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あの男、満を持さずに登場


 子爵令嬢らしい装いをする間に時は過ぎ、すぐにお出かけの時間になった。

 お兄様と馬車に揺られて久しぶりのお出かけだ。お母様の目がないせいか、当たり前のようにクリスお兄様はわたしを膝に乗っけて座っている。スティーブンお兄様はだいぶムキムキだけど、クリスお兄様は細身で筋肉質ではない。わたしは平均より頭半分くらい小さいとはいえ、成人女性をずっと抱えているなんて重くないのだろうか。


「楽しみだね、可愛い僕の天使」


 にこにことずっと笑っているクリスお兄様を見て、わたしは疑問をぽいっと放り投げた。気にするだけ無駄だわ、これ。


 うちの領地は編みかごによってめちゃくちゃ儲けているので、子爵としては破格の裕福さがあって、買い物はだいたい商会を呼びつける。だからわざわざ町に出てお店に行くの自体も久しぶりで、わたしも凄く楽しみだ。


 ──まあ、たぶんクリスお兄様によって着せ替え人形にされるだろうけどね。ちょっとだけ覚悟しておこう。



 と思った3時間前の自分を殴ってやりたい。

 何がちょっとだ。贔屓の仕立て屋について採寸した後──身長が2年前より5センチも伸びていた!──そこからひたすらクリスお兄様に言われるがまま、店員さんに服を着せられて脱がされるの繰り返し。もうやめて、とっくにわたしのライフはゼロよ! と何度叫びそうになったか。

 家だったら自室に逃げられるけど、店ではそうはいかない。それが仇となった。


 ──だからって3時間はやりすぎじゃない!? お兄様が満足するまで付き合うのはもうこりごりだよ!


 やっと宝飾品店に行くからと切り上げられた時には、貴族令嬢にあるまじき虚ろな目をしていたかもしれない。

 ちょっとぐったりしてお兄様の腕にしがみついて店を出る──と、ここにいないはずの人がそこに立っていた。


「え……」

「シンシア……その男は誰だ」


 何故か非常に険しい顔だし聞いたことがないくらい声が低いけど、こんな美貌と美声は間違えようがない。一月前にわたしのことを遊びだと悪びれもせず言ってのけた男──エドウィン様がそこにいた。


「え、え……?」

「随分仲が良さそうだな?」


 わたしは疲れきっているのもあって全然頭が働かなかった。何故王都から馬車で3日近くかかるこんな場所にエドウィン様がいるのか、そして何故エドウィン様がこんなに険しい顔をしているのか。疑問で脳の容量がいっぱいで、何か訊ねられているのはわかるけど、その声は耳を右から左に抜けていった。


 ──もしかして、わたし着せ替え人形に疲れすぎて寝ちゃったのかな。それで夢でも見てる?


 考えることを諦めて一旦現実逃避してみる。古典的な手法だけど頬でもつねってみるか、とわたしが手を上げるより早く、視界を誰かの背中が遮った。


 いつの間にか組んでいた腕が空っぽになっている。クリスお兄様だ。


「お初にお目にかかります……エドウィン・ロマチストン侯爵子息、でよろしいですか?」

「……ああ。私を知っているのか。どこの家の者だ」

「僕はスメキムス家の次男です。それで、侯爵家のご嫡男ともあろうお方が、僕の可愛い妹に何かご用でしょうか」

「次男……そうか、シンシアから『クリスお兄様』の話は聞いているよ。私はエドウィン・ロマチストンだ。これから長い付き合いになる。よろしく頼む」

「ほお……長い付き合いに」


 なんだか変だ。誰にでも人当たりの良いクリスお兄様の声色が、妙に尖っている気がする。でもクリスお兄様の背中から出ようとすると後ろ手でガードされてしまって、わたしは会話に加われずに聞いているしかない。


「少々シンシアと話をさせてもらいたいんだが」

「残念ながら、僕達はこれから予定がありますので」

「少しでいい」

「時間が押していまして」


 クリスお兄様はとりつく島もない態度で、わたしは冷や汗が出そうだ。エドウィン様は横暴ではないけど、高位貴族相手にこんな不遜な態度をとったら罰せられてもおかしくない。お兄様はいったいどうしてしまったのだろう。


「あの、クリスお兄様……」

「しーっ、シンシアは少し黙っていて。大丈夫、お兄様が何とかしてあげるからね」

「なんとか……? 大丈夫ってなに……?」


 クリスお兄様が何を言いたいのかわからなくて、わたしは困り果てた。


「シンシア! 顔を出してくれ。少し話がしたいんだ」

「おっと、シンシアの顔色が良くないな。どうやら体調を崩してしまったようなので家で休ませます」

「クリストファー、」


 エドウィン様が何か言いかけたけど、それを無視したクリスお兄様はなんと、わたしを振り返ったと思ったらお姫様抱っこしてきた。スティーブンお兄様で慣れてるから、わたしは慌てず騒がず首に腕を回す。


 ──ちょっと腕がプルプルしてる気がするけど、これは言わないであげた方がいいよね。


「シンシア!」


 障害物になっていたクリスお兄様に抱き上げられたので、エドウィン様の顔が見えた。さっきみたいに怖い顔はしていなくて、でも何だか必死にわたしを見つめている。

 たった1ヶ月会わなかっただけなのに、エドウィン様と楽しく過ごしていた時間がもう遠い昔のことのように思えるくらい、すごく久しぶりな気がした。

 少し顔色が悪く見えるエドウィン様の、変わらず綺麗なアイスブルーと目が合うと、胸がぎゅうっと掴まれたように苦しくなった。


 ──エドウィン様、何だか痩せたみたい。何かあったのかな。それにこんな所までどうして来たんだろう。


 気にはなったけど、わたしは所詮遊ばれるだけの女だ。そんなことを訊ける訳がない。胸がツキツキと痛んで、わたしはクリスお兄様の首に顔を埋めた。

 馬車は店の目の前に停めてあったから、すぐにお兄様によって馬車の中に運ばれた。


「シンシア! どうして私に何も言わずに領地に帰ったんだ? いつになったら王都に戻ってくる?」


 御者は貴族を無視することに不安そうな顔をしつつ馬車の扉を閉めて、そこでエドウィン様の声が遮られた。少しの間を置いて馬車は問題なく動き出して、くぐもったエドウィン様の声も次第に遠ざかっていった。


「シンシア……僕の可愛い天使。泣かないで」


 クリスお兄様に言われて、わたしは自分が泣いていることに気がついた。視界がぼやけて、頬を滑り落ちていく生ぬるい水が気持ち悪い。


 受け入れたはずなのに、わたしはまだエドウィン様に愛されていなかったという事実に傷ついている。もう1ヶ月も経つのに。

 どうして心とはままならないのだろう。自分の単純さとか馬鹿さとかが嫌になってくる。


 クリスお兄様の胸にぎゅっと抱きつくと、それよりも強い力で抱き締められた。

 優しく髪や背中を撫でられて、昔怖い夢を見てクリスお兄様の寝台に忍び込んだ夜のことを思い出す。わたしが前世の記憶を思い出す前、6才の頃の話だ。その時クリスお兄様は12才で、今考えれば子供だけど、当時のわたしにとっては大人みたいなものだった。夜中に起こされたのに怒らず一緒の布団に入れてくれて、わたしを抱き締めてずっと「もう怖くないよ」と囁いて背中を撫でてくれた。

 当時15才で王都の学校にいたスティーブンお兄様が、それを3年後に帰ってきて知ってからが大変だったことも思い出す。「俺もシンシアと一緒に寝る!」とわたしをスティーブンお兄様の寝台に毎夜拉致して、それを知ったお父様も「私もシンシアと一緒に寝る!」と騒ぎだして、結局、お母様がわたしは誰かと一緒に寝るのを禁止したお陰で騒ぎは収束したんだっけ。


 楽しいことを思い出して涙は止まったけど、寝かしつけられた思い出を回想したせいか何だか瞼が重くなってきた。

 抗おうと瞼に力を入れたのに、全くどうにもならなかった。瞼開け、瞼開け~、と念じている間に、わたしの意識はすこんと途絶えた。


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