朝チュンってこうじゃない!
ピチピチ、チュンチュンと鳥が鳴いている。瞼の向こうにうっすらと光が射して、爽やかな朝の雰囲気が感じられた。
「んんぅ~……あさ?」
──あれ? わたし、昨日いつ寝たんだっけ? なんか身体がだるい……もうちょっと寝てもいいか──あ!?
「エドウィン様っ!? あいった……!」
がばっと勢いよく起き上がったものの、全身に走る筋肉痛でそのまま前のめりに倒れる。筋肉痛だけじゃなくて非常に身体がだるいし熱っぽい。
周りを見回してみると、見慣れた自室だった。昨日の覚えている限りの記憶とこの状況からすると、どうやらわたしはエドウィン様に抱きしめられて寝落ちし、そのまま自宅に送り届けられたようだった。
「ああ……全然締まらない……さすがわたし。くうぅ」
いくら襲撃にあったとはいえ、急に寝こけるなんて恥ずかしい。それに絶対エドウィン様を困らせた。今度会ったら平身低頭して謝るべきかもしれない。
「お嬢様! お目覚めになりましたか!?」
「んぇ?」
突然声をかけられて顔を上げると、廊下に繋がる扉の前にルーナがいた。洗面器を抱えている。
「よかったです……! お嬢様は熱を出されて、昨日の午後からずっと寝込まれておいでだったのですよ」
ばたばたと走り寄ってきたルーナが、洗面器を置いて寝台に枕を積み始めた。ぼうっと見ていると「失礼します」と断ってからわたしの身体を抱え、積んだ枕に凭れかからせてくれた。さっきよりずっと身体が楽だ。
「ありがとう、ルー……じゃなくて!」
「わっ」
近くで大声を出したせいでルーナをびっくりさせてしまった。でもそんなことに構っていられない。わたしは手を伸ばしてルーナの肩や腕をぺたぺた触って怪我がないか確認する。
──ルーナも昨日、襲われてたんだよね!?
全身確認するくらいの勢いだったけど、途中でルーナに手を掴まれて断念するしかなかった。
「お嬢様、わたくしは大丈夫ですわ。馬車の扉から眠り薬の草を放り込まれただけですから。怪我はしておりません。それよりもお嬢様ですよ! 昨日もあんなに体調が悪そうだったのに、また無茶をする羽目になって……! 本当に、ご無事でよかった……!」
「ルーナ……」
わたしの両手をぎゅっと握ったまま泣き崩れるルーナに、わたしまでうるっとしてしまう。
襲撃はわたしのせいではないけど、心配をかけてしまったことは申し訳なく思う。そういえばルーナもダンも昨日はやめておけと言っていたのに、わたしはそれを聞かなかったな、と思い出す。
「あの、ごめんね、ルーナ。日を改めた方がいいって言ってたのに、わたし……あっ、ダン、ダンは!?」
途中で日を改めた方がいいと忠告した片割れの存在を思い出し、わたしは慌ててルーナに訊ねた。ダンは昨日ずいぶん酷い怪我をしていた。今どうなっているのだろうか。
「ダンなら……今は自室で休んでいるはずですわ。昨日ダンの傷の手当てをしたお医者さまが夜に様子を見るためにいらっしゃって、2日は安静と言いつけておりました」
「怪我はどうなの?」
「怪我自体は大したことはないそうです。血をたくさん失ったので、とにかく栄養をとって休むようにと」
「よかった……」
怪我をしたことも失血死を恐れるくらいに血を失ったことも、それ自体は全くよくないけど、とにかく命が無事で本当によかった。
わたしが安堵のどでかいため息を吐いていると、ルーナがおでこで熱を計ってくる。
「熱はほとんど引いたようですわね」
ほっとしたように呟いたルーナの手が、そっと頭を一撫でしていった。年上の侍女には、ずっと昔から妹のように大切にされている。ルーナが侍女になってくれてからしばらく、まるで姉ができたようで嬉しくてべったりくっついていたのを思い出す。少し気恥ずかしい。
それからルーナが洗顔と身体の清拭をしてくれて、新しい寝衣に着替えるとさっぱりした。
食欲はあまりなかったけど、ルーナの圧に逆らえずパン粥を少し食べてまたうとうとして起きると、すっかり日が高くなっていた。気分も爽快だ。筋肉痛はまだ治ってなかったけど。
ルーナが見張っているのでまた昼食のパン粥をもそもそ食べていると、スティーブンお兄様が乱入してきた。
「俺の小さな天使!」
「抱っこ不可、あーんも不可」
「何故だ、何故なんだ俺の可愛い天使……!」
開口一番でやりそうなことを拒否したら、スティーブンお兄様が床に崩れ落ちた。面白い。
スティーブンお兄様はどうやら忙しかったらしく、手短に昨日何故エドウィン様といたか、の理由を話して泣きながら部屋を出ていった。お父様ほど号泣してるわけじゃないからまあ、いっか。
それによると、どうやら王都であの女──悪女殿下ね──が不穏な動きをしていると気づいたエドウィン様が、スティーブンお兄様に手紙を送ったらしい。シンシアに危害を加えるつもりかもしれない、すぐに自分も王都を発つ、と。
──つまりスティーブンお兄様に王宮での襲撃事件について教えたのも、エドウィン様だったってことね。こちらでの襲撃前日、スティーブンお兄様が言ってた「間に合うか」というのも、エドウィン様の到着が間に合うか、ということだった、と
それでエドウィン様がこっちに着いてすぐスティーブンお兄様と合流して、本邸に行ったらわたしが出掛けてたもんだから、クリスお兄様も一緒になって追いかけてきたらしい。
──それで案の定わたしが襲われてるんだから、エドウィン様、先読み力すごすぎん? いや、それだけあの女に苦しめられたってことなんだろうけど。
今さらだけど、エドウィン様が助けにきてくれなかったら今どうなってたかと思うと、ちょっと怖くなってきた。
「ルーナ、もう食べられないから下げてくれる?」
「はい……あら、でも朝よりは食べられましたね」
ルーナはワゴンに食器を戻してハーブティーを淹れてくれた。レモンっぽい爽やかな香りを楽しんでいると、ルーナが「あ」と突然何か思い出したように声をあげる。
「ん? どうしたの?」
「そういえば昨日、ロマチストン侯爵ご令息が帰り際に──」
コンコン、と扉が叩かれたのはその時だった。
「お嬢様、ロマチストン侯爵ご令息がお見えになりました。お会いになりますか?」
「え、エドウィン様が!?」
「あああ、お嬢様遅くなって申し訳ございません! 昨日ロマチストン侯爵ご令息が帰り際に『明日の昼過ぎにまた来る』と仰っていらっしゃいました!」
タイミングが良いのか悪いのか、さっきちょうどルーナが言いかけていたのはこれだろう。慌てているルーナを見ていたら、エドウィン様の突然の訪問に動揺していたけど逆に冷静になった。
わたし寝込んでたし、伝えるのが遅くなってもまあしょうがないよね、って感じだし。
わたしは大丈夫とルーナに頷いてみせた。昨日思いを確かめ合った──はずの──エドウィン様に会うと思うと心が浮き足立ってくる。それを押さえつけようと、わたしはできる限りの威厳を漂わせて口を開いた。
「会うわ」
意気揚々とそう言ったものの、部屋を出ることはできなかった。何せ病み上がりなもんで。
とりあえず簡素なドレスに着替えて、寝室の隣の居間──貴族基準でいうと有り得ないくらい狭い──でエドウィン様が来るのを待った。
しばらくするとまた扉がノックされて、執事が来客を告げる。ソファから立ち上がりルーナに扉を開けてもらうと、エドウィン様がぐいぐい部屋に入ってきた。
──まだわたしどうぞって言ってないけど!? エドウィン様もけっこうせっかちさんなのかもしれないな。
「わざわざ部屋まで足を運んでいただいて、光栄に存じますわ」
執事がいるので丁寧に迎えると、エドウィン様は不思議そうに首を傾げ、ちらりと周りを見て執事に目を止めると頷いた。察しがよすぎる。
──いや、執事もわたしの素は知ってるんだけどね。執事長が淑女らしくしないと口うるさいから、報告されて面倒な人の前では猫を被るのが癖になってるのよね。
「いや、こちらこそご令嬢の居室にまで押しかけてしまってすまない。君のことが心配で夜も眠れず……無作法を許してもらえるだろうか」
エドウィン様はわたしの前に跪き、恭しくわたしの右手を持ち上げた。
「ゆっ、ゆ、許しますぅ」
「寛大な心に感謝を」
手の甲にエドウィン様の唇が優しく触れる。はぁぁん。
──わたし大丈夫? 目がハートになってたりしない?
なってそうな気がしたけど、元に戻すのは無理そうだ。だって憧れていた光景がまさに今目の前で展開されているのだ。ときめかない女なんていなくない? やばくない? 語彙消えるくない??
「まだ体調は万全ではないだろう。シンシア、どうか座って」
「ふぁい……」
ときめきの余韻でぼんやりしていると、エドウィン様がわたしの肩を抱いてソファに座らせてくれた。そのままエドウィン様も真横に座る。
「昨日は意識を失った君を見て肝が冷えたよ。少し元気になったようで安心した」
「ふぁい……いえ、はい」
少ししゃっきりしてきて周りを見ると、もう執事はいなくなっていた。ルーナがにこにこしながらお茶を淹れている。
──あれ、ルーク様はいないの? 護衛騎士もいないけど。
不思議に思って首を傾げると、エドウィン様が決まり悪げに咳払いした。
「んんっ……その、抜け出してきてしまった。すぐに帰らないといけないんだ」
「ええっ。いいんですか、それ」
「シンシアにいくつか訊ねたいこともあったから」
「それは、はい。答えますけど」
「ではまず……」
わたしに会うための口実かと思いきや、エドウィン様からの質問は今回の事件に関わるものだった。
あの女とエドウィン様が婚約するって話はどこで聞いたのかとか、王宮に呼び出された経緯の詳細とか。そういえばと思って、まだ持っていた招待状をエドウィン様に渡すと、「どうやら直筆だ。証拠がまた増えたな」と冷え冷えする笑顔を浮かべてくれた。格好いいけどこれがわたしに向いたらと思うと恐ろしくてしょうがない。
それとなんとびっくり、わたしが王宮のお手洗いで聞いた、あの女とエドウィン様の婚約だとかの話はまるで嘘だった。いや、あの女は腐っても王女なんだから、エドウィン様とのことを外野が──真偽は別として──噂くらいしててもおかしくないと思ったんだけど、どうやらそういう噂なんて全くなかったらしい。むしろ王族に近い高位貴族なら、エドウィン様があの女を避けていることは公然の秘密なのだそうだ。
根掘り葉掘りわたしに訊いた結果、エドウィン様はあのご令嬢たちを特定したらしい。また恐ろしい笑みで「なるほど、あれと……では残りはあそこの家か。……どうせ余罪はある。ついでに叩いてやろう」なんて呟いていた。もちろんわたしは減刑を進言──しなかった。だってこの怒りがこっちに向いたら困るもん。わたしは自分の身がかわいい。
「さて、では訊きたいことも訊いてしまったし、私は帰るよ」
エドウィン様は寂しそうにわたしを見ながらそんな風に言う。反則級に可愛い。わたしはエドウィン様のほっぺをちょん、とつついて微笑みかけた。
「では……次は王都で、ですね?」
「……ああ。準備が整ったらすぐにでも」
「楽しみにしてます。色んな意味で」
にっこり笑ってみせると、エドウィン様の頬が少し赤くなった。求婚のことを思い出したんだろう。わたしまで照れるからやめてほしい。匂わせたのわたしだけど!
「王宮で……君に会えるのを楽しみにしている」
わたしの手を取って頬に押しつけてはにかむエドウィン様は、まるで少年のように可愛らしかった。
──まあ、まずやろうとしてることは断罪、下手したら私刑だけどね……!
そんなことは一旦頭からぽいして、わたしはエドウィン様と見つめ合って微笑み続けた。