夏休みのイベント
夏休みに入っても、基本的にやることは変わらない。
学園祭に向けた準備で登校もするし、リナの成績向上──レベルアップも欠かせない。ライオネルやゼノによる個別指導も、これまで通り続けていく。
ゲームでは、定期テストは二回で終了する。本来なら学園祭の後にもテストがあるのだが、「古代の神」の顕現によって、それどころではなくなるからだ。
平和な学園生活が続くのは、学園祭まで。それが、この世界の定められた運命──シナリオだ。
だが、その代わりに、夏休みには各攻略キャラとの個別イベントが目白押しだった。
例えばアレクシスとは、王宮の夜会に招待され、舞踏会に参加することになる。
彼が形式上の婚約者──つまり私──と優雅に踊る姿を目にして、ヒロインは胸が締めつけられるような感覚を覚える。
一方、アレクシスもまた、社交の場で貴族たちと談笑するヒロインの姿を視線の端に捉え、胸の奥に言葉にできない感情を抱く。
すれ違いながらも互いに惹かれていく二人。その微妙な距離感が、切なくも甘い余韻を残す……王道ながら、完成度の高いイベントだ。
ライオネルとは、騎士団の訓練場で剣の稽古をつけてもらうことになる。その流れで、騎士団の厩舎へ向かい、馬の扱い方を教わるイベントが発生する。
背後から優しく支えられ、温かな体温と低く落ち着いた声が耳元に響く──
思わず鼓動が跳ねるのを意識した瞬間、近くで大きな物音がし、驚いた馬が暴れかける。
バランスを崩したヒロインを、ライオネルが間一髪で抱き寄せる。
至近距離で交わる視線。張り詰めた沈黙の中、互いの息遣いが聞こえそうなほどの距離で、感情が揺れ動く──見つめ合う二人のスチルが、大変尊かった。
ルークとは、避暑を兼ねて別荘で休暇を過ごすことになる。
湖畔で水遊びをしたり、涼しい木陰で昼寝をしたり。イベントの後半では、泉のほとりに腰掛け、並んで沈んでいく夕日を眺めるシーンが用意されている。
空は茜に染まり、水面も黄金色に揺れていた。
柔らかな沈黙が二人を包む中、ルークはポツリとヒロインの名を呟き──そして、その手を取る。
無邪気な少年のようでいて、時折見せる大人びた視線に、ヒロインは戸惑いながらも目を逸らすことができない。
まだ言葉にならない感情が、確実に近づいている──というか、「なんでまだくっついてないの?」とツッコミを入れたくなる。
リナには頑張って、これらのイベントをこなしていただきたい。できることなら、木陰からスマホ片手に見守りたいところだが──それはさすがに、少々デバガメすぎる。そもそも、この世界にはスマホがない。
ここまで来たら、私にできるのは祈ることと、邪魔しないことだけだ。
ちなみに、ゼノのイベントは──
「では、そちらの魔法陣に関する資料を持ってきてくれるかな」
今、私は学園の図書館にいる。今日はリナの個別指導があり、彼女への指導で使う本を用意するのを手伝っている。
もうすぐリナも来るはずだ。
それでも私は、なんとも言えない複雑な感情を抱えながら、ゼノの指示に従い本を集めていく。
すでに必須フラグを逃してしまったゼノは、攻略対象からは外れている。
それでも、図書館というこのシチュエーションが、どうしてもゲームのイベントを思い出させる。
しかも夏休みのせいか人の気配がなく、この二階にいるのは私たちだけだった。
ゼノのイベントでは、学園の図書館で古代遺物についての調査を手伝うことになる。
古代遺物に興味を持ったヒロインが彼に色々と質問をする中、ふと沈黙が下りる。
静寂の中、眼鏡越しに向けられるゼノの意味深な視線。
その雰囲気に、ヒロインは思わず心臓が跳ねる。
画面越しですら破壊力抜群だった彼の表情を、もし間近で見ていたなら──
間違いなく、気絶していたに違いない。
そんなことを考えながら、自分より少し高い位置にある本に手を伸ばす。
手が届きそうで、あと少し足りない。背伸びをしすぎるのも公爵令嬢としては優雅さに欠ける行為だ。
諦めて脚立を持ってこようとした、そのとき──
ふっと、私の手に大きな手が添えられた。
「ほら」
その手に引かれて、指先が本の背に触れる。ゼノは私の手に自分のそれを添えたまま、本を棚から引き抜いた。
すぐ背後から感じる体温に、私は思わず息を呑む。
──いや、知っている。ゼノが無駄に接触が多い人だということは、よく知っている。
……知っている、けれども。
実際にその”被害”を被ると、どう反応すればいいのかまったくわからなくなるのだ。
それでも、私は悪役令嬢である。
こんなことで動揺していては──
「届いてよかった」
耳元で響いた低くて甘い声。背筋を駆け抜ける電流のような感覚。
──”冷静”というラベルを、無理やり剥がされた気がした。
私は慌てて振り返り、抗議の声を上げようとした。
「ゼ、ゼノ──」
しかし。
振り返った瞬間、目の前にあったのは、ゼノの整った顔と、余裕すら感じさせる微笑みだった。
思った以上に近い。……近すぎる。
視界いっぱいに広がる、眼鏡越しの涼やかなアメジストの瞳。
スマホ画面越しに見ていたそれが今、こんなにも至近距離にある。
瞬間、何かを言うつもりだった言葉が喉の奥でかき消え、代わりに悲鳴を上げそうになるのを必死に堪える。
そのせいで、動揺した体が言うことを聞かず──
手に持っていた本が、無情にも指先を滑り落ちた。
「あっ……」
本が床に落ちる、鈍い音が響く。
屈み込み、本を拾い上げようとしたとき──ふと、紙が一枚、本の中から滑り出していることに気づいた。
どうやら本に挟まれていたものらしく、取り落とした拍子に出てきたのだろう。半分ほどはみ出たその紙には、何かの魔法陣が描かれていた。
私は何気なく、その紙を手を伸ばし、本から引き抜いた。
──その瞬間。
「──クラリス!」
ゼノの鋭い声が響いた。
同時に、手にした紙が眩い光を放った。
ゼノの手が私の腕を掴もうとして伸ばされるのが、視界の端に映る。
光が、すべてを呑み込んだ。
──そして、私の意識は、ぷつりと途絶えた。
果たしてクラリスに何が起こったのか。
次回、「【リナ】ポンコツヒロインは完璧な●●をほうっておけない」をお楽しみに!
……タイトルがネタバレすぎるので伏せ字で(笑)。
5/16(金) 19:00更新予定です!
X(旧Twitter)では更新やイラストの投稿もしています。
お気軽にのぞいてみてください!
https://x.com/kan_poko_novel




