爪(1月9日)1
三日目。今日は爪が送られてくる日だ。
早朝。
街に立ち込めた灰色の霧が少しずつ晴れていく。
犯罪で摂理が成り立っているこの街は、やはり夜が中心となっている。
この時間は誰もが寝静まっているはずだった。
しかしながら裏道の外れ──雑居ビルの1階に店舗を構えたここ『ネーベン・ガッセ』、通称『シリアルK』は別のようである。
営業中の看板こそ出していなかったが、中からは騒々しい叫びが聞こえていた。
「はい、ノコギリを持ってきましたよ」
朝っぱらからガチャガチャと大工用具のケースをひっくり返しているのは店の主人であるKだ。
それをひったくるように手に取ったのは美容整形医、ドクター咲良であった。
「危ないから動くなよ。ったく、最悪だ。てか、こんなチャチなノコギリなんかで手錠の鎖が切れるかよ!」
彼の右手は、手錠で大男の左手に繋がれていた。
鍵穴のあたりを中心にボコボコとへこんでいるのは、固いものを何度も打ち付けたからだろう。
しかし引っ張ろうが叩きつけようが、手錠が壊れる気配などない。
「くそっ、なんでおれがこんなヤツと手錠で繋がれなきゃなんないんだよ。どんな罰ゲームだよっ」
咲良が相当苛ついているのが分かる。カラコンを装着し続けたせいか白目は充血しているし、滑らかだった顎にも髭が生えてきている。
丸一日寝ていないのが見て取れた。
「兄さん、もう一度よく探してごらんなさい。どこかに手錠の鍵があるかもしれません」
手錠に繋がれた片割れの巨きな背をKが叩く。
ポケットはもちろん、シャツの中まで何度も見た。早朝からこのやりとりを幾度繰り返したかしれない。
「すまない……」
ブラッドは気の毒なくらいに巨体を縮めてうなだれていた。
口を開けば言う言葉は同じ。
「本当に、すまない」
2人の男は本日何度目かの溜め息をついた。
「樹楽さん、工具セットから一番大きいニッパーを取って来てください」
後ろから覗き込んでいたクレイジーダンサーが「あーい」と伸びをして店の奥へ向かった。
ブラッドが何となく居心地悪そうに樹楽から視線を逸らせる。
そのFカップの豊かな胸の半分以上がシリコンだと知って、こんな状況ながらも申し訳なく思っているようだ。
「ち、違いますよ」
聞いてもいないのにKが早口で喋り出した。
「樹楽さんがボクの部屋に泊まっていたのは、彼女が夕べ飲みすぎて寝てしまったので、それで仕方なく部屋に運んで……。別に何もありませんよ」
「そんなの聞いてないし!」
咲良が毒づく。
無駄だと知りながらも、尚もノコギリを動かした。しかし手錠の鎖がこんなもので切れるはずもない。
「ムリ。切れない。映画で見たアレ? 自由になりたかったら自分の腕を切り落とせってヤツ?」
嫌味のつもりで言うと、ブラッドが低く呻いた。
「必要なら、オレの腕を切る」
「……何、真顔で言ってんだよ」
咲良はノコギリを放り出した。どっと疲れが出て、その場に座り込む。
「兄は冗談が通じないんです。やはり警察を……。あの女性刑事を呼んで鍵を外してもらいましょう」
「ダメだよ。理由を話さなきゃならないだろ」
「確かにそうですが……」
警察には出来るだけ関わりたくない。
この街に住む者は、警察と聞くとどこかやましい気持ちが起こるのを隠せないのだ。
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