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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
第六章 悪役令嬢の夏休み

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【ライオネル】あなたに会いたくて 3

 ──そして今、俺は小さくなったクラリス殿とともに、アストレアの馬上にいた。


 ……どうしてこうなったんだ。


 気づけば俺がクラリス殿をアストレアに乗せ、学園の敷地内を一周する役を担っていた。そしてその間、リナ殿の剣術指導を団長が代わりに引き受けてくれることになった。なぜか、気づいたらそういうことになっていた。


 リナ殿は最後までクラリス殿と離れるのをためらっているようだった。

 けれど、俺と彼女を交互に見比べたあと、真剣な眼差しで俺をじっと見つめ、拳をぎゅっと握った。あの目は、「頑張って!」と言っているように見えた。


 ──何をどう頑張れというんだ……


 どうやら団長は、有言実行とばかりに、俺とクラリス殿を二人きりで馬に乗せたかったらしい。遠乗りは無理でも、学園内をゆっくり回るくらいなら問題ないだろう、と。


 しかし──


「ライオネルさま、風が気持ちいいですね!」


 前で振り返りながら笑うクラリス殿は、まるで無邪気な幼子そのもの。俺の知っている、あの完璧な公爵令嬢、クラリス・エヴァレットではない。


 俺は片手で手綱を握り、もう片方で彼女の小さな体をしっかりと支える。


 あまりにも小さく、あまりにも軽い。今のクラリス殿は、彼女であって”彼女”ではない。記憶は子供のころのままで、俺のことも覚えていない。


 そう頭では理解しているのに、俺の腕の中にいるのがあのクラリス殿なのだと思うと、どうしても意識してしまう。


 俺は平常心を保つよう自分に言い聞かせながら、そっと手綱を引いた。


「アストレアは……重くないのでしょうか?」


 クラリス殿が小さな手を胸元に添え、不安そうに見上げてくる。困ったように下げられた眉尻に、俺は苦笑した。


「アストレアは、俺たちのような屈強な男たちを乗せて戦場を駆ける馬です。クラリス殿が乗ったくらいでは、重さなんて感じていませんよ」


 そう言うと、クラリス殿は「そうなのですね」と安心したように微笑んだ。

 まるで花が綻ぶようなその笑顔に、俺は一瞬、言葉を失う。


 その笑顔は、俺の知る“彼女”が、ごく稀に──おそらく無意識に──浮かべるものと、よく似ていて。


 気づけば、俺は彼女を抱える腕に力を込めていた。

 怖がらせないように、けれど確かに守れるように。


 ──なんだかどうしようもなく、”彼女”に会いたくなった。

 それと同時に、自分がどうしようもなく”彼女”に恋焦がれていることを自覚した。




 学園内を一周して戻ってくると、ちょうど稽古をしていたリナ殿と団長がこちらに気づき、手を止めた。


 団長の熱血指導に応えていたのだろう、リナ殿の額には汗がにじんでいる。けれど、その表情はどこか晴れやかで──どうやら、思いのほか充実した時間だったようだ。

 団長もまた、ニヤリと口元をゆるめ、満足げな顔をしている。……あの二人、波長が妙に合うのかもしれない。


「おかえりなさい、クラリスちゃん、ライオネル先生!」


 リナ殿が駆け寄りながら声をかけてくれる。その声に応じて、クラリス殿も小さな手をふわりと上げて応えた。


 俺は、クラリス殿がバランスを崩さないようにそっと手を添え、まずは自分がアストレアから地面に降りた。続けて、クラリス殿の腰に手を伸ばす。


「ゆっくりで大丈夫ですよ」


 小さな彼女にとって、馬上からの高さは相当なものだろう。慎重に身を乗り出しながら、彼女は鞍に手をついて足を動かす。


「ありがとうございます、ライオネルさ──あっ」


 その瞬間だった。


 足が手綱に引っかかり、彼女の身体がバランスを失う。


 反射的に俺は手を伸ばした。落ちる前にその小さな身体を抱きとめたが──勢いは殺しきれず、俺の背中が地面に叩きつけられた。


「──っ」

「おい、ライっ! 大丈夫か!?」

「クラリスちゃん、ライオネル先生!!」


 団長とリナ殿の叫び声が耳に届く。


 俺は地面に仰向けに倒れたまま、胸に抱えたクラリス殿を強く抱きしめていた。彼女が傷つかないようにかばった分、受け身を取りそこねてしまい、背中に鈍い痛みが残る。


 目を閉じ、痛みをやり過ごそうと息を整えていると──


「ライオネルさまっ!」


 震える声が、胸元から響いた。


 その声に導かれるように目を開くと、そこには泣きそうな顔で俺を見つめるクラリス殿の姿があった。


「申し訳ございません、ライオネルさま……! 死なないでください……!」


 顔をくしゃりと歪め、今にも涙をこぼしそうな表情で、彼女は懸命に訴えてくる。


 ──俺はただ、言葉を失った。


 今の彼女の表情が、ふと──あの頃のエリアスと重なって見えた。


 病の床に伏した両親の傍らで、泣きながら「死なないで」と縋っていた弟。俺はただ隣に立って見ていることしかできなかった。


 そのときと同じように、今、クラリス殿の小さな手が俺の服をぎゅっと掴んでいる。

 いつもの彼女からは想像もできない、必死の表情で。


 どうして彼女が、ここまで取り乱すのか──

 理由を探すより先に、胸の奥に込み上げたのは、あの頃と同じ途方もない無力感だった。


 俺が言葉を返せずにいると、代わりに団長が動いた。


「ほれ、嬢ちゃん。ライはこんなことでくたばるタマじゃねぇって」


 そう言いながら、クラリス殿をすっと抱き上げる。手慣れた動作で彼女の身体を抱えると、その額を優しく──しかし容赦なく、ぴしりと弾いた。


 ぱちん、という音と共に、彼女の瞳に溜まっていた涙が弾け飛ぶ。


「ほ、ほんとに……?」


 潤んだ瞳のまま、彼女が不安げに俺を見下ろす。


 俺は背中に残る痛みを堪えながら、できるだけ穏やかに立ち上がった。何もなかったように、いつもの調子で、彼女に笑いかける。


「はい、大丈夫です。クラリス殿も……お怪我はありませんか?」


 その一言が届いたのか、彼女の表情にようやく安堵の色が浮かんだ。


 次の瞬間、クラリス殿は団長の腕から身を乗り出し、小さな両手を俺に伸ばしてくる。俺は慌ててその身体を抱きとめた。


 そして──彼女の腕が、そっと俺の首に回される。


 小さな顔が俺の肩に埋まり、耳元でかすかな声が震える。


「……よかった……」


 その一言が、あまりに素直で、あまりに温かくて。

 俺は彼女の震えを感じながら、思わず強く抱きしめ返していた。


「……大丈夫ですよ。もう、心配いりません」


 何が彼女をこんなにも動揺させたのかはわからない。

 それでも、今の俺にできるのは、この小さな不安を少しでも和らげてあげることだけだ。


 かつて”彼女”が、俺に救いの言葉をかけてくれたときのように。


 ──ふと、視線を感じて顔を上げると。


 そこには、何とも言えない空気をまとった二人の姿があった。


 ヴィンセント団長は、口元をにやにやと緩めて満足げに頷き、リナ殿は両手で顔を覆いつつ、その指の隙間からこちらを凝視している。


 ……ああもう。


 俺は、小さなクラリス殿が落ち着くまで、ただその視線に黙って耐えるしかなかった。




 二人が次の予定──生徒会室へと向かうのを見送ってから、俺は団長に付き添って厩舎に行くことにした。


 その道中、案の定というかなんというか。「役得だったじゃねぇか、ライ」などと、団長は終始ニヤニヤしながら、からかいの言葉を浴びせてきた。まるでそれが当然の権利であるかのように。


 俺はというと、反論する気力も失せ、ただ静かに睨み返すだけにとどめた。


 ……もちろん、今のクラリス殿に、やましい感情など一欠片も抱いていない。

 けれど、もし彼女が、いつもの“彼女”のままで、あんな風に笑って、甘えてきたとしたら──


 そう考えてしまった自分を思い出して、俺は頭を振る。断じて口にはできない思考だ。


「……久しぶりに見たな。あんな嬢ちゃん」


 厩舎の前でアストレアをつなぎながら、団長がぽつりと漏らす。俺は黙って彼の方に視線を向けた。


「セレナが──嬢ちゃんの母親が生きてた頃は、よく笑っててな。泣き虫だったけど、感情が豊かで……」


 そう言いながら、団長はアストレアのたてがみに優しく手を添える。その手つきは、まるで過去に取り残された思い出に触れているようだった。


 クラリス殿の父君──宰相エドワード・エヴァレット閣下と団長は、学園時代からの友人同士と聞く。ならば、きっと彼女の母君──セレナ殿とも、親しかったのだろう。


 俺はクラリス殿の家の事情には、正直、あまり明るくない。だがひとつだけ知っている。


 彼女の父君は、奥方を亡くしてからずっと独り身を貫いている。何度も後妻を迎えるよう進言されたにもかかわらず、そのすべてを断り続けた。クラリス殿と王太子殿下の婚約が決まったときも、彼はルーク殿を“養子”という形で迎え入れ、エヴァレット家の後継問題に対する周囲の圧力を黙らせたという。


 小さくなったクラリス殿の記憶は、母親のぬくもりがまだそばにあった頃のものなのかもしれない。


 団長の表情が珍しく翳っている。クラリス殿の無垢な姿に、忘れかけていた記憶が揺り起こされたのだろうか。


 けれど、それも束の間だった。


「……ったく、感傷に浸ってる場合じゃねぇよな」


 そう言って団長は自らの気持ちを打ち払うように、アストレアの背中をバンバンと叩き始めた。アストレアが迷惑そうに鼻を鳴らす。


「よし。ちょっくらシリルんとこに行ってくるわ。嬢ちゃん、早く元に戻してやりたいしな」


 気づけばもう、団長はグラディウスのもとへ向かっていた。


 俺はアストレアの機嫌をなだめながら、団長の背中を黙って見送る。


 ──そして、彼はふと、立ち止まった。


 振り返ることなく、低く静かな声だけを残す。


「……ライ。これから何かあったら、アストレアを使って、すぐ知らせに来いよ」


 一瞬、その言葉の真意が掴めなかった。

 けれど、団長の意図ははっきりと伝わってきた。


 彼は近いうちに、“何か”が起こると確信している。しかもそれは、ただ事ではなく──きっとこの学園にも影響を及ぼすことなのだろう。


 だから、アストレアをわざわざ学園に貸し出したのだ。


 俺が、いざというとき、迅速に知らせを届けられるように。


「……承知いたしました」


 俺は静かに敬礼した。


 団長は振り返ることなく、軽く片手を振ってそれに応えると、そのままグラディウスの背にひらりとまたがり、風のように去っていった。


王宮内でも何やら動きがある模様。

次回はアレクシス視点です。婚約者の変貌に、王太子は何を思うのか。

5/30(金) 19:00更新予定です。


X(旧Twitter)では更新連絡やイラストの投稿もしています。

今回はライオネルの腕の中で泣きじゃくるクラリスのイラストです。

お気軽にお立ち寄りください✨️

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 『わたくしの推しは筆頭公爵令嬢──あなたを王妃の座にお連れします』
(クラリスとレティシアの“はじまり”を描いた物語です)

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