ドクター咲良(サクラ)(1月10日・3)1
インターフォンが壊れている事に、客人は気付いた。ならばと鉄製の扉を叩く彼の手が、ふと止まる。
おかしい。室内から怒鳴り声が聞こえる事に気付いたのである。
男女の声だ。この部屋の住人は男1人の筈。さては女でも連れ込んで、あげく痴話喧嘩でもしているのか?
いや、あの男にそんな甲斐性はない筈だ。元来のツメの甘さから、また厄介事に巻き込まれているに違いない。
「こりゃ面白いや」
ニヤリと笑ってドンドン激しくドアを叩く客人。
暫くしてから扉がおずおずと細く開けられる。隙間から顔を出したのは色素の乏しい幼い少女──真霧であった。
「どなたですか」
落ち着きなく不安そうな様子で不意の客人を見上げる。廊下に立っていたのは若い男。
無論、真霧が初めて見る顔だ。顔立ちや風体を注意するより先に、まずその目に視線が釘付けになる。男の眼球は、不自然なピンク色だったからだ。
「降夜の彼女? かわいいね」
軽い調子でそう言って、当たり前のように入って来るのを真霧は慌てて押し止めた。
「ま、待って。あなた誰ですか」
「ん? おれは……」
言いかけて男はぎょっとしたように少女を見据える。
「大丈夫? 白目、まっ赤だよ」
真霧はゴシゴシ目を擦った。確かに両目がちょっと痛い。
「夕べからあまり寝てないの」
シルが攫われたのが昨日の夕方。
それ以来ずっと彼を探し回って、ろくに寝ていない。だが、そんな事情を何もこんなピンク目の男に説明する必要もあるまい。
降夜の知り合いらしいが、さて、どうしたものか。
自分が追い返すわけにもいかないと、ちらりと部屋の方に視線を送ったその時だ。
凄まじい発砲音が耳を劈いた。
「あああっ?」
肝を潰したピンク男が甲高い悲鳴をあげて抱き付いてくるのを、少女は迷惑そうに振り払う。
真霧はもうこの騒ぎに慣れてしまっていた。
吹きっ曝しの室内では案の定、ゴルトが暴れている。
今度はキレて銃を乱射していた。降夜が叫びながらその場で跳ね回っているのは、銃口を向けられる度に左右に飛んでいるようだ。
「な、何考えてんですか! 気分良さげにパンパン撃ってるけど、それで人が死ぬんですよ!」
「黙れ、クソ野郎」
四方八方に向けていた銃口を、最後は口に突っ込まれ降夜は「モガ」と呻いて黙ってしまう。ゴルトは満足気に例の台詞を吐いた。
「わたしがボスだ。わたしに従え!」
「やめてよ、ゴルトさん」
──ああ、シルの銃を変なことに使わないでほしい……。
真霧の感想は、最早そんな程度のものだった。
降夜の涎まみれになった銃なんて取り返したところで、シルは絶対使わないだろうな。
この騒ぎ、そしてここ数日で様変わりした室内に気付いたのだろう。彼女の後ろから居間に入って来た男は一瞬、身を硬直させた。
「この部屋、えらく風通し良くなったね。寒いよ……」
マフィアの女ボスの派手な銃撃のせいで、窓が完全に抜け落ちてビル風が室内を通り抜ける。
「何だ、貴様は! 暗殺者か!」
ゴルトに突然銃口を向けられ、ピンク男はギャアと叫んでその場に尻餅をつく。
「あ、コンタクトが!」
男は素っ頓狂な声をあげた。弾みで落としたらしい。蹲るようにして床を撫で回す。
「あ、みんな動かないで! コンタクト、あの色、特注で高いんだよ」
「手伝います」
手伝おうとしゃがみ込んだ真霧は、おかしな姿勢で顔を床にくっ付けていた男の顔を間近に見て小さく首を傾げた。
彼の眼球は黒かったのだ。
カラコンがなかったら意外と地味な顔だなぁ。失礼な事を考えながら床を見るが、彼女も目は悪い方だ。床の上のそんな小さな物、なかなか見付からない。
「麻倉じゃねぇか、久しぶりだな」
黒目の男は顔を上げた。ゴルトの銃口から解放され、疲れ切った表情の降夜を認める。
「止めろよ。本名で呼ぶなよ。ドクター咲良! それで通ってんだから」
よくそんなインチキ名を考えたもんだと、降夜が失笑した。




