ほじくり返された前世のトラウマ
夜会の翌日、わたしはエドウィン様から届いた手紙を前にうんうん唸っていた。
『昨夜は突然の体調不良によりエスコートできなくなってすまない。埋め合わせがしたいので明日二人で会えないだろうか』
要約するとそんな内容の手紙だ。エドウィン様からの手紙はいつもそうだけど、薔薇の香りがする上に、カラフルな装飾が施された紙に美しい文字が綴られていて、パッと見は額に入れて飾りたいくらい綺麗だ。だけど今回の内容は困ったものだ。
まず、『愛しいシンシア』とか『天使のように愛らしい君を狼の群れに残すような』とか、王女殿下という人がいるのに前と変わらない言い回しをしてくるのにイラッとする。それに、本命と通じあったはずのエドウィン様から二人で会いたいと言われるのが、もしかしてわたしとの仲を終わらせるためかもしれないけど、非常に思わせ振りだ。
──わたしが昨日家に帰ってからどれだけ泣いたか、エドウィン様にはわからないんだろうな。
侯爵閣下との気まずい馬車での時間を乗りきって、わたしは自室に入ってからすぐに寝台に飛び込んだ。それからはあの令嬢たちの話を思い出して、そして逢い引きしていたエドウィン様と王女殿下を思い出して、ほとんど朝方までぼろぼろ泣いたというのに。そのお陰で目がぱんぱんに腫れて美貌が台無しだというのに。
まさか、まだ王女殿下との婚約が発表されていないからわたしは気づいてないと思って、二人でこっそり会うだけなら良いとでも思っているのだろうか? もしくは、こんなに思わせ振りなことを書いといて、会った途端にわたしを振って楽しむつもりでいるのだろうか?
ズキン、と胸に痛みが走ってわたしは手紙を握りつぶした。
──傷つくな、わたし! 胸が痛いけどきっとこれは神経痛だから!
ムカつくエドウィン様に想像の中で右ストレートをお見舞いしてやる……防がれた。解せぬ!!
胸のズキズキをそうやってムカムカに変えていると、やってやろうじゃない、という気になってきた。
──オッケー、わかった。いいわよ、そっちがどんなつもりだろうと、直接真っ向からわたしが振ってやろうじゃない!!
わたしは了解と認めた手紙の返事を侍女に渡すと、今度は想像の中でエドウィン様にローキックをお見舞いした。……やっぱり防がれた。ふざけんな!!
その日の夢見は最悪だった。
転生してから一度も見なかった、前世の記憶。
朝の教室に足を踏み入れると、何故か周りがひそひそと何かを話しながらこちらを見ている。不思議に思っていると、前に現れるイケメンと有名なクラスメイト。憧れの君を近くで見れて嬉しいな、挨拶してもいいかな、とわたしは少し浮かれている。
(あ、これ、あの時の)
『なんかお前、俺のこと好きなんだって? 根暗な上にパパ活やってるらしいじゃん。悪いけど俺、お前だけは無理だわ』
その言葉にわたしは酷く傷つ──
(違う、傷ついてなんかない! なんだ、明らかに嘘の悪口とか信じるような奴だったんだ、ってガッカリしただけ! わたしはこんなことで傷ついたりしない!)
友達だと思っていた女の子が、わたしを見て馬鹿にするような笑い声を上げている。初めてできた友達だったのに、ってわたしは絶望し──
(違う違う! 絶望なんかじゃない! 気になる人はいるかって聞かれたから答えただけなのに、じゃあ私と一緒だね~なんて笑い合った2日後にこんなことする裏切り者なんだから! めちゃくちゃ腹が立ったの! それだけ!)
わたしはへらへら笑っている。別にそんなんじゃ……ってもごもご言って。
(バカ! わたしのバカ! 怒ってやればいいのに! ふざけんなテメーなんかそこまで好きじゃねえわ! って、好きな人が一緒なんだって誤解して悪口言いふらすお前を一瞬でも友達だと思った自分が愚かしいって!)
でも、わたしは言えなかった。ずっとへらへら笑って、クスクスと嘲笑が響く中で『早く先生が来ればいいのに』って祈るだけだった──。
目が覚めた瞬間、わたしは自分がどこにいるのかわからなかった。
差し込み始めた陽の光で照らされる装飾の施された天井、刺繍のたっぷり入ったカーテン、豪華な鏡台を見て、自分の部屋じゃないと思って慌てて飛び起きる。ぎし、とスプリングの入っていない寝台が鳴って、そこでようやくわたしは夢を見ていたことに気がついた。
さっきまでのは前世の出来事で、今は転生して貴族令嬢だ。ここはわたしの自室で間違いない。
「さいあく……」
ため息と同時にほろりと頬を伝うものに気づいて、それをごしごしと手の甲で拭う。
転生してからこんな夢を見たのは初めてだ。一昨日侯爵閣下によってトラウマを引っ張り出されたせいだと思う。ならなんで今日になって見るんだって感じだけど。どうせなら一昨日の夜見てればショックは1日で済んだのに。
──あれくらいのことがトラウマなんて、わたしって弱っちい女だわ。
別に、いじめられた訳じゃない。あれ以降も2、3日はクスクス笑いに晒されたけど、徹底的に無視していたらすぐに収まった。なんなら噂の出所が同じイケメンに片思いしてる女子だってことがすぐに露呈して、あれがただの悪口だって気づいたクラスメイトはむしろ手の平を返して同情的になったくらいだ。それも無視してたけど。
これくらいのこと、たぶん日常的に起こっているような『些細な』いざこざだ。理性的なわたしはそう思うのに、心はいつまでもあの出来事に囚われている。──まるで、遊ばれてるって知ってるのに嫌いになれないエドウィン様みたいに。
──ダメだ、もうこれ以上考えちゃダメ。あのことは忘れるの! それにエドウィン様のことだってもういいの。あの人は本命と結ばれたんだから、わたしとは違う道を歩く人だし! わたしはもうこれ以上泣いたり傷ついたりしないの!
何度も何度もそうやって自分に言い聞かせる。『あの時』のように。
──大丈夫、そのうちちゃんと忘れられるから。忘れて、なんでもなかったみたいに過ごせるんだから。
そのためにも、今日は何としてもエドウィン様を振ってやらねば。
わたしはカーテン越しの陽光を見つめながら、自分史上最高くらいに固く決意した。