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スティーブンお兄様とクリスお兄様


 あの事件から9日。

 わたしは今、スメキムス子爵領に戻ってきている。


 あの後、怖い顔をしたお父様に家まで連れ帰られ、次の日の朝には領地行きの馬車に乗せられた。誰からも連絡がないので捕まった男たちがどうなったのかも、王女がどうなっているのかもわからないままだ。


 一昨日まではお父様やエドウィン様から手紙が届くかも、と待っていたけど、全くもって梨の礫すぎて諦めた。お父様なんてちょっと前までわたしが領地にいる間は2、3日に1回手紙を送ってきてたくせに、情報がほしい時に限って送ってこない。本当に残念なイケオジだ。

 待ちくたびれたわたしはお父様にどうなっているか教えるようにと手紙を出し、ついでにローズとメアリーにも手紙を出した。エレナお義姉様に贈る揺りかごの試作がどうなってるか気になってたからね。


 そしてローズから返事がきたのが今日だ。メアリーとの連名になっている。それによると、なんとたった2週間ほどの期間でもう試作が完成しているという。ぜひ確認してほしいと言うので、わたしは喜んでお家に伺うと返事を書いた。


 ローズとメアリーにはわたしの正体を隠しているので、手紙のやり取りは下働きの平民の娘を経由してもらっている。ルーナに手紙を渡してその娘にまた頼むよう言いつけると、もうわたしは手持ちぶさただ。本を読む気にもなれなくて、ソファの背もたれに寄りかかって天井を見上げる。


「はぁ……。なんか、もやもやして嫌な気分……」


 エドウィン様のこと、王女殿下のこと、襲ってきた男たちのこと、それから──夢に出てきた前世のトラウマ。

 それらがずっとぐるぐると頭のどこかを巡っていて、わたしに休むことを許さない。


 王都のことはさっき手紙を送ったから、あとはその返事待ちだ。けれどトラウマの方は考えたくない。思い出したくもない。

 なのに、喉に引っ掛かった小骨のようにずっとわたしのどこかに存在していて、そろそろちゃんと向き合わなければならないという気もしている。


「……大したことないのに。わたしは傷ついてなんかないし、あんなのただの人生経験の1つだし。……なのにどうして、トラウマになってるんだろう」


 その理由を考えたくない。だからわたしはずっと忘れようとしていたのに。


「あーあー、もうやめやめ! せっかく時間あるんだから、刺繍でもしようっと」


 無理矢理思考を逸らそうと大きな声で呟くと、わたしはソファから立ち上がった。それと同時に扉がコンコン、とノックされる。


「は──」

「シンシア!」


 返事をする前に扉が開いて、スティーブンお兄様が部屋に入ってきた。相変わらずのせっかちさんだ。


「お兄様、ごきげんよう」

「ご機嫌が良いわけないだろ! 襲われたんだって!? どうして帰ってきてすぐ俺に連絡しなかったんだ! 今からでも遅くない、俺の天使に狼藉を働いた者どもをぶちのめして──」

「どうどう、お兄様。もうその人たちは捕まったからいいの」

「お前は天使のように優しいからな! だが俺はよくない! シンシア、本当に怪我はしてないのか?」


 肩をがっしと掴まれて鬼のような形相で覗き込まれると、ちょっと威圧感がすごい。退いてもらうのが不可能だとわかっているわたしは、逆に手を伸ばしてスティーブンお兄様に抱きついた。あぁん、たまらない筋肉。

 スティーブンお兄様もわたしをぎゅっとしてくれて、優しく頭を撫でてくれた。


「すまない、怖がらせたな……しかも迂闊に思い出させるようなことを……許してくれ、俺の天使」

「許す許す」


 なんか勘違いしたスティーブンお兄様が大人しくなったので、わたしはそれに乗っかってしまう。スティーブンお兄様が王都に突撃しても困るし。

 でも、こんなに取り乱すほど心配してくれるのは嬉しい。


「お兄様、心配してくれてありがとう。でもわたし、本当に大丈夫だからね。1人はわたし自分でやっつけたし。もう1人も……すぐに助けに来てくれた人がいるから」

「そう……そうか。お前の言葉を信じるよ」


 ちゅっと頭のてっぺんにキスしたあと、スティーブンお兄様はわたしをそっと離した。それから少し屈んだと思ったらわたしの膝裏を抱えて、ひょいっと抱っこした。お姫様抱っこではなく、スティーブンお兄様の腕に座るような形だ。慣れっこのわたしはさっとスティーブンお兄様の首に腕を回し、安定する位置に収まる。

 でもさすがに、もう子供ではないので視線が高くてちょっと怖いな、と思う。スティーブンお兄様の頭より上にきちゃうからね。


「気分転換に少し散歩でもしよう。昔みたいに」

「いいけど、わたし自分で歩けるよ」

「俺が抱っこしていたいんだ。いつまでも俺の小さな天使じゃない……だろ……?」

「そりゃあそうだけど……なんでそんなに落ち込んでるの?」

「ずっとここにいてくれてもいいのに……」

「わたしだって結婚したいからイヤ」

「……」


 ──まあ、できるとは言ってないけどね。


 すっかり暗雲を背負ってしまったスティーブンお兄様に運ばれて、わたしは子爵邸自慢の後庭に出た。ちなみに自慢する相手は特にいない。ここ家族と使用人しか出入りできないし。

 でもここは素晴らしい庭だ。いつ来ても花が咲き誇っていて、木だって枝の一本も飛び出ないように剪定されている。低木で作られた迷路もあって、小さい頃はよくここでお兄様たちと鬼ごっこをしたものだ。


 ──今から考えると、相当手加減されてたよね、あれ。


 懐かしい記憶に微笑ましい気持ちになる。そこでふと、おかしなことがあったと気がついた。


 ──あれ? スティーブンお兄様は、いったいどうやって王宮での襲撃事件を知ったの?


 まだこれから捜査するからと、わたしはお父様に口止めされて誰にも話していない。ルーナやダンもそうだ。お母様とクリスお兄様に宛てたお父様の手紙でも、何かの事件があったくらいしか書いていないはずだ。そうお母様が言っていた。


 ──じゃあ、スティーブンお兄様は他の人に聞いた……? でもそもそも知っている人もほぼ近衛兵とかその上層部しかいないはずよね。守秘義務的なやつがあるのに、わざわざ他家のお兄様に手紙を送って事件を知らせる理由なんてある? そう考えると、やっぱりお父様から聞いたって方が自然かな?


 お母様やクリスお兄様には教えなかったのに、どうしてスティーブンお兄様にだけ教えたのか、という疑問はあるけど、次期当主だから、という魔法の言葉で納得した。

 でも一応、スティーブンお兄様にも訊いてみよう、と肩をトントンする。


「シンシア、どうした?」

「お兄様、事件のことはお父様から聞いたの?」


 口止めされてるので小さい声で、スティーブンお兄様の耳元にくっつくようにして訊ねると、ぎゅっと感極まったように瞼を閉じたお兄様が、わたしより小さな声で答えた。


「……手紙でな」


 やっぱり、と思ったわたしは頷いた。まあ、目を瞑ってるスティーブンお兄様には見えないけど。

 立ち止まったスティーブンお兄様は、ほう、と悩ましげな吐息をもらしている。ちょっと気持ち悪い。


「なに?」

「いや……俺の小さな天使が内緒話をしてくれたのは、一体何年ぶりだろうと……」

「それ以上言うなら下りるけど」

「いや、あー、その……今日は良い天気だな!」

「見事な曇り空だけどね」


 誤魔化すのに失敗したスティーブンお兄様は「ハハハ」と乾いた笑い声をあげる。


「あー……そうだ。俺の天使は、しばらく本邸にいる予定か?」


 ものすごい強引な話題転換だったけど、わたしは気分がいいので付き合ってあげることにした。


「そうね。そのつもりでいるわ」

「そうか! 実はな、エレナが愛しの天使から出産祝いをもらうだろうから、お返しにタペストリーに刺繍したものを渡すんだって意気込んでな。邪魔できない雰囲気なんだ。それで俺も暇で仕方ない」

「ちょ、ちょっと待って、お兄様」

「ん?」


 お返しの品を勝手にバラすのはまあいいだろう。しかし、出産まではまだ半年以上はあるはずなのに、もうお返しの準備? とびっくりして思わず止めてしまった。


「えっと、まさかもう、刺繍始めてる、とかじゃない……よね?」

「ああ、刺繍はまだだ」

「そっか、そうよね」


 ほっとしたのも束の間、スティーブンお兄様はとても良い笑顔で宣った。


「今は図案を考えてるところだ。刺繍にも半年はかかるサイズからな!」

「えええ……」


 ──いや、おかしいでしょ! 妊婦って赤ちゃんのための刺繍とかおくるみ作りとかそういうのに時間割くものじゃないの!? なんでわたしへのお返しのためだけに半年以上も時間使うのよ!!? どんなサイズのタペストリーよ!!??


 と思ったけど、これ言ったら知らなくていい世界の扉を開けてしまうかもしれない。お口にチャックが正解。きっとそう。何なら聞かなかったことにしとこう。


 ──うん? もしかして、スティーブンお兄様は暇だから毎日本邸に遊びに来るって言いたいの?


 にこにこしてるスティーブンお兄様を見て、そういうことだと確信する。


「明日か明後日くらいに、たぶん友達から手紙が届くからちょっと出掛けてくると思うけど、それ以外なら暇潰しに付き合ってもいいよ」


 きっと喜ぶだろうと思ったのに、わたしがそう伝えるとスティーブンお兄様は難しげな顔になった。


「明日か明後日……間に合うのか?」

「間に合う、って?」


 問い返すとハッとしたスティーブンお兄様は「何でもない」と首を振った。どう考えても何でもなくはないんだけど、問い詰めようとしたところで後ろから声がかかった。


「シンシア、兄上」

「クリスお兄様」

「クリス! 久しぶりだな」


 天の助けとばかりににこやかに話しかけるスティーブンお兄様に、クリスお兄様が訝しげな顔で歩み寄ってきた。


「ええ、兄上は我が家の天使がいなければ本邸に寄りつきませんからね」

「あー、まあ、いや……うん」


 スティーブンお兄様、どう見ても劣勢。たしかにお母様も言ってた。わたしがいない間、スティーブンお兄様とほとんど顔を合わせなかったって。

 わたしを際限なく甘やかしたり、わたしが大人になるまではって婚約者も作らなかったお兄様に、お母様はよく説教していたから、きっと未だに苦手意識みたいなものがあるんだと思う。嫌ってるわけでも仲が悪いわけでもないけど、スティーブンお兄様がお母様と顔を合わせると、いつ説教をされるかとそわそわしてるもん。


「母上の怒りが爆発しないうちに、せめて晩餐への招待を受けてください。僕がとばっちりを食います」

「……わかった、そのうちな」

「エレナ義姉上はしばらく別邸から動けないでしょうから、兄上にだけ晩餐の招待状を送るよう母上に進言しておきましょう」

「……頼んだ」


 がっくりしているスティーブンお兄様に、クリスお兄様がしてやったりと笑う。仲はそこそこ良いんだけど、自由人のきらいがあるスティーブンお兄様のせいで、クリスお兄様は巻き込まれたりお母様から余分に説教食らったりして、たまに意趣返ししたくなるみたい。

 可愛い兄弟のじゃれ合いみたいなものだ。


「あ、あの低木の迷路、懐かしいな」


 クリスお兄様の言葉に、スティーブンお兄様がさっと復活した。


「そうだ。久しぶりに鬼ごっこでもしようか」

「いいですね」

「わたし、手加減されまくるのわかっててやりたくない」


 あれは子供だったから許されたけど、今あんな接待鬼ごっこなんかされても嬉しくはない。ていうか鬼ごっこて。みんな成人してる兄弟の遊びだろうか?


「じゃあ、シンシアは俺に抱っこされたままでいい。それくらいのハンデがなきゃお前は俺に勝てないだろ? クリス」

「……いつまでも子供と思ってると泣きを見ますよ、兄上」

「ふふふ」

「ははは」

「え? うそ、ほんとに?」


 わたしの言葉なんかもう届かず、何かのスイッチが入ってしまったお兄様たちによって、わたしはそれから一時間あまりもがっくんがっくん揺さぶられることになったのだった……。


 ちなみにスティーブンお兄様の全勝だったと思うけど、わたしは後半意識朦朧としていたので定かではない。

 案の定と言うべきか、スティーブンお兄様が言っていた謎の言葉への疑問は、揺さぶられる脳ミソからこぼれ落ちていった。



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