心臓(1月10日・1)3
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ゆっくりと瞼を開くと同時に、全身を鈍痛が襲った。
目の前に広がっていた緑色の光は失せ、色彩のない灰色の街が覆い被さるように聳えるだけ。
全身が重い。
目の前が霞むのは雨のせいばかりではあるまい。
ブラッドはごしごしと顔を擦った。
抗争の流れ弾を喰らって、脳震盪を起こして倒れていたのだ。
「すまない、カンナ……」
助けると言いながら、こんな道端で寝ているなんて。
ふらつきながら立ち上がる。
それほど長い間意識を失っていたとは思えない。ほんの数時間……。
でもそれは無駄な時間だ。
路地から出た途端、目の前を通りすぎたパトカーに彼は怯えた。
運転席に座っていた男があの脱色刑事に見えたから。
一先ずどこかに身を隠さなくてはなるまい。どこへ逃げても相手に迷惑をかけると分かっていたが、姿を隠すにはやはりそこしか思い付かなかった。
ブラッドは『シリアルK』に向かった。
女刑事に言われるまでもない。弟の店を中心に事件が起きているのには気付いていた。
犯人があの中にいるという考えにはピンとこなかったが、カンナのためにあらゆる事態を考えなくてはならない。
店は閉まっていた。
弟の名を呼びながら扉をドンドン叩くが、中から反応はない。
営業時間外でも大抵店に居座っているKだが、今は裏手にある自分の部屋にいるのだろうか。
また、近くでパトカーのサイレンが鳴った。大男は身を硬くする。自分を探しているのだろうか。まさか、そんな大規模な態勢で?
──すまない。
呟いて、彼は店の窓を割った。
なるべく音を立てないように窓全体にコートを被せて、数回に分けて軽く拳でガラスを叩いてヒビを入れてから割るのだ。
巨体に似合わぬ俊敏な動きで店内に侵入してから、ブラッドは怪訝そうに首を傾げる。
──オレが暴れたからだろうか。
昨日捕まった時、自分と咲良は抵抗して随分暴れた。
だから店内がこんなに散らかっているのか。
いつもきちんと並べられている椅子やテーブルが壊れて床に転がっている。
誰も人が居なくて照明が落ちた暗い店内というのは、彼にとっては初めて見る光景だ。
きっと夕方から皆で掃除をして、夜になったら店を開けるつもりでいるのだろうと彼は人の良い解釈をした。
水を飲もうと水道の蛇口を捻った時だ。
ブラッドの耳がピクリと動く。僅かな空気の震えを感じたのだ。
次いで、裂くような女の悲鳴が店内に響き渡った。
「助けてっ!」
その声がカンナのものではないという事だけは分かる。
身構えたブラッドの前に、店の奥から走り出てきた小さな姿がぶつかった。
「ど、どうした」
双子の片割れだ。髪が黄緑……ということは姉のライムの方か。
彼女は突然目の前に現れた傷だらけの大男の姿に驚いたのか、さらなる金切り声をあげた。
落ち着け、頼むから落ち着いてくれ。何度か繰り返し宥めると、彼女はようやくこちらを認識したようだ。
必死の表情でブラッドの手を取り、引っ張る。彼の手が手錠で拘束されていることに構う様子はない。
「あたしたち、カニを……。カニ取りにきたら。こっち、こっちよ。大冷凍庫に……」
店の奥の狭い空間は倉庫とスタッフルームになっている。これまでブラッドも入ったことはない。
ライムは彼の手を引っ張ってどんどん奥へと進んで行く。
「お、おい。これは……」
ブラッドは咳き込んだ。
これは血の臭いか。急に強くなった生臭いその臭いにゴホゴホと噎せ返る。
臭いの元はコンテナのような箱の前で一際強くなった。
ライムが怯えたようにその前で立ち止まる。
店の用語として「大冷凍庫」と言っているのは知っていたが、それがこんなに大きな物だとは。
庭に置く物置のような大きさだ。冷凍庫という表現よりも倉庫と評した方が相応しい。
──ここにこんな物があるなんて知っていたら、もっと早くに見に来ていた……。
嫌な予感に身を震わせながら、彼は半分開いたその扉の隙間に身を滑らせた。
凍える冷気は、冷蔵というより冷凍用のそれだ。
中には血の臭いが充満している。




