とりあえず現実逃避しとこう
しまった、寝た! と慌てて目を開けると、見慣れた自室の寝台の上だった。
辺りは薄暗い。外の静かな気配からすると、どうやら夜更けらしい。
「……クリスお兄様、あんなに腕プルプルしてたのにわたしの部屋まで運んでくれたのかしら」
スメキムス子爵家の本邸は二階建てで、その上わたしの部屋は玄関からかなり遠い。きっと明日筋肉痛だろうなぁ、と酷使させてしまったお兄様の腕を思いつつ、わたしは身体を起こしてサイドテーブルに手を伸ばした。
そこに置いてあったランプのつまみを回し、光量を上げる。これで部屋がそこそこ明るくなった。
この世界には前世の時にはなかった『灯り石』という不思議な石があり、これがこの世界の夜の光源のほとんどだ。鉱山から採れて、光が全く当たらない暗所に置いておくと何故か貯光する性質を持っている。少しでも光がある場所に出せば、掌サイズの石なら蛍光灯二本分くらいの光を発する。やや橙色がかった光は、なんと1年以上暗所で貯光させれば5年ほど光るのだ。最低でも丸1日は貯光させないと光らないけど、丸1日の貯光で2日間近く光るのでかなり効率が良い。
非常に不思議で便利な石なのである。
ただし、光りっぱなしだ。
なのでこの世界の照明器具は、内側か外側に布や紙などで覆いができるように作られている。前世の物に例えて言うと、ロールカーテンみたいなやつが一番主流だ。
でもわたしの使っているランプはそのどれでもない。磨りガラスになっているランプの内側に細い毛糸が何重にもなるように組み込まれていて、つまみを回すと毛糸の重なりが調整できて、自分の好きな明るさにできる優れものだ。作るのが大変らしくて数が出回っておらず、非常に高価な代物でもある。
スティーブンお兄様がどうにかして手に入れて、わたしの10才の誕生日プレゼントにと贈ってくれたものだ。このランプを見る度、触る度にあたたかい気持ちに──なるはずもなく、公爵家レベルでやっと手が届くような代物をどうやって手に入れたのかと不安に襲われる。
──スティーブンお兄様、法だけは犯していませんように……!
手遅れかもしれないと思いつつ祈ると、やっと人心地ついた。
だけど、ほっとしてそれで終わりではいられなかった。
──エドウィン様が来たのは……夢、じゃなかったわよね?
わたしは元来ポジティブな方だ。そのお陰か領地に帰ってきてからエドウィン様の夢も何度か見たけど、その全てが願望を表すかのように『エドウィン様がキラキラ笑顔で迎えに来る』夢だった。詳しい内容は覚えてないけど二回プロポーズされたし、一回はエドウィン様が来た時点で何故か既に結婚していた。そう考えると、怒っているエドウィン様がわたしの夢に登場するとは思えないし、あれは現実であった可能性が高いと思う。
なんて回りくどいこと考えずとも、現実でしかあり得ない。だって夢ならこんなにはっきりと覚えているはずがない。覚えていられるならエドウィン様のプロポーズの内容を覚えていたかった……!
閑話休題。
そういう訳で、エドウィン様がここシンシアーズに来たのは間違いない。でもそうすると大きな疑問が1つ。
──YOUは何しにシンシアーズへ? ちょっと語呂が悪いなぁ、じゃなくて。
エドウィン様が何を言っていたか思い出してみる。たしか……最初の方は覚えてないけど、長い付き合いになるとか……どうしてエドウィン様に何も言わずに領地に帰ったのかとか、いつ王都に戻るのかってことを言っていた。
ちょっと遊んでた女が領地に帰ったからといって、それを責めたり王都に戻るよう言う権利はエドウィン様にもないはずだ。というかまず、わざわざ3日近い時間をかけてスメキムス領まで来るのがおかしい。遊びならそのままフェードアウトでいいはずなのに。
──あれ、待って。長い付き合いになる?
エドウィン様は、まだわたしで遊び足りないということだろうか。そういえば夜会は必ずエスコートするって言っていたし、『社交界に迷いこんだ天使』と言われるわたしが、自分に夢中になっているのを見せつけるのが好きだったりするのかもしれない。自尊心を満足させる的な感じの……?
あまりそういうタイプには見えなかったけど、堂々と遊びだと言う人だと見抜けなかったわたしには、もうその辺はわからない。
もしくは、自分から離れるのはいいけど相手から離れられるのは許せない、ということかもしれない。いつかわたしで遊ぶのに飽きた時に自分から捨ててやろうと思ってるから、今は離れられると困る、とか……?
正直、考え続けてもこれという答えが見つかるとは思えなかった。わたしは前世でも恋愛経験ゼロどころかマイナスだし、遊び人(?)の思考がわかるはずなんてない。
事実だけをはっきりさせておこう。
──エドウィン様はわたしを王都に連れ戻したい。そのために話し合いがしたい、ということね。
さて、では大事なのは『わたしはどうしたいか』だ。
今の時点で、わたしは王都に戻りたいとは思えない。まだエドウィン様のことが好きな気持ちはなくなっていないし、今戻ったら好きな人に遊ばれてると知りながら口説かれるとかいう、恋愛初心者にはとても耐えきれない状況になる。
だからエドウィン様と話し合いはしたくない。うっかり言質取られたくないし、ないとは思うけど「命令だ」と言われたらわたしは逆らえない。今日町の店まで来たくらいなのだから、明日以降は家に来ると予想できるけど会いたくない。
幸い、ここにはお母様がいる。エドウィン様は侯爵家の嫡男だけどまだ爵位を継いでいないから、子爵家とはいえ当主の夫人であるお母様の方が立場が強い。わたしは体調が悪いことにして、エドウィン様を門前払いしてもらうことはできるだろう。
ただし、エドウィン様があちらのお父様に訴えて侯爵家当主が出てきたら詰みだ。そうなったらうちのお父様でも太刀打ちできない。
──そうなるまでは逃げてみようかな?
『問題の先送り』という言葉が脳裏をよぎったけど、わたしは気づかなかった振りをした。