、わたしを閉じ込めている。
「抑制薬を使っているな? それも、かなり強力なものを」
「……何の話でしょうか」
「しらばっくれるなら、身体に聞くまでだ」
彼はわたしの耳元に唇を寄せ、あろうことか、甘噛みをした。
「ひゃっ!?」
情けない声が出る。
そこは弱い。
身体の力が抜け、膝が崩れそうになるのを、彼の手が腰を支えて防いだ。
その手つきは、獲物を愛でるように優しく、そして執拗だ。
「やはりな。ベータならこんな反応はしない。お前はオメガだ、リアン」
断定された。
心臓が早鐘を打つ。
秘密がバレた。
この国で、身分を偽って王立学園に入学することは重罪だ。
しかも、相手は王族。
わたしは震える唇で問いかけた。
「……処刑、ですか?」
「は?」
ジェラルド王子はきょとんとした顔をした後、低く笑った。
その笑い声はお腹に響くほど楽しそうだ。
「なぜそうなる。俺がお前を殺すとでも?」
「だって、身分詐称は重罪ですし……殿下を欺いていましたし……」
「確かに罪深いな。俺をこれほど惑わせた罪は重い」
彼はわたしの顎を持ち上げ、視線を絡ませる。
「だから、罰が必要だ」
「ば、罰……?」
鞭打ちか、地下牢か。
わたしが最悪の想像をしていると、彼は妖艶に微笑んだ。
「俺の専属になれ。それが罰だ」
「へ?」
「カイルとの契約を切れ。そして俺の側に来い。俺の目の届く範囲で、一生飼い殺してやる」
それは罰というより、プロポーズに近い何かではないだろうか。
飼い殺すという単語が不穏すぎるが、処刑よりはマシだ。
いや、待て。
彼の側近になるということは、すなわちメインストーリーにガッツリ関わるということだ。
破滅回避のためにモブに徹していた努力が水の泡になる。
「お断りします!」
「拒否権はないと言ったはずだが?」
「あります! 私は、私はただ平穏に暮らしたいだけなんです! 田舎で農業をして、静かに一生を終えたいんです!」
本音を叫んでしまった。
ジェラルド王子は目を丸くした。
こんなことを言う相手は初めてなのだろう。
「農業……? お前、そんなことを考えていたのか?」
「はい。ですから、王宮のドロドロした権力争いとか、アルファ同士のマウント合戦とか、そういうのには関わりたくないんです!」
わたしは必死だった。
涙目になりながら訴える。
ジェラルド王子はしばらく沈黙した後、肩を震わせて笑い出した。
今度は声を上げて、本当に可笑しそうに。
「くくっ、ははは! 面白い、面白すぎるぞ、リアン! 農業か、そうか!」
ひとしきり笑った後、彼は涙を拭いながら、しかし真剣な眼差しでわたしを見た。
「いいだろう。お前のそのささやかな夢、俺が叶えてやる」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。ただし、条件がある」
彼はわたしの顔に手を添え、親指で唇をなぞった。
「俺の側で農業をしろ。王宮の庭でも、俺の別荘の畑でも、好きなだけ土地をやる。だから、俺のそばにいろ」
それはつまり、逃げられないということでは?
わたしが反論しようとした時、ベンチで寝ていたノエルがうめき声を上げた。
目を覚ましそうだ。
ジェラルド王子は舌打ちをし、名残惜しそうにわたしから離れた。
「……続きはまた今度だ。今日は見逃してやる。だが覚悟しておけ、リアン。俺は一度狙った獲物は絶対に逃がさない」
彼はわたしの額に口づけを落とすと、ひらりと身を翻した。
「そこのオメガの介抱は任せる。あとで保健室に運んでおけ」
言い残して、彼は温室を出て行った。
嵐が去った後のような静寂。
わたしはその場にへたり込んだ。
額に残る熱い感触が、火傷のように熱い。
『……どうしてこうなった』
農業をするという夢は認められたが、場所が王宮の庭というのは解釈違いだ。
しかも「一生飼い殺す」宣言付き。
破滅フラグはへし折ったかもしれないが、代わりに「溺愛監禁ルート」という新たなフラグが立ってしまった気がする。
目を覚ましたノエルが、不思議そうにわたしを見ている。
「リアンさん? 顔、赤いですよ?」
「……温室が暑いだけです」
わたしは嘘をついた。
自分の心臓の音をごまかすように。
こうして、わたしの正体バレと、王子からの求愛(?)という波乱の幕開けと共に、物語は大きく動き出すのだった。
平穏なモブライフは、もうどこにもない。




