第11話「王宮舞踏会と蠢く陰謀」
迷宮実習でのトラブルは何とか切り抜けたものの、学園には不穏な空気が漂っていた。
あの強化ゴーレムが何者かによって仕組まれたものではないかという噂が立っていたからだ。
しかし、その調査結果が出る前に、次の大きなイベントがやってきた。
王宮主催の秋の舞踏会だ。
本来は高位貴族と王族のための社交場だが、今回はジェラルド王子の発案で、学園の成績優秀者とその同伴者も招待されることになった。
表向きは「未来の人材育成」だが、その真意がどこにあるのか、わたしには痛いほどわかっていた。
「いいかリアン、今日こそは僕の引き立て役に徹しろよ。絶対に目立つな」
カイル様は鏡の前で念入りに身だしなみを整えている。
新しい礼服は深紅のベルベットで、彼によく似合っていた。
対するわたしは、従者用のシンプルな黒の燕尾服。
それでも素材が良いせいか、着心地は悪くない。
「わかっております。私は壁のシミになります」
「よし。行くぞ」
王宮の大広間は、シャンデリアの光と宝石の輝きで埋め尽くされていた。
オーケストラの生演奏が響き、着飾った貴族たちが優雅に談笑している。
その中心にいるのは、もちろんジェラルド王子だ。
彼は白の礼服を完璧に着こなし、周囲の令嬢たちの視線を独占していた。
隣には国王陛下と王妃殿下の姿もある。
わたしはカイル様の後ろに従い、目立たないように振る舞った。
だが、ジェラルド王子の視線が、入場した瞬間からこちらを捉えていることに気づかないふりをするのは難しかった。
「あら、ヴァイオレット家のカイル様ですわね」
声をかけてきたのは、侯爵家の令嬢たちだ。
カイル様は満更でもない顔で応対している。
その隙に、わたしはそっと会場の隅へと移動した。
人の波に酔いそうだ。
バルコニーで外の空気でも吸おうと思った時、一人の男が近づいてきた。
「やあ、君が噂の従者くんか」
ねっとりとした声。
見ると、小太りの貴族が下卑た笑みを浮かべて立っていた。
彼は確か、ゲーム内で「悪徳貴族」として登場する男爵だ。
違法な商売に手を染め、オメガの人身売買にも関わっているという設定の。
「初めまして。リアンと申します」
警戒心を隠して一礼する。
「カイル君の従者にしては、随分と上玉だね。どうだい、少し向こうで話をしないか? いい儲け話があるんだ」
「勤務中ですので、遠慮いたします」
「つれないなぁ。まあいい、これを飲んで少しリラックスするといい」
彼は通りがかりの給仕からワイングラスを取り、わたしに押し付けてきた。
断りきれずに受け取る。
口をつけるふりをして、匂いを嗅ぐ。
微かだが、異臭がする。
睡眠薬か、あるいはもっと危険な媚薬か。
この男、わたしがオメガだと知っているのか?
背筋が寒くなる。
誰かが情報を漏らしたのか、それとも単に「可愛い従者」として目をつけたのか。
どちらにせよ危険だ。
「申し訳ありませんが、お酒は飲めないのです」
グラスを近くのテーブルに置こうとしたその時、男がわたしの手首を掴んだ。
湿った手の感触に鳥肌が立つ。
「遠慮するなよ。王宮のワインは格別だぞ」
「離してください」
「痛い目を見たくなかったら、大人しく従うんだ」
彼の目が据わっている。
これはまずい。
騒ぎを起こせばカイル様の顔に泥を塗る。
だが、従えば何をされるかわからない。
その時、会場の空気が一変した。
音楽が止まり、静寂が広がる。
そして、氷を砕くような冷たい声が響いた。
「……私の客人に、何をしている」
男が弾かれたように手を離し、振り返る。
そこには、修羅のような形相のジェラルド王子が立っていた。
背後には騎士たちが控えている。
「で、殿下! これは誤解で……ただの挨拶を……」
「挨拶? 嫌がる相手の手首を掴み、薬入りの酒を強要するのが挨拶か?」
王子はわたしが置いたグラスを指差した。
騎士の一人がグラスの中身を魔法で検査する。
液体が赤黒く変色した。
「強力な自白剤と、興奮剤が混入されています」
騎士の報告に、会場がどよめく。
男爵は顔面蒼白で崩れ落ちた。
「連れて行け。地下牢でじっくり話を聞く」
王子の命令で、男爵は引きずられていった。
その一連の流れはあまりにも鮮やかで、まるで最初からこうなることを予期していたかのようだった。
ジェラルド王子はわたしに向き直り、皆が見ている前でわたしの手首を取った。
男爵に掴まれた場所だ。
「汚されたな。……浄化する」
彼はわたしの手首に唇を寄せた。
悲鳴が上がる。
令嬢たちが失神しそうだ。
カイル様は口をパクパクさせて固まっている。
国王陛下でさえ、目を丸くして息子を見ている。
「で、殿下!? 何を……!」
「私の庇護下にある者に手を出せばどうなるか、周知させる必要がある」
彼は囁き、そして大声で宣言した。
「この者は、私の個人的な友であり、重要な協力者だ。今後、彼に対する無礼は、私への反逆とみなす」
会場が凍りついた。
一介の従者に対する、王族からの最上級の擁護宣言。
それは同時に、わたしの「モブ人生」の完全なる終了を意味していた。
わたしは顔から火が出る思いでうつむいた。
ジェラルド王子は満足げに微笑み、わたしの手を引いてバルコニーへと連れ出した。
夜風が熱った頬に心地よい。
だが、事態はこれで終わりではなかった。
男爵の背後には、もっと大きな闇が潜んでいる。
そして、その闇はすでに、わたしたちの足元まで忍び寄っていたのだ。
バルコニーの手すりに止まっていた一羽のカラスが、赤い目でわたしを見つめ、不吉な鳴き声を上げて飛び去った。
それが、次なる悲劇の幕開けの合図だった。




