敵陣にこんにちは
3日ぶりの王宮に着くと、あの日の出来事が色々と甦ってきて胸が締め付けられる。
しかし感傷に浸る間もないほど、使者に案内されるがまま広い王宮を足早に歩かされた。
ちょっと息が切れた頃にようやく立ち止まり、近衛兵が守る扉の前でルーナとダンと別れた。ここから先は、メイドが1人ついてくるようだ。まさか使者と2人きりに? とちょっと不安だったのでよかった。
「約束の時間まで少しあります。ゆっくり歩いていきましょう」
「はい。王宮はとても広いので、そうしていただけるとわたくしも助かりますわ」
「エスコートは必要でしょうか」
「いいえ、騎士様の腕を占領するなど恐れ多いですわ。ご遠慮いたします」
「わかりました」
そうして、ようやくゆっくりと歩くことができた。
おそらくだけど、さっきまで急ぎ足だったのは早くお父様を呼びに行かせるためだ。そしてここからは、たぶん時間稼ぎ。
この使者は、何故かわたしに降りかかる不利益を軽くしようとしてくれている。理由はわからないし訊ねられもしないけど、誰かに気遣ってもらえるのはそれだけで嬉しい。
少し迷ったけど、わたしは口を開いた。
「使者様、ありがとうございます」
「……いえ、特にお礼を言われるようなことはしておりません」
「わたくしがお伝えしたかっただけです」
「……本当に、そのお礼を受け取る権利は私にはありません」
そう言う使者さんの表情はやや暗い。理由を訊きたいけど、たぶん教えてはくれない気がした。
「わたくしが言いたかっただけなので、受け取られなくても構いませんわ」
「……」
ますます使者さんの顔色が悪くなって、わたしはもうそれ以上何も言えなかった。
しばらく無言で歩いていると、中庭に面する外廊下に出た。
ここがおそらく月の宮の中庭、なのだろう。広い王宮に見合った広さで、あちこちに花や植木があって向こうが見渡せなくなっている。
中庭に出る通路の1つからそちらへ足を踏み入れると、アーチがあって可愛らしい小路になっていた。両脇を花に挟まれながら歩いていくと、やがて1つのガゼボが見えてくる。
──あ、あそこにいるの、王女殿下だ。
姿を視界に認めた瞬間、エドウィン様に向けて発される甘い声が甦ってきて、わたしは切なく疼く胸の前でぎゅっと拳を握った。
途中で使者さんたちが離れたことにも気づかず、わたしはガゼボまで真っ直ぐに歩みを進めた。王女殿下だけでなく、王女殿下付きの侍女らしい人が脇に控えていて、わたしを温度のない瞳で見ている。
既にお茶を楽しんでいる様子の王女殿下の前で、わたしは対王族のカーテシーをするべく深く膝を折った。
「お初にお目にかかります。シンシア・スメキムスと申します。王女殿下のお茶会にお呼びいただけましたこと、この上ない幸甚でございます」
「……カトリーナ、やっぱり違う茶葉が良いわ。カトラス地方の」
「かしこましました、王女殿下」
──え?
挨拶したのに、返事がない。何をされるかと考えてはいたが、何もされないのは想定外だ。これはどうしたらいいかわからない。
──あー、そういえば前世で読んだ小説の中にこういうのがあったわ。でも……これって結局、わたしには何もできないやつよね? こう、痛快ざまあ小説とかではやり直し人生でやり込めてたけど、わたしそういうのじゃなくてただの転生だからね? どうすんのこれ? 足ぷるぷるしてきたんだけど!?
ほとんどしゃがむくらい膝を折ったまま、頭も上げられずにじっと地面の舗装を眺める。レンガなのか薄茶にほのかな赤色の石が敷き詰められていた。
ここに崩折れたら膝とか擦りむきそうだな、と考える頭の隅で、エドウィン様と両思いのくせにこんな意地の悪いことをする王女殿下への不満がじりじり高まっていった。
──王女殿下ってちょっと、性格悪いんじゃない? そりゃあ、訳あって婚約できない間にエドウィン様を奪ったみたいになったかもしれないけどさ、こないだの夜にお互いの気持ちを確かめ合ったんじゃないの? まさか一昨日のエドウィン様とのデートに気づいたとか? だとしても、不満はわたしじゃなくてエドウィン様に言うべきじゃない。こんな権力使ってイジメみたいなことして、性格悪すぎ!
「ああ、子爵令嬢……いたのね。小さくて見えなかったわ」
「!」
やっと声をかけられたと思えば、わたしの気にしていることをピンポイントで突かれた。思わず顔を上げそうになって、どうにかぐっと堪える。そんなことをすれば、礼儀がなってないとか攻撃する隙を与えるようなものだ。
「顔を上げなさい」
「はい」
そこでようやく王女殿下を間近に見ることになった。
相変わらず派手な美女だ。艶やかな金髪は下ろされ、横髪だけ編み込んである。今日のドレスは深紅で、こう表現するのはどうかと思うけど、非常に悪役令嬢っぽいいで立ちだった。扇子で口許を隠しながら、明らかに攻撃的な瞳がわたしを見下ろしている。
「わたくしね、過去のことは水に流してあげるつもりよ」
「……え?」
「わたくしはね、エドウィン様と小さい頃から結婚を約束していたの。事情があって遅くなってしまって……その間に少し『寄り道』されたみたいだけれど、エドウィン様を責めるつもりはないの」
「そう……でございますか」
胸がぎゅうっと痛んで、咄嗟に浮かべた笑みはぎこちなかったかもしれない。
王女殿下の目がにんまりと笑った、気がした。
「邪魔を、しないでちょうだいね」
「……滅相も、ございません。わたくしは少々、物珍しく思われて構っていただいたに過ぎません」
「あら、きっとそうね。わたくしたち、下位貴族なんてあまり交流がないもの」
くすくすと王女殿下が嗤う。
──わたし、笑えてる?
王女殿下とエドウィン様が想い合ってるなんて、夜を泣き明かすくらいよく知っているのに。当人から言われるのがこんなに精神にダメージを与えるなんて初めて知った。
それと地味に、立っていいと言われなかったせいでずっとカーテシーしたままだ。足がもう、いつ崩れ落ちてもおかしくないほど震えている。
「弁えているのならいいわ。用件はそれだけよ」
「は……い?」
「わたくし、ここでお茶を飲むのが一番の楽しみなの」
「あ、」
こんな話をした後でお茶を一緒に飲むのか、と思った瞬間、王女殿下の脇にいた侍女がどこかを指差した。
「スメキムス子爵令嬢、お帰りはあちらの道です」
「お、かえり?」
「王女殿下の貴重な楽しみを奪うおつもりでなければ、お早いお帰りを」
──お、お茶会の招待状じゃなかったんじゃないやっぱり!!
心の中で叫んで、わたしは怒りを出さないように気をつけつつお辞儀した。
「それでは、御前を失礼いたします」
もちろんと言うべきか、返事はなかった。わたしは感覚が無くなりつつある足で、どうにか示された帰り道を歩き出した。
──王女殿下があんなに意地悪で性格悪いなんて! エドウィン様、趣味悪すぎ!
不格好にならないようにゆっくり歩きながら、あんな性格悪い女に負けるなんて、と今までとは違う悔しさが込み上げる。
──でも、小さい頃から好きだったなら、性格悪いとこも気にならなかったりするのかな……。
はあ、とため息を吐いたところで外廊下に戻ってきた。目の前に廊下が続いているので、きっとこのまま真っ直ぐ行けということだろう。そのまま廊下を歩き続ける。
しばらく歩いたところで、そういえば王宮に来てから全く人に会わないことを思い出した。ルーナとダンと別れる前まではそこそこ人がいたのに、その奥──おそらく王族の居住区──に入ってからは全然だ。
まるで人払いでもしたかのよう──そう思った瞬間、通りすぎようとした扉がいきなり開いて、わたしの腕を誰かが引っ張った。
「や、ちょっ!」
「ちっ」
「んぐっむぅぅ!」
口を掌で押さえられて、わたしは突然ヤバい状況に陥ったことを理解した。抵抗できずに部屋に引っ張り込まれ、そのまま突き飛ばされて床に転がる。
「いった……ちょっと、何すんのよ!」
「ほお、貴族の嬢ちゃんだって聞いたが、随分威勢がいいなァ」
わたしを部屋に引っ張り込んだのは、そこそこ年のいった恰幅のいい男だった。あまり清潔でない粗末な服に、ざんばらの髪、無精髭が生えている。どう見ても貴族ではあり得ない。何故こんな男が王宮に、という驚きと、もう1つ男が気になることを言っていた。
「わたしが貴族令嬢だって誰に聞いたの?」
「おっと、口が滑ったな」
「わたしを襲えって誰かに言われたの?」
「んなこたァどうでもいいだろ。どうせ嬢ちゃんは何も言えなくなる」
ニヤニヤと脂ぎった男の笑みにぞっと鳥肌が立つ。襲われるにしても殺されるにしても、わたしはここで何があったか喋れない、ということだ。
──王女殿下、まさかあなたなの?
今考えるべきことではないが、どう考えてもそれしか答えがない。人払いされたかのような王宮内、普通ならここまで入れないはずの平民、わたしのことをあらかじめ聞いていたらしい口振り。
──性格悪いどころじゃない。王女殿下、めちゃくちゃ悪人だ……!
王女殿下が人払いしてるなら助けは望めない。この部屋には窓もなく、唯一の出入り口は男の向こうだ。
わたしは観念して俯き、その場にゆっくりとうずくまった。