第10話「暗闇の熱と共有する秘密」
地下迷宮の最深部に近づくにつれ、魔物の数と強さは増していった。
わたしたちのパーティーは、ぎくしゃくしながらも何とか連携を保っていた。
ジェラルド王子の圧倒的な戦闘力と、わたしの影からのサポート、そしてカイル様の派手だが威力のある魔法。
ノエルも回復魔法で貢献し始め、即席にしては悪くない戦果を上げていた。
だが、迷宮には「イレギュラー」がつきものだ。
目的のアイテムである「月光石」が安置されている大広間にたどり着いた時、地面が大きく揺れた。
地震ではない。
広間の守護者であるゴーレムが起動したのだ。
それも、想定されていた通常のゴーレムではなく、古代の術式で強化されたミスリル製の巨大ゴーレムだった。
「なんだあれは! 話が違うぞ!」
カイル様が悲鳴を上げる。
確かに、一年生の実習に出てくるレベルの敵ではない。
学園側の設定ミスか、あるいは誰かの悪意による介入か。
ゴーレムは巨大な腕を振り上げ、天井を殴りつけた。
岩盤が崩れ、巨大な瓦礫が降り注ぐ。
「散開しろ!」
ジェラルド王子の叫び声と共に、わたしたちは四方に飛び退いた。
轟音と土煙が視界を奪う。
わたしは落石を避けるために必死で転がり、壁際の窪みに身を隠した。
激しい振動が収まり、静寂が戻る。
土煙が晴れた後、わたしは愕然とした。
広間の中央が瓦礫で分断され、カイル様とノエルは向こう側に、そしてわたしとジェラルド王子はこちら側に孤立してしまったのだ。
「カイル様! ノエル君!」
大声で呼ぶが、分厚い岩の壁に遮られて声が届かない。
微かに向こう側からカイル様の叫び声が聞こえるが、何を言っているのかは判別できない。
とりあえず無事ではあるようだ。
振り返ると、ジェラルド王子が瓦礫の山を見上げて舌打ちをしていた。
「……完全に塞がれたな。魔法で吹き飛ばすには、地盤が不安定すぎる」
「どうしましょうか。迂回路を探しますか?」
「ああ。地図によれば、この奥に通路があるはずだ。そこから合流できるかもしれん」
冷静な判断だ。
わたしたちは二人きりで、暗い通路を進むことになった。
最悪の状況だが、不思議と恐怖はなかった。
隣に最強のアルファがいるという安心感か、それともわたし自身の覚悟が決まったからか。
しかし、別の問題が発生していた。
先ほどの戦闘と落盤騒ぎで、体力を消耗しすぎたせいか、あるいは緊張の糸が切れたせいか、急激な倦怠感が襲ってきたのだ。
体が熱い。
視界が揺れる。
息が苦しい。
『まさか、抑制剤が……』
ジェラルド王子からもらった特注の抑制剤は、まだ飲んでいない。
古い市販薬の効果が、予想以上に早く切れてしまったらしい。
わたしは壁に手をつき、荒い息を吐いた。
「おい、どうした? 怪我か?」
ジェラルド王子がすぐに異変に気づき、駆け寄ってくる。
彼が近づくと、その匂いが濃くなり、わたしの理性を揺さぶる。
甘く、深く、抗いがたい引力。
「っ、来ないで……ください……」
「何を言っている。顔色がひどいぞ」
彼はわたしの拒絶を無視して、額に手を当てた。
「熱い……発熱か? いや、この匂い……」
彼はハッとして、わたしの目を見た。
わたしの瞳は潤み、焦点が合わなくなっているはずだ。
それはまぎれもなく、発情の兆候だった。
「……薬はどうした。俺がやったやつだ」
「ポ、ポケットに……手が、震えて……」
指先に力が入らない。
ジェラルド王子はわたしのポケットを探り、あの小瓶を取り出した。
そして躊躇なく蓋を開け、中身を口に含むと、わたしの顎を掴んで唇を重ねた。
「んっ!?」
驚愕で目を見開く。
口移しだ。
彼の唇から、冷たい液体が流れ込んでくる。
それは苦くもなく、甘くもなく、ただ清涼な水のように喉を通り過ぎていった。
彼が唇を離すと、銀色の糸が引いた。
わたしは呆然として彼を見つめる。
「……飲めたか?」
「あ、あなたが……何を……」
「お前の手が震えていたからだ。他意はない」
嘘だ。
彼の瞳は熱っぽく、欲望の色を隠しきれていない。
しかし、薬の効果は劇的だった。
体内の熱が急速に引いていき、霧が晴れるように意識がクリアになる。
体の震えも止まった。
「……すごい。本当に副作用がないんですね」
「言っただろう、最高級品だと」
彼は少しだけ離れ、背を向けた。
その背中が、わずかに強張っているように見えた。
彼もまた、わたしのフェロモンに耐えていたのだ。
至近距離でヒートの兆候を見せたオメガに対し、理性を保って薬を与える。
それはアルファにとって、拷問に近い行為だったはずだ。
「……ありがとうございます、殿下。助かりました」
「礼には及ばん。お前を襲うのは、お前が俺のものになると自分から言った時だけだ」
彼はぶっきらぼうに言い、歩き出した。
わたしはその背中を追いかけながら、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
彼はただの傲慢な王子ではない。
その強引さの裏には、確かな理性と、不器用な優しさがある。
それに気づいてしまったことが、わたしにとって最大の「誤算」だったのかもしれない。
通路の先で、カイル様たちと合流できたのは数十分後のことだった。
壁の向こうからカイル様の泣きそうな声が聞こえた時、わたしは心底ほっとした。
だが、ジェラルド王子との間に生まれた「秘密の共有」という空気感は、合流した後も消えることはなかった。
ノエルが不思議そうにわたしと王子を見比べる。
カイル様が嫉妬の炎を燃やす。
しかし、わたしと王子の間には、誰にも踏み込めない不可視の線が引かれてしまったようだった。
暗闇の中で交わした口づけの感触は、薬の味と共に、わたしの記憶に深く刻み込まれていた。




