ボンキュッボン美女とエドウィン様
名残惜しい気持ちで手を取り合って壇上に戻る二人の背中を見送っていると、王太子殿下と王女殿下が入れ替わるように下りてきた。
わたしはそこでピーンときた。国王夫妻が最初に踊るんだから、きっと次は婚約者がいないこの二人が組んで踊るのね、と。
だけどその予想は裏切られた。
ホールの真ん中で別れた二人は、それぞれ別の方向に歩き始めたのだ。
何してるんだろう、なんか王女殿下こっちの方に向かってくるな、なんて呑気に考えていると、王女殿下がどんどん近づいてくる。腰を抱いているエドウィン様の腕にぐっと力が入ったのがわかった。
そしてとうとう、王女殿下がわたしの──正確にはエドウィン様の目の前で立ち止まった。
近くで見ると王女殿下は本当に豪華な美女だった。ちょっと吊り気味のアーモンドアイに睫毛がばさばさ乗っていて、真っ赤な口紅が妖艶さを漂わせる。身長もわたしより頭一つくらい大きくて、出るとこ出まくってるのに腰がきゅっと細い。これでまだ17才とはどういうことや、と思わずエセ関西弁になって突っ込んでしまうほど大人の女性だ。
まじまじと出まくっているところを見ていたわたしは、そこで気がついた。
──あれ、王女殿下が着てるドレス、わたしのドレスと色ダダ被ってない? 薄い青、というかアイスブルーよね、これ。
未婚女性としては珍しく胸元ががっつり開いている王女殿下のドレスは、上はほとんど白だけど、裾に向けてアイスブルーになるデザインだった。色は可愛らしいけど、光沢のある生地と身体のラインが出る形のせいか、妖艶さは一ミリも減っていない。
その首元を飾る黒い宝石に、なんとなく既視感がある。
はて? と思ったところで、今まで耳に入っていなかった声が聞こえ始めた。
「──よろしいでしょう? エドウィン様」
「……はい」
──え、何? よろしいでしょうって言ったの王女殿下だよね? エドウィン様は一体何にはいって言ったの? やばい、全く聞いてなかった……!
グラマラス美女にふさわしい王女殿下のお姉さんボイスに聞き惚れる間もなく、わたしは冷や汗をかきながら現状を把握しようとちらちら視線をうろつかせた。
不思議そうな顔、同情するような顔、したり顔、好奇心丸出しの顔……うーん、これは。
──全然わかんないわ。
「では少々お待ちいただいても──」
「エドウィン。スメキムス子爵令嬢は私が引き受けよう」
「父上」
後ろから掛けられた声に振り向くと、そこにはエドウィン様に似た美麗な男性が立っていた。エドウィン様も表現としては美しいって感じのイケメンだけど、その男性、つまりエドウィン様のお父様はもっと中性的な美人だった。さらさらの銀髪に、エドウィン様のアイスブルーより少し濃い青の瞳──なんだかまた既視感を覚える。
「では、すみませんが頼みます、父上」
「ああ」
なんだかわからないうちに、わたしはエドウィン様のお父様に託された。
ではエドウィン様はどうするのかと思えば、なんと王女殿下をエスコートしてホールの真ん中に向かってしまったではないか。
──あっ、さっきのは王女殿下がエドウィン様をダンスに誘ってたの!?
やっと何が起こっていたかわかった。そして、なんでわたしがエドウィン様のお父様、ロマチストン侯爵閣下に託されたのかも。
いや、特に令嬢が夜会で一人になっちゃいけないって決まりがある訳じゃなくて。ただわたしは、こんな所で一人にされたら狼たちの格好の餌食になっちゃうのよ。自分でも毎朝鏡見てビビるくらい可愛いからさ、わたし。エドウィン様も侯爵閣下もそれを警戒してくれてる、んだと思う。
だからエドウィン様はわたしのことを考えてないわけじゃない。それはわかってる。でも。
──でもさ、せめてわたしに一言くらい、行ってくるよって、ごめんねって言ってくれてもいいんじゃない?
仲睦まじげに寄り添ってホールの中央に向かう二人の背中から、わたしは無理矢理目を離した。
気を取り直して、わたしは横を向くとカーテシーをして初めて会うロマチストン侯爵閣下にご挨拶した。
「お初にお目にかかります。わたくしはスメキムス子爵家の長女、シンシアでございます。ロマチストン侯爵閣下に拝謁できましたこと、幸甚の至りでございます」
「ああ、私はオーガスタス・ロマチストンだ。そんなに硬くならないでくれ、シンシア嬢……と呼んでも?」
「もちろんでございます。お好きにお呼びくださいませ」
ロマチストン侯爵閣下はとても穏やかそうな人だった。薄く微笑みを湛えた表情に、どこか甘い声色。美しい容貌も相まって、なんだか浮世離れしてるというか、人間離れしてるというか……わたしの貧弱なイメージの中だとエルフっぽい人だ。
こんなに優しそうなのに、宰相という国を左右する重要な役職に就いているお偉いさんだ。
「最近のスメキムス領の躍進には目を見張るものがある。あの編みかごというのはとても便利だね。わたしの妻も愛用しているよ」
「そうなんですかっ、嬉しいです!」
わたしが発明したものじゃないけど、編みかごをこの世界に持ち込んだのはわたしだという自負はある。我が子じゃないけど、それくらい愛着があるものを褒められて嬉しくない訳がない。
王女殿下にエドウィン様を取られちゃったみたいな、ちょっともやもやした気持ちがぱっと明るくなった。
「便利なだけでなく、見た目もとても可愛らしいと言ってね。妻の部屋には編みかごがいくつか飾ってあるよ」
「そ、そんなに? えへ、じゃなくてうふふ、ご愛用いただけてとてもありがたく存じます」
編みかごの見た目が可愛いのはもちろん同意だけど、部屋にいくつも飾るとなると本当に気に入ってくれているってことだ。
こうなると、飾るのを前提にした小さい編みかごバッグシリーズなんかも案外売れるのでは──と考え込むより先に、侯爵閣下の腕がわたしの肩口に当たった。
「おっと、大丈夫かな」
「あ、はい。大丈夫です」
咄嗟に頷いてみせながら、わたしは少し不思議に思った。
貴族は小さい頃から、エスコート以外で無闇に異性に触れないよう教育がされる。そしてそういうマナーに厳しいのが高位貴族だ。侯爵閣下であり宰相閣下でもあるお方が、こんなうっかりミスするだろうか。
「ああ、始まるね」
わざとわたしに腕をぶつけたのならどんな意図が──と考える間もなく、侯爵閣下の言葉と共に音楽が流れ出した。
つられるように視線を前に戻すと、王女殿下とエドウィン様、それから王太子殿下とどこかのご令嬢の二組が踊り始めた。
国王夫妻と同じ、少しダイナミックなダンスだった。くるくる、ひらひらと視界を占領する。
──エドウィン様、わたしと踊ってる時より楽しそう。
エドウィン様は社交用の薄い笑みを浮かべているのに、動きが大きいせいか、それとも王女殿下の豪華な金髪に彩られているせいか、生き生きとして見えた。
周囲からほお、と感嘆の溜め息が洩れる。お似合いだわ、と呟いたのは誰だったのか、それを皮切りに大きな独り言がわたしの耳に入ってくる。
「王女殿下とエドウィン様、とても絵になるわね」
「やはり高貴な方のお相手になるにはそれなりの身分がいるわよね」
「そうそう、顔だけのどなたかより、国のために尽くして美しさも兼ね揃えている、あのようなお方こそエドウィン様には相応しいわ」
「ふふ、そうよね。顔だけじゃあ、ねえ?」
くすくすと嘲笑する耳障りな音が引っ切りなしに聞こえてくる。いや、これはわたしに聞かせているのだ。
──わたしが顔だけの遊び相手でしかないなんて、わたしが一番よく知ってるわよ。
何も知らずに見当違いな嫉妬をぶつけてくるご令嬢方が滑稽に思えてしまう。
もちろん、一番滑稽なのは自分自身だけれど。
お似合いの二人から目を逸らして、わたしは王太子殿下の方に視線を向けた。一緒に踊っているご令嬢は、なんとなく見たことのある人だ。王太子殿下のダンスパートナーとして誘われるくらいだから、きっと高位貴族だと思う。
いや、婚約者のいない王太子殿下がこんな場所で踊ってしまえば、お相手の女性が婚約者の筆頭候補になってしまう。それを思えば、逆に下位貴族の娘の可能性もある。そうなればただのダンスパートナーで、婚約者の候補とはとられないから。
必然的に、王女殿下と高位貴族のエドウィン様は──っていやいや、考えちゃだめ。
わたしは焦点を王宮の壁に合わせて、別のことを考える。
──あー、この王宮ってキラキラして綺麗だなー。ほんとすごく広いなー。こんなに広いのに人で埋まっちゃうなんてほんと貴族多すぎるなー。……いや、ほんとに多いな?
大きな王宮のホールを埋め尽くさんばかりの人の数だ。
実際、この国の貴族の数は多い。周辺の国とは比較にならない多さなんだって。
それは今から八十年ほど前まであった戦争に起因する。
当時の王は数年に渡る隣国──今はもう存在しない帝国──からの侵略戦争に頭を抱えていた。泥沼化して民も貴族も減り、皆が疲弊していった。そこで思いついたのが、報奨として継ぐ人のいなくなった爵位を平民にも与えることだった。その皮切りに戦争で功績をあげた平民に領地ごと子爵位を与えたところ、なんと我が国民は一念発起。それから半年も経たずに戦争を勝利で終わらせた。
その結果、叙爵したり陞爵した人が大量に出た。最初に爵位を与えた人は、そこまで大きな功績をあげた訳ではなかったから、あれで子爵位ならあっちにもこっちにも、という具合に報奨を与える人数が膨れ上がったらしい。
──たしか、戦争で血の途絶えた貴族家は二十ほどで、新しく貴族家に加わったのが百以上、だったわね。
歴史で習った内容を頭の中でおさらいしておく。
──そりゃあ、そんなに一気に増えたら王宮も建て直さないといけなくなるわよね。お陰で綺麗で豪華な王宮が見られるわけだけど。
思考に没頭していると、ふぁさ、と肩の辺りを何かがくすぐった。はっとしてそちらを向くと、すっと横にいた人──ロマチストン侯爵閣下が身を離したところだった。
「ダンスは終わりだよ。みんな移動を始めるから、少し端の方に寄ろう」
「は、はい、侯爵閣下」
「手を」
そう言ってさっとわたしの手を取った侯爵閣下は、有無を言わせないエスコートでわたしを壁際まで連れていった。
──やっぱり、さっきのは偶然なんかじゃない。わざと腕を当てたんだわ。
わたしはどうも、何か考え事を始めると周囲の音や動きが意識の外になってしまう癖がある。更に自宅みたいな寛いだ空間では、お兄様に抱っこされてても気づかない抜けっぷりだ。
だけど、わたしの凄いところは『話を聞いていないと周囲に気づかせない』ところだ。にこにこしながら相槌を打つようにちょっと頷いたりして、知らなければわたしが思考に没頭していると誰もわからない、らしい。親友たちや家族からそう教えてもらった。
──でも、侯爵閣下はどうしてかわたしの意識が内に向かうのを察知して、それを阻止したってことよね?
家族にさえ気づかれないのに、どうして侯爵閣下にはわかったのか。
──やっぱり侯爵閣下ってエルフだったりする?
優しげな横顔を盗み見しながら、わたしはずっとそんなことを考えていた──ちゃんと周りを見ながら、ね。