番外編・結婚6年目の日常
くすん、くすん、と小さな女の子が泣いている。
わたしはソファに座り腕の中の赤子をあやしながら、またか、とちょっと遠い目になった。
ちょうど部屋に入ってきた男性が、大慌てで女の子の元に向かう。
「フェリシア、どうしたんだ? 何があった?」
「ふぇ……おとうさま、だっこ」
「ああ。お父様がいくらでも抱っこしてあげよう」
女の子──フェリシアが抱き上げられる瞬間、にやりと笑ったのをわたしは見逃さなかった。
「あのね、フェリシア、おにわ、おとうさまとみるの」
「そうか、一緒に庭が見たいんだな。じゃあお父様が連れて行ってやろう」
やっぱりこうなるか、とわたしはため息を吐いて娘の言いなりになる男──エドウィン様に声をかけた。
「ダメですよ、エドウィン様。フェリシアは自分で歩くのが面倒なだけなんです。健康な足腰は人間の基本なんですから、一緒に行くにしても歩かせてください」
「でも、シンシア」
「でもじゃありません。もう、こうなるからスティーブンお兄様に抱っこするなって言ったのに」
つい先日ロマチストン侯爵家を訪れ、ダメというのも聞かずに1日フェリシアを抱っこしていたお兄様に、わたしは恨みの念を送る。
フェリシアは、わたしとエドウィン様の初めての子だ。顔と瞳の色は完全にわたしにそっくりで、髪色だけエドウィン様の黒を受け継いだ。5才になった可愛い娘なんだけど、どうやらスティーブンお兄様が1日抱っこしたままあちこちに行ったのが楽だったらしく、父親を使って抱っこ移動を要求するようになってしまった。
しかもわたしが「行きたい所があるなら自分で歩きなさい」と注意したせいか、泣き真似してエドウィン様に抱っこをせがむという、ズル賢い手を使うようになってしまった。
──そんで親馬鹿のエドウィン様が良いように使われて、満更でもなさそうなのがね……。
今もわたしを見て悲しそうな顔をするエドウィン様に、頭が痛い。
だけど、このままでは絶対によくない。抱っこ移動に慣れてしまえば戻れないのは、わたしは実体験でよくよく知っている。わたしの場合は6才になる年からスティーブンお兄様が王都に行ってしまって、お父様が仕事している間は自分であちこち走り回っていたけど、フェリシアは大人しい性格なのでそういうことがない。このままではエドウィン様が王宮に出仕している日中は部屋に引きこもり、帰ってきた夜は抱っこ移動という生活になりかねない。あまりにも不健康だ。
わたしは心を鬼にして、なおかつ顔はにっこりと笑ってみせた。
「フェリシア、お父様とは一緒に歩いてお庭に行きなさい。エドウィン様、そのようにお願いいたしますわ」
わたしを見て急に慌て出した2人が、「おとうさまおろして!」「フェリシア、今日は抱っこはやめよう」と同時に言ってフェリシアは床に下ろされた。
エドウィン様が手を繋ごうとするのを躱し、フェリシアはそのままわたしの斜め前のソファに座る。わたしとの間に置いてある揺りかごを覗きこんで、内緒話をするように口許に手を当てた。
「パトリシア、おかあさま、おばあさまになっちゃった」
「たしかに、さっきのシンシアは義母上にそっくりだったな」
「おとうさまはへんじしないで! パトリシアとはなすの!」
「そ、そうか、ごめん……」
どうやらお母様を参考にしたのがよかったみたいだ。ていうか、子供のフェリシアはともかく、エドウィン様はいつそんなお母様に遭遇したんだろう。
「ふぇ……」
「ああ、ジェイラス、大丈夫だよ、大きい声がしてびっくりしたね」
揺りかごの中にいるパトリシアではなく、腕の中のジェイラスがぐずり始めてしまった。まだ生後半年にも満たない2人は、わたしが死ぬ思いで生んだ双子だ。パトリシアはよく眠ってあまりぐずらないけど、ジェイラスは小さな物音でもすぐに起きて泣き出す。手はかかるけど、黒髪もアイスブルーの瞳も顔もエドウィン様にそっくりで、あやすのが楽しい子だ。
「ジェイラス、おっきいこえ、こわかったね、ごめんね」
ちょっとしょんぼりしたフェリシアが、わたしの前まできてジェイラスに謝ると、そっと弟の頭を撫でる。天使か? いやこれは天使だな。
「フェリシアは良い子ね」
わたしもフェリシアを撫でてあげると、むにむにと口を動かしたフェリシアが、えへへと笑った。あぁん、うちの子まじで天使。
2人で笑い合っていると、急にわたしの隣にくっつくようにエドウィン様が座った。
「君も、いつも頑張っていてとても良い子だよ、シンシア」
「へ?」
わたしの頭を撫でるエドウィン様の手と言葉に、わたしはきょとんとしてしまう。
「君が私の妻になってくれて、私はいつも本当に幸せだと思っている。ありがとう、シンシア。愛しているよ」
そう言ってこみかみにちゅっとキスしたエドウィン様の、愛情に満ちた眼差しにきゅんとしてしまう。まったく、結婚して6年も経つのに、うちの夫はいつまで経ってもキザだ。
恥ずかしいから子供の前ではやめてほしい、と言いたかったけど、わたしはまず熱くなった顔を冷まさないといけなかった。ジェイラスを片腕で抱き、フェリシアをもう片方の腕で抱きしめる。
「おかあさま、パトリシアも」
「パトリシアは私が抱っこしよう」
一度立って揺りかごからパトリシアを抱き上げたエドウィン様が、また隣に座って末っ子を片腕に移し、もう片方の腕でわたしごとフェリシアを抱きしめる。家族全員で団子になって抱きしめあっていると、フェリシアが楽しそうに笑い、つられたようにジェイラスがきゃっきゃと笑い声をあげた。この状況でもぐっすりなパトリシアは、きっと将来大物になると思う。
子供の前であんまりイチャイチャしたくないので、わたしはこっそりエドウィン様の耳元で囁いた。
「わたしも、エドウィン様が旦那様になってくれて、すごく幸せです。愛してます、エドウィン様」
「シンシア……」
せっかく子供たちから隠すように小声で囁いたというのに、感極まったエドウィン様が唇にキスしてきて台無しだった。
「んむ、ちょっと、エドウィン様!」
「シンシア、もう一回……」
「子供たちの前ではやめて!」
「おとうさまがんばれー!」
「フェリシア、なんでお父様の方応援してるの!?」
「ほら、シンシア」
「ダメだってば!」
逃げたいわたしとキスしたいエドウィン様の攻防は、何故かエドウィン様を応援するフェリシアと、楽しそうに笑うジェイラス、熟睡するパトリシアに囲まれて、しばらく続いたのだった。
勝敗がどうなったのかって? 推して知るべし、ってやつよ。
そう、つまり……惨敗だったよ! もう!!
ここまでお読みくださりありがとうございました!
番外編もこれで終了します。
初めて書いた長編でしたが、お楽しみいただけたならとても嬉しいです。
また別のお話を投稿した時にはよろしくお願いします♪