番外編・悩める少年はシスコン界の頂点に立つ
妹が生まれた。それは俺が、家の跡取りであることに悩んでいた、9才の時のことだった。
俺はスメキムス子爵の長男、スティーブンとして生を受けた。この国では基本的に家を継ぐのは長男の役目だ。だから俺には6才の頃から家庭教師がつき、子爵家を継ぐための勉強や貴族の作法についてを厳しく教えられた。
だけど俺は、勉強が嫌いだった。別にできない訳ではないが、机にずっと向かうのがとにかく嫌で、よく脱走しては木登りしたり、うちの私兵の鍛練に混ぜてもらったり、家の敷地内の小川で釣りをしていた。そういうことの方がよっぽど好きだった。
正直、3つ年下の弟クリストファーの方が領主の適性があると思う。やつは小さい頃から本が好きで、きっと1日机に向かうこともできるだろうから。
だから俺は、きっと将来家を飛び出すんだろうな──そう、思っていた。
初めてできた妹は、小さくてふやふやと不安になる声で泣いていた。俺はどちらかというと粗野な方だと自覚があったから、怪我をさせるのも怖くて近寄らなかった。父上も母上も可愛い可愛いと言っていたけれど、まだ子供の俺には赤子の可愛らしさは全くわからなかった。
一年半ほどは、俺と妹は全く関わりを持たなかった。
その頃うちに新しく雇われた平民の私兵、ダンは3つ年上で、俺は年が近いのをいいことによく鍛練に付き合ってもらった。家を継ぎたくないとか、騎士になりたいとか、そういう愚痴を諌めるでもなく苦笑して流してくれたから、付き合いやすかったというのもある。
なんとなく閉塞していた俺の生活が変わったのは、妹が一人でよたよたと歩くようになってからだ。
乳母に連れられた妹が部屋を出るようになったので、俺と遭遇するようになった。
ちゃんと小さい人間になっていた妹は、確かに可愛い顔をしていた。けれど俺は近寄ろうとはしなかった。
なのに、俺を見つけると妹は必ず俺の方に向かってくるようになった。覚束ない足取りで急ごうとするので、毎回転んで泣いてしまう。
わあわあと泣く妹にどうしていいかわからず、初め俺は逃げるようにその場を去っていた。だけど段々、妹は泣いてもすぐ泣き止むようになって、また俺の方に歩いてくるようになった。
俺が初めて妹を抱き上げたのは、妹が──シンシアが2才になる直前だった。
その身体は小さくて柔らかくて、とても熱かった。軽いのに何故か重たく感じて、ぎゅっと抱きついて嬉しそうにきゃっきゃと笑うシンシアを、俺は初めて愛おしいと思った。
それからは、シンシアに遭遇するとこちらから近づき、両手を上げて待ち構える小さな身体を抱き上げるようになった。俺に抱っこされると上機嫌で、逆に下ろそうとすると嫌がって泣くので、シンシアが眠るまでずっと抱っこしていた。まだまだ赤ん坊に近いシンシアはすぐ眠ってしまうので、そうすると乳母が部屋に連れ帰ってしまって残念なくらいだった。
真っ直ぐで明け透けなシンシアの好意に、俺はどんどんシンシアが可愛くなっていった。家族が揃っていても「おにいたま、だっこ」と俺にだけねだると気づいた時には、俺が絶対にこの小さな天使のように愛らしい妹を守ってやらねば、と固く決意したほどだ。
あれほど憂鬱だった家を継ぐということにも、いつの間にか前向きになっていた。出奔でもしてしまえば二度とシンシアに会えないし、何よりシンシアにとって頼れる兄でありたかった。クリストファーにはその座を譲れない、という気持ちだった。
真剣に家庭教師から学び、たまに息抜きにダンに剣を教えてもらって、残りの時間はシンシアを抱っこする。そんな幸せな生活を、王都の学校に行く時まで続けた。
15になる年から3年間、王都の学生寮で暮らす間はシンシアが足りなすぎてよく枕を濡らした。3ヶ月ごとにシンシアの肖像画を送ってもらったが、絵には重さがないので成長を実感できないままだった。
とにかく身体を鍛えて、帰ったら大きくなったシンシアを1日中抱っこすることしか考えられなかった。あちこちに伝手は作ったから、まあ学校に通う目的は果たしたはずだ。
そして学校を卒業して家に帰ると、俺は当初の予定通り、1日中シンシアを抱っこして幸せな生活に戻った。
そこに水を差したのが母上だ。成人したのだから婚約者を作れと言い出した。
俺は素晴らしく可愛らしい天使の成長を見守るので忙しく、もちろんそれは断った。昔から母上には叱られてばかりなので少々押され気味ではあったが、なんとか父上の援護をもらい、シンシアが成人するまでの猶予を勝ち取ったのだ。
シンシアが13才になる頃から抱っこをたまに拒否されるようになったが、それでも1日の半分ほどは抱っこさせてくれた。俺の天使は成人しても小さくて愛らしいままで、俺はこの時間が永遠に続けばいいと思っていた。
なのにシンシアが帰ってこなくなった。
社交界デビューのために王都に向かったシンシアと父上が、そのまま王都に居着いてしまったのだ。
領主代理として仕事を任されてしまったので、父上が帰ってこないと俺は王都に行けない。なのに早く帰れと手紙を送ると、王宮に出仕しているので無理だと返ってきた。先手を打たれた俺はどうしようもなかった。
そうして泣く泣く領主代理の仕事をしているうちに、すっかり忘れていた俺とエレナの結婚式がやってきた。俺は結婚式に感謝した。シンシアが帰ってきてくれたからだ。
結婚式前日に帰ってきたシンシアを、俺はその日ずっと抱っこした。離れて一年ほどで、少しまたシンシアは大きくなっていた。その成長を見守れなかったことに歯噛みするしかない。
結婚式では、俺はずっとシンシアを見ていた。恐らくエレナもそうだったのだろう、母上が頭を抱えていたが大した問題ではない。結婚式のために着飾ったシンシアは、本当に天使だった。この姿を目に焼き付けておく以上に大事なことなどない。
翌日にはシンシアが王都に行ってしまうと聞いていたので、俺とエレナは初夜にあたるその日、2人で泣き明かした。
その後の結婚生活もそれなりにうまくいっている。シンシアが成人して一週間後に婚約者として引き合わされたエレナは、その場にいたシンシアに一目で虜になったらしく、俺とはとても話が合う。幼少期のシンシアの話を聞かせると目を輝かせる様は可愛らしく、まあ夫婦としてもうまくいっているだろう。
今俺は、クリストファーになんとかして領主教育をしているところだ。領主代理の代理としてこいつがいてくれれば、俺はシンシアに会うために王都に向かえるのだ。大半はのらりくらりと躱されてしまうが、生来頭の出来が良い弟は、もう半分以上の教育を終えている。
──シンシアの結婚式に、間に合うか?
王女がシンシアに危害を加えたことを教えてくれてから、エドウィンとは少し話をしたり手紙をやり取りしている。
俺の天使を任せるには少々頼りないかと思ったが、エドウィンがこっちにいる間に一度手合わせしてから、それなりに認めてはいる。だとしても3ヶ月後の結婚は早すぎるが。
しかしそれを決めるのは当主の父上だ。俺にはどうしようもない。俺にできることは、シンシアが嫁に行く前に何としてでも王都に行って、限られた時間を共にするくらいしかない。
母上に見つからないように、また本邸に侵入してクリストファーを連れてこよう。そして教育を進めるのだ。
──結局、弟に任せて俺は家を出るって形になるな。
出奔でも跡継ぎの座を放り投げる訳でもないから、ちょくちょく帰ってきて仕事はするけれど。
──お前の未来予想は正しそうだ、ってあの頃の俺に教えてやりたいな。
鬱々として逃げ出すことばかり考えていたあの頃とは違う、前向きな気分でそうするんだ、と。
俺を救ってくれた愛する妹に早く会うためにも、俺は手元にある書類にさっさとサインして片付けることにした。
スティーブンはシンシアがいなければ出奔してどこかの兵士にでもなっていたと思います。
序盤クリスの話があまり出てこないのは、クリスと仲が良かったのはシンシアが生まれる前くらいまでだったからです。勉強は嫌だけど弟を連れ回して遊ぶのは楽しかった時代。シンシアが生まれる頃は、将来を考え始めてクリスとはちょっと距離を置いてます。
シンシアに落ちた後は、クリスとは妹を取り合うライバルでもあるので付かず離れずという感じで落ち着きました。
この話の後スティーブンが王都に突撃できたかは神のみぞ知る。
番外編、明日の更新で最後です。




