求婚の前z……じゃなくて悪女の断罪
諸々の調査なんかを超特急で終わらせたエドウィン様から手紙が届いたのは、それから1週間後のことだった。
もちろんわたしはもう王都に戻ってきている。行き来する度にお父様とお兄様たちが泣いてちょっと面倒臭い。
ダンもまだ怪我は治っていないけどもう護衛についている。怪我しててもその辺の騎士より強いからって。それが口先だけじゃないのがダンだ。
呼び出された先は王宮、謁見の間近くの応接室だった。
ルーナが張り切って準備してくれて、わたし王女だったっけ……? と錯覚しそうになるくらい飾り立てられた。
お父様も国王陛下から呼び出されたということで、2人で王宮に向かう。道すがら聞かされ続ける賛美は右から左にしておいた。
応接室には既にロマチストン侯爵閣下とエドウィン様がいて、粛々と挨拶を──しなかった。
「久しいな、ブライアン」
「オーガスタス」
なんと侯爵閣下とお父様が親しげに名前を呼び合い、がっしと握手したのだ。この2人が仲良いなんて知らなかった。
ぽかんとしていると、エドウィン様が近寄ってきて不思議そうに首を傾げた。
「シンシアは知らなかった? 父上とスメキムス子爵は学生時代から友人なんだよ」
「全然知らなかったです。お父様そんなこと言ってなかった……んじゃ、ないかな」
正直お父様の話はほとんどスルーしている。大半がわたしを絶賛する言葉だからさ、全部まともに聞いてたらうんざりしちゃうのよ。そのお陰で、もし合間にその話をされてたら気づかないな、って思っちゃって語尾が弱まった。
「なるほど」
わたしが悪癖を発揮した可能性に気づいてか、エドウィン様はくすりと笑った。
──意図的に聞き流してたことは黙っとこう、うん。
そう決めたところで、扉付近にいた近衛兵が「国王陛下、王妃陛下、王太子殿下、王女殿下がご入室なさいます」と発した。みんなで王族向けの礼をとり待っていると、扉が開いてその4人が入ってきた。
「楽にしてくれ。……人払いを」
「は」
国王陛下に返事した近衛兵を見て、わたしはなんだか既視感を覚える。茶髪に真面目そうな顔をした男は、他の近衛兵たちをさくっと部屋から追い出して扉を閉めた──自分は内側に留まったまま。
──ということは、あの人も関係者? あっ!
その近衛兵が下げる剣に刻まれた紋章を見て思い出した。
──あの人、わたしを王宮に呼び出した人だ! あの女の護衛騎士!
今考えてみると、あの男はわたしの襲撃計画を知っていたんじゃないかと思う。わたしに仕える侍女や護衛が羨ましいって言ってたのは、主人に騎士道精神を踏みにじるような命令を下されたから、だったのかもしれない。
今もまだ敵としてここにいるのか、それとも別の立場になるつもりなのか、真面目そうな顔からは何も読み取れなかった。
全員が着席すると、護衛騎士のはずの男がワゴンからカップをとってみんなに配った。既にお茶は淹れたものが用意してあったようだ。人払いする予定だったからだろう。
席は長方形の机の短辺に一人がけのソファが2つ──国王陛下と侯爵閣下が対面で向かい合う形で座っている──と、長辺に3人がけのソファが2つ──国王陛下に近い方から王妃陛下、あの女……いや悪女殿下、王太子殿下が座るものと、お父様、エドウィン様、わたしが座るものが対面している──になっていた。
「……さて」
お茶を一口飲んだ国王陛下が声を発すると、途端に場の空気が重苦しくなった。
「ジャクリーン、何か弁明はあるか」
「っ」
名指しされて一瞬動揺した悪女殿下は、それを隠すように扇子で口許を隠した。こてんと首を傾げて甘えるように国王陛下を見る。
「何を仰っているのかわかりませんわ、お父様。それよりも、ここにエドウィン様がいらっしゃるってことは、やっとわたくしたちの婚約を認めてくださるのでしょう? ありがとうお父様」
まるで純粋な少女のように喜んでみせる悪女殿下に、国王陛下が小さくため息を吐いた。
「セオドア」
「は」
あの近衛兵──セオドアというらしい──が懐から取り出した何枚もの書類を広げて机に置いた。
「これはお前がシンシア嬢を王宮に呼び出した紙と、愚かにも彼女を害するように裏ギルドに依頼した手紙だ。両方筆跡鑑定して、既にお前の書いたものであることはわかっている」
「そ……そんなはずありませんわ! きっとこれは、わたくしを嵌めようとする……そう、そこの子爵の娘が企んだことに違いありません! ああ、ひどいわ……いくらわたくしがエドウィン様と相思相愛だからって、こんな風に王女であるわたくしを陥れようとするなんて……っ」
わっと泣き真似する悪女殿下にはもう、怒りも湧かなかった。犯罪の証拠になる手紙を代筆させないというお馬鹿加減にも、どう考えても断罪は免れない雰囲気なのに罪を擦り付けられると思っている幼稚さにも、わたしはただただ呆れ返ってしまう。
「証人もいる。セオドア」
「は。王女殿下はあの事件の前日、裏ギルドにスメキムス子爵令嬢の暴行を依頼する手紙を書かれ、私に依頼金と共にそれを運ばせました。事件当日は私に彼女を連れ出すよう命を下され、月の宮周辺の人払いを命じられました」
「なっ、あなた! 何を言っているの!? わたくしの護衛騎士なのじゃなくて!?」
「私は元々国王陛下に騎士に任命していただいた身です。それに、何の罪もない女性を害する主人には……とても忠誠を誓えません」
「あ……あなた! たかが騎士の分際で……!」
「やめなさい!」
セオドア様に扇子を投げつけようと振りかぶった悪女殿下が、国王陛下の一喝で怯んだ。そこを王太子殿下が捕らえ、肩を掴んでソファに押しつける。美貌を醜悪に歪めた悪女殿下が暴れようとするけど、王太子殿下ががっちり押さえているせいで叶わないようだった。
わたしはセオドア様を見つめる。その横顔からは何の感情も読み取れなかったけど、主人に騎士の矜持も踏みにじられた上、誇りある騎士という存在すら軽視されたのだから、きっと遣る瀬ない気持ちになっただろう。せめて証人となることで少しは心が晴れたらいいと思う。
「先週、スメキムス子爵領にてシンシア嬢を襲撃した件についても、幾人もの騎士が告発してくれた。ジャクリーン、お前は越えてはならない一線を越えたのだ」
「そんなの知りません! わたくしは悪くないわ! 悪いのは全部あの女よ!! わたくしのエドウィン様を誘惑した、あの──」
「私の発言をお許しいただけますか、国王陛下」
わたしをギラギラする目で睨んで喚く悪女殿下の声を、エドウィン様が遮った。何を勘違いしたのか、悪女殿下は目を輝かせている。
「許す」
「では……王女殿下」
「はい、エドウィン様っ」
「あなたは何か勘違いしているようです。私は人生で一度もあなたに特別な感情を抱いたこともなければ、婚約すると言ったこともない。むしろあなたに執着されて非常に迷惑していました。私が心から愛するのは、これまでもこれからも、シンシア・スメキムス子爵令嬢ただ1人です。」
「な、にを……うそ、そんなの嘘よ……」
「国王陛下の前で嘘など申しません」
エドウィン様の冷たい視線に晒されながらも、悪女殿下は「そんなわけない、嘘だ」とぶつぶつ呟いている。こんなにはっきり言っても通じないなんて、今までのエドウィン様の苦労が偲ばれる。
──というか、エドウィン様の怒りのオーラが大きくなってる気がするから、そろそろ認めてほしいんだけど。エドウィン様が爆発して不敬罪になったらどうすんのよ。さすがに見逃してくれたりするかな? そうだったらいいな!
と思っているうちにエドウィン様が切れた。
「いい加減事実を受け入れろ! いいか、私は最愛の女性が二度も害されて非常に憤慨しているんだ。お前を今ここで斬り殺さないのは、お前が王女という肩書きだからという理由でしかない!」
「え、エ、エドウィン様! そろそろ! その辺で!!」
わたしは抱きつく勢いでエドウィン様を宥めにかかった。いやだって、不敬罪……!
エドウィン様に本当に斬り殺しそうな目つきで睨まれて、悪女殿下は「ひっ」と悲鳴をあげて小さくなった。胸がすきそうな光景だったけど、わたしはそれどころじゃなかった。だって不敬罪が……!
「シンシア嬢」
「……え? あ、はい!」
名前を呼ばれたと思ってそちらを見ると、まさかの国王陛下からの声かけだった。慌てて返事をして姿勢を正す。
「私の教育が至らぬばかりに、愚かな娘があなたを傷つけた。私の責任だ。心から謝罪する」
そう言って頭を下げた国王陛下を見て、わたしはぎょっとしてしまった。だって国王よ? 貴族でさえ簡単に頭を下げないのに、一国のトップがまさかこんな簡単に謝罪なんてするとは思わないじゃん。
「だ、大丈夫! 大丈夫ですから! とにかく頭を上げてください!」
焦るわたしの言葉に頭を上げた国王陛下は、次にお父様とエドウィン様の方を向いた。
「ブライアンとエドウィンも、すまなかった。お前たちの愛する娘を傷つけさせてしまった」
「ええ、この件に関しては一生許しません」
「スメキムス子爵に同意します」
──えええ、何それ、そんなこと言って許されるの!? いや、許されてるけど! 国王陛下めっちゃしょぼんとしてるけど!!
「スメキムス子爵、エドウィン、わたくしからも謝罪いたしますわ」
王妃陛下にまで頭を下げられて、さすがにお父様とエドウィン様は攻勢を緩めた。しばらく沈黙の中で心理戦が行われたのか、結局貸し一つ、ということで場を収めることになった。
「アドルフ、そういうことだ」
「だから私も呼ばれたということですか。了解しました、父上」
──どういうこと?
国王陛下と王太子殿下のやり取りに疑問しかないんだけど、周りの様子からしてみると、どうやらわかっていないのはわたしだけらしい。訊いてもいいのかとまごついていると、エドウィン様がこっそり耳元で教えてくれた。
「これで私たちは王家に貸し一つ、ということだ。アドルフ殿下もいるのは、今の国王陛下が借りを返せなかった場合引き継いでくれるということだろうね」
「それって、口約束の中では最大級に大きな貸しでは?」
「ああ。王家の威信がかかっているからね」
「威信?」
こほん、とわざとらしい咳払いが聞こえてきてわたしはそこで黙った。改まった国王陛下が、さっきまでのしょんぼりは何だったのかというような威厳で口を開く。
「王女への罰だが……病気療養という名目で他国の施設に入れる──表向きは」
「実際は?」
「我が国最北東の山脈、その中腹にあるクーゴカン修道院に入れる」
「お父様! 嫌です!」
「大人しくしてろ、ジャクリーン!」
なるほど、とわたしはエドウィン様の言った「威信」の意味を理解して頷いた。
つまり、今回の件は公にならないということだ。王女殿下が意中の人を手に入れるためにこんな事件を起こしたと知れたら、たしかに王家の民への求心力が下がるだろう。その口止めの意味での貸しが大きいってことだ。
「シンシア嬢、この処分に不服は?」
「……いえ、特にございません」
わたしとしては、別にどんな処罰が下されようとどうでもよかった。これ以上わたしを襲ってこないなら。
わたしが頷いてほっとした様子の国王陛下が、また威厳を失ってちらちらとお父様とエドウィン様の方を見る。
「クーゴカン修道院といえば、外との連絡も取れない非常に厳しい修道院だ。険しい山の中腹にあるため、逃げ出すこともできん。罰の中ではかなり、重い方だと思うのだが……」
どう見ても言い訳だ。国王陛下がそんなに下手に出るなんて、もう訳がわからない。
「心優しいシンシアがそれでいいと言うのですから、私からは何も言いません」
エドウィン様は言葉と裏腹に冷めた目つきだ。すごく不服そう。お父様ははあ、とため息を吐いて同意するように頷いた。
「シンシアが天使のごとき優しさであることに感謝してください、国王陛下」
「ああ、とても感謝している」
「まったく、これでいくつめの貸しでしょうね」
「ま、待て待て、前回までの貸しはシンシア嬢が高位貴族からの求婚を蹴る権利にしてやっただろう。私がどれだけ、シンシア嬢を息子の嫁にしたかった当主から嫌みを言われていると思う!」
「私の貸しは高いと言い忘れていましたね、国王陛下」
「ぐ……その国王陛下というのもやめてくれ。公の場でもないのだし、こそばゆくて敵わん」
「ではそれも貸し一つということにしましょう、ナサニエル」
「勝手に貸しを増やすな!」
──こ、国王陛下とお父様って、ほんとに仲がいいのね……?
普段のなよなよしいお父様とは違う、気安い友人を相手にする姿にびっくりしてしまう。あまりにも違いすぎる。そして初めてお父様を格好良いと思った。
──デレデレしてなくて号泣しないお父様、めちゃくちゃパーフェクトなイケオジ……!
普段からこれでいてほしい、切実に。そうしたらもうちょっとお父様の話をまともに聞ける気がする。
「では、処分も決まったことだしこれで解散、でいいですね?」
これまで会話に加わらなかった侯爵閣下の一声で、これで悪女殿下の件が片付いたのだと思い出した。正直悪女殿下のことは、もう危害を加えられないと思ってからどうでもよくなってしまった。今回のこれもエドウィン様からの求婚の前座くらいの位置付けでしかない。
──ということはつまり、やっとエドウィン様から正式な求婚が……!
そういえば悪女殿下を振るのにわたしを愛してるってエドウィン様言っちゃったけど、わたしは優しいから聞かなかった振りしといてあげようと思う。
──エドウィン様、どんなプロポーズしてくれるんだろう。夜景の綺麗なレストランってこの世界にもあるのよね。そういうところかな? それともあるかわからないけど、どこかの丘の上とか……また膝をついて手にキスしてくれたりするのかなぁ……ぐふふ。
そこでぽん、と肩を叩かれて妄想の世界から帰ってきた。危ない危ない、また話を聞き逃すところだった、と肩を叩いた人を見ると、エルフのような綺麗で感情の読めない笑みを浮かべた侯爵閣下がいた。
「私の娘になる令嬢への攻撃を許したんです。しばらくは仕事の代行はしませんから、キリキリ働いてくださいね、ナサニエル」
「そ、そんな……! やめてくれガス! 文官たちに私が恨まれる……!」
「今回ばかりは聞きません」
「ナサニエル、私もしばらく出仕しません」
「ブライアン! そんなこと言わないでくれ! 私が書類仕事苦手なのは知っているだろう!? お前たちが補佐してくれないと、私も部下たちもみんな徹夜になる……!」
──国王陛下のこんな情けない姿、わたし知っちゃってもいいんだろうか?
侯爵閣下に娘になる──つまりエドウィン様との結婚を匂わされた──と言われて照れる気持ちも、その衝撃の姿で吹っ飛んでしまった。
あと、大体お父様の貸しの内容がわかった気がする。
王太子殿下の素晴らしい体術によりがっちり押さえ込まれた悪女殿下を尻目に、青くなった国王陛下により侯爵閣下とお父様への説得はしばらく続いた──。