1.ブラッド・ヴェルク【MÖRDER(殺人)】1話 その目(1月7日)1
裏道の建物沿いに鉄色の車が止まっていた。
軍用車両FAVスコーピオンだ。バギータイプの車両が雨に打たれている。
車の側には汚れたビルが建っていた。一階の入り口には小さな看板。擦れかかった文字は、ネーベンガッセと読める。
ドイツ語で「裏道」という意味の店だ。
赤錆の浮いた扉。
不用意に開けると、雑な喧騒に耳をやられるだろう。
コンクリート剥き出しで色彩の乏しい店内は酒の臭いに満ち、西欧やアメリカの音楽が大音響で流れていた。
客は数人だ。まだ夕方の早い時間ということもあって、スタッフの数の方が多い。
目を引くのは狭い店内スペースの半分を占めるステージである。
茶色の髪をしたストリッパーがクレイジーダンスと呼ばれる激しい動きで腰をくねらせていた。
トイレでクスリをキメてきたばかりの男が舞台によじ登って一緒に踊りだす様を背後に、カウンターに1人の巨きな男が背を丸めて窮屈そうに座っている。
顔中傷だらけのその男は、ごつごつとした両掌の中に鮮やかな色彩を隠していた。
指の隙間から漏れるのは、木漏れ日の色をした薄い緑色の光だ。
男の手の中で小さく瞬く、それはビデオカメラだった。
古い型のもので、機械のサイズのわりにモニターは小さい。
きらめく緑の光。
モニターの中では、女が微笑んでいた。
薄緑の双眸をきらめかせた、華奢な女性だ。
女が何か言う。
音声は店内の騒音にかき消されてしまったが、その唇はこう動いた。
──ブラッド、と。
男の名はブラッド・ヴェルク。
2メートルを越す巨体を、出来るだけ目立たぬよう小さく小さく縮めている。
強面のうえ顔中傷だらけだ。切り傷と、銃弾が掠った火薬の跡。瞼が切れて腫れ上がっており、鼻も歪んでいるのが分かる。
物騒な空気を放つ彼に、好んで近寄る者は居ないだろう。
ところが、だ。
そんなブラッドに無遠慮に歩み寄って来る姿があった。
「機械は苦手なんじゃなかったですか、兄さん」
カウンターの内から、黄色の衣服に身を包んだ小男がブラッドに水を差し出したのだ。
「昨日、カンナがくれたんだ。使い方も、教えてくれた。簡単だ」
辿々しく喋る。傷だらけの顔に、邪気のない純真な笑顔。
はいはい、と黄色の男は苦笑した。
「まったく、こちらが恥ずかしくなるほどの間抜け面ですね、兄さん。可愛らしいストラップまで付けて」
緑色の大きな葉っぱの型をしたストラップがビデオカメラに付けられている。
「これも、カンナがくれた。カンナの、眸の色に、似ている」
「はいはいはい」
半分呆れながらも、黄色男はちらと兄を見やった。
濃い緑の葉──それは、どちらかというと兄さん、あなたの目の色に似てるんじゃないですか、と。
この鋼鉄の街に木々はない。
ブラッドの弟がこの街でチンピラ相手に酒場の経営を始めてから、そろそろ3年が過ぎようとしていた。
長くもっている方である。大抵の店は1年足らずで抗争に巻き込まれて建物が潰れるか、店長が死ぬかして姿を消す。
3年間、気の休まる時間は正直、一瞬もなかった。
そんな中で無垢な兄の存在は、弟にとって唯一の癒しになっていたのだ。
勿論そんな事、決して口にはしないが。
「そうだ。K、これを」
ブラッドが横の椅子に置いていた紙袋を、思い出したようにカウンターに乗せる。
中には黒光りするサブマシンガンが無造作に入れられていた。
「ヘックラー・ウント・コッホ社、最新のMP7が、2挺入っている。すまないが、K、今日で最後だ」
「ええ、すみませんね」
ブラッドとK──外見は全く似ていないが、彼らは実の兄弟である。
今日で最後、という言葉は言った方にとっても、言われた方にとっても重いものだ。
数秒の沈黙が2人を覆う。弟が口を開きかけては黙り込む事を何度か繰り返す間、兄はおとなしく恋人の映像を見ていた。
「夜、カンナのステージが終わったら、出発するよ」
不意にブラッドが顔をあげた。
Kが微かにたじろぐ素振りを見せる。
「特殊部隊の出勤も、今日で最後だった。ドイツでも、チェコでもいいってカンナが。緑の豊かな田舎に住もうって言ってた」
弟は諦めたように小さく息をついた。口元が微笑を作る。
「そうですね。兄さんは早くこの街から出て行った方が良い。あまり人がいいと、ここでは長生きできませんからね」
今夜は兄弟の別れの夜だった。




