(たぶん)シスコン界の頂点・スティーブンお兄様
さて、では方針も決まったことだしもう一眠りしようか、とわたしは灯りを落とすためにランプに手を伸ばした。侍女が着替えさせてくれたらしく寝衣だったので、寝るには何の障害もない。
コンコン、とドアがノックされたのは、ランプのつまみに手をかけた時だった。
誰だろう、と思う間もなくドアが開かれる。それで誰が来たのかわかった。うちの中で返事を待たずにドアを開けるせっかちさんは一人しかいない。
「スティーブンお兄様」
「シンシア! 俺の天使、起きたのか」
「うん、さっき丁度ね」
輝かんばかりの笑みを浮かべたスティーブンお兄様は、クリスお兄様と同じ濃いブロンドにわたしと同じ父譲りの紫の瞳で、顔立ちは一家の中で一番精悍だ。騎士でもないのに服の上からでもわかるほど筋肉もりもりなので、上背と相まって少々威圧感がある。まあわたしは慣れちゃってて怖くないけど。
むしろこの家で一番怖いのはお母様だ。怒っても笑顔は崩れないけどその後ろに般若が見えるからね。
大股で寝台まで歩み寄ってきたスティーブンお兄様は、当たり前のように寝台に腰かけるとわたしをぎゅっと抱き締めた。そのままつむじとこめかみに何度かキスを贈られる。わたしは数日ぶりのむちむち筋肉を堪能した。
──ああ、この弾力素晴らしい!
スティーブンお兄様は、わたしを移動含め1日中抱っこしていたいがために昔から筋トレに励んでいる、シスコンという言葉ですら生温いほどの妹溺愛者だ。わたしの小さい頃の記憶は本当にずっとスティーブンお兄様に抱っこされてる場面ばかりで、その頃から全く一ミリもぶれない。
それでも王都の学校に通う寮暮らしの3年間はちゃんと帰って来ずに真面目に学生してたし、わたしとお父様が王都にいる間は領地にて当主代理としてしっかり務め、王都に突撃してくることもなかった。貴族の責務はしっかり全うできる人だ。
「はあ……母上が禁止していなければ一緒に寝られたのに……」
「もうお兄様と一緒に寝るほど幼くな……って、あれ、ちょっと待って。スティーブンお兄様、エレナお義姉様は? もう夜なのになんでここにいるの?」
エレナお義姉様はスティーブンお兄様の奥様だ。伯爵令嬢だった方で、貴族令嬢らしくいつも微笑みを浮かべている。2年半ほど前に婚約者として紹介された時と結婚式の時、その2回だけしか会ったことがない。にも関わらず、わたしを見る目がいつもギラついていて読めない人でもある。
そのエレナお義姉様が、先月領地に帰ってきたわたしに会いにくるスティーブンお兄様を、文字通り引き摺って連れ帰っていた。お陰でスティーブンお兄様が本邸に居座ることにならなかったので大変ありがたかったのだが、まさかスティーブンお兄様、遂にプッツンして腕力で何とかしてしまったのだろうか。
わたしが青褪めたのがわかったのか、スティーブンお兄様は苦笑して背中を優しく叩いた。
「安心しろ。エレナは別邸にいる。腹に子供がいることがわかってな。それを知らせにきたんだ。そうしたら──」
「えっ赤ちゃん!? うそ、やった! 嬉しい! おめでとうお兄様!」
「ああ、ありがとう。それでな、クリスがお前を抱えて玄関に入ってきたのに鉢合わせて、俺がここまで運んだんだ。別邸には早馬を送ってあるから今日はこっちに泊まる」
それを聞いて真っ先に思ったのは、『クリスお兄様の腕は大丈夫そうね』ということだ。
それはそうと、赤ちゃんだ。わたしの初めての甥か姪。嬉しくないはずがない。わたしは早速贈り物をどうしようか考え始めた。
──うーん、出産の贈り物っていったら、やっぱり刺繍を入れた産着なんかが一般的よね。でもそれだけだと芸がないなぁ。わたしのあげられるもの……そうだ。揺りかごになる大きな編みかごを作ってあげたらいいんじゃないかな? それなら実用的だし、かなりわたしらしいよね。ローズとメアリーに相談しなくちゃ!
「──シア、シンシア?」
「えっなに?」
呼ばれていることに気づいて返事をすると、またスティーブンお兄様は苦笑していた。
さっきと顔の角度が違うな、と体勢を確認すると、いつの間にかスティーブンお兄様の膝の上に抱き上げられている。何という早業か。全く気がつかなかった。
「話は聞いていたか?」
「え、何か言ってた? ごめんなさいお兄様、もう一度言ってくれる?」
「ああ、俺の小さな天使のお願いなら何度でも。どこまで聞いてた?」
「えっと……今日はここに泊まるってとこまで」
「そうか。クリスに事情は少し聞いた。それで提案なんだが、しばらく別邸に来ないか、シンシア」
「え……?」
信じられない提案に、わたしは暫し固まった。
だって別邸には今、初めて子を身籠ったエレナお義姉様がいるのだ。前世で妊娠についての知識がいくらかあるだけのわたしにだって、そんな不安定な状況で義理の妹との同居が望ましくないことくらいはわかる。
まあ、エレナお義姉様は結構、いや、かなりわたしを好ましく思っているだろうとは知っているけど。ギラついた瞳が物語ってくれてるからさ。でもそれとこれとは話が別じゃない?
「……シンシア、聞いてたよな? お前のことは何でもわかってるつもりだが、こればかりは何度遭遇してもわからんな」
「聞いてたけど、別邸には行けないわ」
「何!? どうしてだ俺の小さな天使。別邸なら母上もいないし、夜は俺と一緒に眠れるぞ。エレナも一緒に寝たがるだろうから、三人で一緒に寝よう」
「もう子供じゃないからお兄様と一緒には寝ないわよ。ていうかなんでエレナお義姉様も一緒に寝たがる前提なの……」
「な……んだって……!?」
スティーブンお兄様のショックの受けように、わたしが間違ってるような気さえしてしまう。でも待って、常識を思いだそう。うん、普通成人した妹と兄は一緒には寝ないし、一緒に寝たいと思うこともない。わたし間違ってない。
「妊娠中の妻を気遣って優しくしてあげなきゃ駄目よ、スティーブンお兄様」
わたしが真っ当なアドバイスをしてあげたのに、スティーブンお兄様は「だからこそ別邸に来ないかと……エレナだって喜ぶし……俺だって……どうしてだシンシア……俺の小さな天使……」とぶつぶつと呟いている。
わたしが一緒に暮らしたら本当にエレナお義姉様は喜ぶのだろうか? こうなってくると普段スティーブンお兄様とエレナお義姉様がわたしについて何を話しているか気になってくるが、深掘りしたら知らなくていい世界の扉を開けそうなのでそっと疑問に蓋をした。
「スティーブンお兄様、わたしもう寝るから下ろして」
「ああ……」
まだ消沈しているスティーブンお兄様は、それでもテキパキとわたしを寝台に寝かせて布団を被せてくれた。サイドテーブルのランプの灯りも弱くしてくれる。
「……本当に別邸には来ないのか?」
「行かない。じゃあお休みなさい、スティーブンお兄様」
「そうか……お休み、シンシア。可愛い小さな天使、良い夢を」
額に優しく唇が触れて、名残惜しげに指先が前髪をくすぐっていった。
その後すぐに眠りに落ちたわたしは、一週間ぶりにエドウィン様にプロポーズされる夢を見た。
だけど、やっぱり詳細は覚えていなかった。