真相解明
「最初からなら……そうだな。私があの女……王女殿下と初めて顔を合わせたのは、もう10年ほど前になる。その初めて会った時に『お前と結婚してあげる』と言われたのが始まりだった」
「うげえ、その時王女殿下って7才かそこらでしょ? そんな上から求婚あり?」
どうやら本当に事の始まりから話してくれるらしいエドウィン様に、一瞬大人しく聞こうとしたけどつい口を挟んでしまった。だってまだ幼児の域を出ない子供がそんな言い方するなんて、突っ込みどころしかないじゃん。
「ああ、私も子供ながらに非常に不愉快だった。だから王妃の出自を理由に絶対に断ってくれと父上に頼んだんだ。しかしあの女は諦めなかった。私が王宮に行けばべったりしてきて離れないし、毎日のように茶会への招待状が届いた。周囲に誤解を与えないためと言って茶会には一度も参加しなかったが、手紙は毎週必ず届いた。どんな理由をつけて返事を遅らせるか、ずっと頭を痛めていたよ」
「うわあ、とんでもな……」
「とんでもないのはここからだ。父上から国王陛下に話を通してもらって、1年ほどで手紙は来なくなったんだが……母上が開く茶会や夜会に、あの女は招かれてもいないのに参加するようになった。そしてずっと私の傍を離れないんだ。辟易して、本当は侯爵家を継ぐ者として参加は義務なんだが、それから私は茶会にも夜会にもほとんど参加しなくなった」
──悪女殿下、エドウィン様にどんだけ迷惑かけ続けんのよ……って、今もまさにそうだったわ。
「そのうちに私も成人して、婚約相手を見つけるために夜会に出るようになった。婚約が進んだ令嬢はいなかったが、それなりに話をする令嬢は数人いた。……その数人の令嬢は、いつしか見かけなくなっていた。調べてみると、家が没落していたり令嬢が家に引きこもってしまっていたりで……おそらくあの女が何かをしたのだろうと、すぐに思い至った。いたずらに被害者を増やすわけにもいかないと、私はまた夜会に出るのをやめた」
「そんな……」
2度も襲われたわたしも、きっとあの悪女がやったんだろうと思う。でもそれはあの女──もうわたしもこれでいいや──が悪いのであって、エドウィン様は何も悪くない。悲痛な面持ちのエドウィン様の手を、わたしはぎゅっと握る。
「エドウィン様のせいじゃない。あなたがそんな顔をする必要はないわ」
「……ありがとう、シンシア」
少し口の端を持ち上げてみせたエドウィン様は、さっきよりずっと深刻な顔で俯いた。
「でも……ここからは私のせいだ」
「エドウィン様、」
「聞いてくれ、シンシア」
覚悟を決めたらしいエドウィン様が、顔を上げてわたしをじっと見た。真剣な表情に気圧されて頷いてしまう。
「私は以前から、早い内にあの女の婚約を整えた方がいいと、父上を通して国王陛下に進言していた。でなければいつ問題を起こすかわからない、と。そして国王陛下がそれを聞き入れてくれたのが、今年になってからだった。そしてあの女の婚約は整った──わたしが君に会う前日のことだった」
「……えっ? じゃああの女、もう婚約者いるってこと!?」
「そういうことだ。まだ発表されていないが、北の小国の第二王子が相手だ。国王陛下からあの女にもその話をしたと聞いたから、私はまた夜会に出たんだ。さすがに婚約したとなれば無茶なことはしないだろうと……それが浅はかな考えだと気づかないまま」
「エドウィン様……」
「君が……あのボタンを拾ってくれた時、私はきっと運命だと思った。舞い上がってしまったんだ。君を傷つけることになるとは思わずに……すまない、私は本当に愚かだった」
「エドウィン様!」
握ったままの手をぐいっと引っ張って、わたしはエドウィン様の目を近くから覗き込む。そんな風にエドウィン様が自分を責めるのは許せなかった。悪いのはあの女なのに。
「運命かはわからないけど、わたしだってエドウィン様に会えてよかったです。エドウィン様ほど優しくて素敵な人は他にいません」
「……シンシア」
それから黙りこんだエドウィン様は、ごそごそとポケットを探り始めた。取り出した掌の上には、あの木のボタンがあった。
「これは……我が家の幸運のボタンなんだ」
「幸運の……ボタン?」
急に話が変わったことに戸惑いつつ、わたしは『幸運のボタン』を見つめる。そんなご利益がありそうには見えない。
「元々、これは母方のお祖母様の持ち物だったんだ。お祖母様が成人して間もない頃、とある夜会に参加した時に、引っかけてドレスからこのボタンが外れてしまった。それを拾ったのが、若かりし頃のお祖父様だったそうだ」
「え、てことは……」
「そう、2人を引き合わせたのがこのボタンだ。そしてお祖母様は年頃になった母上にこのボタンを譲った」
「へえぇ、それで?」
少女漫画みたいな展開に、わたしは前のめりになって続きを促す。エドウィン様は嬉しそうに笑った。
「母上はこのボタンを夜会に出る時に必ず持っていたそうだ。お守りのようにハンカチに包んで。しかしある時、ハンカチを取り出した際にうっかり落としてしまった。……そしてそれを拾ったのが、独身時代の父上だった」
「ひゃあぁ、すっごい!」
──なにそのロマンチックな展開! ……ん? ロマンチック……なんだか、何かが引っかかるような……?
一瞬気をとられたが、すぐにエドウィン様が続きを話し始めたのでどうでもよくなった。
「これは幸運のボタンだと母から譲り受けたのは、私が成人してすぐだった。それ以来ずっと持ち歩くようにしている。……これ、割れているだろう?」
「そうですね、ちょっとひびが……」
「譲り受けた時は割れていなかったんだ。何度目かに参加した夜会でうっかり落としてしまって……どこかの令嬢に踏まれてね」
「えっ、なにそれ、ひどい!」
憤慨するわたしを宥めるように、エドウィン様はまた手の甲にキスを落とした。あらやだ、ときめいちゃう。
「その時令嬢たちは言っていたよ。『このゴミはなんだ』『こんな古くて汚い物がどうしてここに』って。私が拾い上げるとみな黙ったけどね。それ以来、私はこのボタンに期待はしていなかった。大事なものではあるけれど、きっと私に運命的な出会いはもたらしてくれないだろうと」
「あ……」
わたしを見つめるエドウィン様の瞳には、熱っぽい光が灯っていた。
「でも違った。このボタンは私と君を出会わせてくれた。令嬢たちがゴミとまで言う古くて汚いボタンを、君はわざわざ拾ってくれて……大事なものだと認めてくれた。君のその心の清らかさに、私は一瞬で恋に落ちたんだ」
ボタンを拾っただけで溺愛なんて、と思っていたけれど、そのボタンはエドウィン様にとって本当に大事なものだったんだ。
あの時疑問に思っていたことが解消されてすっきりすると同時に、大事なものをそう言えずに隠し持っていなければならなかったエドウィン様が切ない。
「運命でもそうじゃなくても、私こそ君に会えてよかった。君ほど優しくて明るくて、心まで美しい人はいない。君に出会えたことが、私の人生で最も幸運なことだ、シンシア」
嬉しそうに目を細めたエドウィン様に見つめられて、わたしは何だか泣きたくなった。
──嬉しくて泣きそうなんて、ほんとにあるんだ……。
でもまだ泣く時じゃない。話は全然終わっていないのだから。
わたしはぎゅっと目を瞑り何度か深呼吸をして、エドウィン様をまっすぐに見た。
「エドウィン様、わたし……昔からずっと悪癖があるんです」
「悪癖?」
「はい。考え事しはじめると話が聞こえなくなってしまうんです。でも聞いてそうな感じで頷いたり笑ったりして、話を聞いていないことが周りに全然わからない状態に……」
「……なるほど」
エドウィン様はそれで全てを察したようだった。深く頷いている。
「自分がすっかり聞き逃したくせに、遊ばれてるんだって思い込んで逃げてすみませんでした!」
勢いよく頭を下げると、いつの間にボタンをしまったのか空いているエドウィン様の手が、わたしの肩をそっと……いや結構がっしり掴んで引き上げた。強制的に起こされた先に、わたしを食い入るように覗き込むエドウィン様がいた。
「そうか、つまり……シンシアは求婚を拒んだわけではない?」
「はえっ、求婚!? 何の話ですか!?」
びっくりして聞き返してから、そういえばつい先日エドウィン様に「求婚しないから安心してくれ」とかいう、意味不明なことを言われていたことを思い出した。
「あの時……遊びなんて冗談だと言ったあとに、私はこう言った。『こんな場所ではなく、もっと良い場所で……君に最も似合う首飾りを贈るつもりだ。できれば、すぐにでも』」
「首、飾り……」
一瞬なんのことかと思いかけ、すぐにエドウィン様の言う首飾りの意味を思い出した。
──求婚する時に贈る首飾りのことだ……! もう高位貴族かつ昔気質の家しかやってる人いないって家庭教師が言ってたけど、たしかにロマチストン侯爵家ならやりそう! ん? ロマチストン……ロマ、チスト、ン……ロマン──。
「そこで君が首を傾げたから、私は聞いているかと声をかけた。それに対してシンシアは『大丈夫』だと言ったから、私は首飾りを贈っても大丈夫だと……つまり求婚を受け入れてもらえたのかと思ったんだ。しかし君はすぐに領地に帰ってしまって……本当は求婚されたくなかったのだと、私は思い込んでしまった」
「あ、そ、そうなんですね。わたしが話を聞いてないばっかりに、どうもご迷惑をおかけして……」
なんか一瞬思いついた気がしたけど、自分のやらかしに小さくなってペコペコしている内に忘れてしまった。
──ていうかわたし、本当にとんでもないこと聞き逃してるじゃん! うわあ、たしかに求婚をがっつり匂わせたあとに逃げられたら、それが原因だって思ってもしゃーなしって感じするわ。エドウィン様ほんとにごめんなさい!
「いや、そもそもはあの女のせいで求婚状を送れなかったのが原因だ。そうでなければ、私はシンシアと初めて植物園に行ったその日に求婚状を送るつもりだった。父上に止められたが」
「侯爵閣下に?」
「あの女に今バレるのはまずいから駄目だと。父上は、こうなることがわかっていたんだろうな……私もきちんと考えていればわかったはずだった」
またちょっと落ち込んでるエドウィン様の頭を、わたしは撫で撫でしてあげた。だって大型犬がしょぼんとしてるようにしか見えないんだもん! こんなの撫でてあげたくなっちゃうに決まってる!
エドウィン様がちょっとはにかんで、わたしまで照れてしまった。
「だがもう、あの女に阿る必要はない。証人も証拠もこちらの手の内だ。シンシア、この件が片付いたら……今度こそ君に、首飾りを贈らせてくれないか?」
そこまで言うなら「愛してる」の一言があってもいいと思うけど、たぶんエドウィン様は求婚の時にそれを言いたいんじゃないかな、って考えると何だか可笑しくなってくる。
「ええ、大丈夫ですわ、エドウィン様」
「えっ……今のは、聞いていたか? 何ならもう一度言って──」
「あっははは! 本当に大丈夫です、エドウィン様。あの女とっちめるんですよね? そのあと……楽しみにしています」
「ああ、シンシア!」
パッと顔を輝かせたエドウィン様が、わたしの背中に腕を回してぎゅっと抱き寄せた。わたしの大好きなシトラス系の爽やかな香りに包まれる。
──楽しみも嬉し涙も、もう少しあとで、だね。
どうやらあの女に制裁を加えるための手札は揃っているようなので、きっとすぐだろう。
わたしはその時を思い浮かべてエドウィン様の肩に頭を凭れさせ──そのままスコンと寝落ちた。らしい。