サイレンサー(1月11日・1)1
シルヴァー+クロイツは足を止めた。
扉を開けたその向こうは完全な火の海だったのだ。
とっさに鼻と口を両手で覆うも、遠退く意識。
目の前には炎。
その赤と熱が、いやが上にも忌まわしい戦場の記憶を呼び戻した。
息を詰めるといつもの頭痛が襲ってくる。
彼は舌打ちを繰り返した。
耳鳴りが酷い。
悲痛な叫び声が耳の奥にこびり付いていて、今も激しく鳴り響くようだ。
あれは……もう四年も前の事になろうか。
頭の中に、あの時の霧が立ち込める。
※ ※ ※
戦場は地獄だった。
人としての心など一瞬で失くしてしまえる所だ。
自分が銃の一部にでもなってしまったかのような錯覚すら覚える。
でなければ、人は殺せない。
そんな場所で彼は育った。
凍りついた心に微かなぬくもりが蘇ったのは、その声を聴いた時。
遠くから細く、小さく──。
それは少女の泣き声だった。
この戦場に、それは異質な声だった。
銃撃が止み、炎が消えかけた森の中を彼は月明かりを頼りにそちらの方へと進む。
霧深い森、しかし今しも消えてしまいそうなその声を放っておく事は出来なかったから。
茂みを掻き分け、死体を幾つも跨いで、木々に燻る炎を越えてやって来た。
そこに居たのは色素を失くしたような真っ白の小さな少女。
声をあげてしゃくりあげる。
両目から流れる涙は血の色──怪我をしているのか?
「おい……」
声をかけると、びくりと全身を震わせて少女は怯えを見せた。
近くの村の子だろう。
戦闘の巻き添えになり親を亡くしたのだろうか。
彼は少女を助けた。
感情を失った冷たい精神に、初めて人の心が芽生える。
助けられたのは、少女だけではない。
むしろ彼の精神──助けられたのは凍り付いた彼の心そのものだった。
その時は当然の保護欲だと思えたのだ。
痩せた子犬が全身を震わせ、縋るような眸でこちらを見詰めてきたら、誰であれ放っておく事はできないだろう。
少女をこの地獄から連れ出そうと彼女を抱きかかえ森を去り、少女の眸を医者に見せてやりたくて部隊を脱走した。
明かに未熟児の少女は自分の名を忘れていた。
完全に記憶がないわけではない。
日常会話、一般常識、自分の年齢などは覚えているのだが、保護された前後の状況も自分の名前、住んでいた所や家族の名も言うことはできなかった。
「ごめんなさい……」
問うと、少女は全身を震わせながら謝った。
一時的な記憶障害であるらしかったが、このままでは不便である。
少女をどこへ、誰の手に返せば良いかも分からず、街から街へ。
小さな部隊で追っ手などかかる筈もない脱走兵が、まるで何かに怯えるように移動を繰り返したのだった。
それは彼女の記憶、そして何より深刻な、眸の医者を求めての行動だった。
──真霧。
名付けたのは彼だ。
霧の中で出会ったから。
語彙が貧困であまりにも単純なその発想に、我ながら嫌になる。
しかし名を与えられた少女は、その時初めて彼に笑顔を見せたのだった。
※ ※ ※
銃発射時に音が鳴る仕組みは以下の通りである。
銃口部から高速で噴き出される発射ガスが銃声となるのだ。
つまり発射ガスを逃さないようにすれば音は出ない。
サイレンサーの仕組みは、ごく簡単に言えばその原理を応用したものなのである。
目の前は火の海。
地下の扉を開けた途端、静寂は消えた。
銃撃と悲鳴。
怒涛のように。




