悪役令嬢として
私は、先日のリナに謝りたくなった。
着せ替え人形よろしく、次々とドレスを着せられるこの苦行。まるであのときのリナの気持ちを体感しているようで、自分が彼女にしたことを思い返し、深い反省の念を抱く。
数十回の着替えで音を上げるなんて、大げさだと思っていたけれど──十回ほど着替えただけで、もう限界が見え始めていた。
リナとの約束通り、今日は彼女を公爵邸に招いて、私がグランドナイトガラで着るドレスを選んでいる。
普段なら、エミリアに任せておけばそれで済む。彼女は私に似合うものを熟知しているし、私が何も言わなくても、最適な一着を見繕ってくれる。だから、こんなに何度も着替える必要はないのだけれど──
今日は約束した手前、一着ずつリナに見せながら選んでいる。なぜか、ルークも一緒にいる。
今、私が身にまとっているのは、ロイヤルブルーのシルクドレスだ。深い夜空を思わせるその生地は、光を受けるたびに繊細な輝きを帯び、裾には銀糸で星々を模した刺繍が施されている。肩の部分はオフショルダーになっており、首元にはサファイアを散りばめた繊細なレースがあしらわれていた。
鏡の前でスカートの裾を軽く持ち上げると、ふわりと広がった布地がやわらかな光を受け、優雅に揺れた。そのシルエットは、建国祭で着ていたドレスとどこか似ている。
「……どうかしら?」
私はリナとルークの方へ視線を向ける。リナは目を輝かせ、「素敵です!」と今にも飛び跳ねそうな勢いで言った。一方で、ルークは顔をしかめながら目を逸らしている。その頬は少し赤い。
「……ちょっと胸元が開きすぎじゃない?」
ルークの指摘に、私は胸元へと視線を落とした。たしかに、肩口が広く開いているデザインのため、上から見れば谷間がはっきりと見えてしまう。貴族の社交界では珍しくない形ではあるが、どうやらルークは気に入らないらしい。
ふと隣を見ると、リナが自分の胸元と私の胸元を交互に見比べ、何かにショックを受けたように肩を落としていた。
……いや、リナも決して小さいわけではないから。それだけあれば十分だから。乙女ゲームでは、悪役令嬢の方が胸が大きいのは一般的なのだ。
「では、こちらはいかがでしょうか」
次の衣装を持ってきたエミリアが、手にしたドレスをそっと広げて見せた。
それは、漆黒のドレスだった。
夜の闇のような深い黒に、まるで星のような細やかなスパンコールが散りばめられ、角度によって繊細に輝いている。シルエットはスレンダーで洗練されており、余計な装飾はほとんどない。その分、生地の質感と裁断の美しさが際立ち、袖口と裾には繊細なレースが施されていた。動くたびに流れるように揺れ、静謐な気品を醸し出している。
「黒……?」
私は思わず呟く。確かに格式の高い場にふさわしいドレスではあるが、私の髪もまた漆黒だ。全身黒ずくめになってしまわないだろうか。
私の疑問を察したのか、エミリアが小さく頷き、静かに説明を加える。
「クラリス様の黒髪には、同じ漆黒も映えるかと存じます。ただ単に色を合わせるだけではございません。このドレスの黒は、光の加減によって微細に色合いが変化する特殊な織りが施されております。クラリス様の髪が持つ、絹のような艶と相まって、より一層美しさを引き立てることでしょう」
まるで詩を詠むかのような賛辞に、思わず顔が引きつる。エミリアは忠実な侍女だが、時折こうして大げさな表現を織り交ぜてくるのが難点だ。
それでも、彼女の言葉に嘘はないのだろう。私はもう一度ドレスに視線を落とした。今着ているドレスほど華やかではないが、気品があり、悪役令嬢らしい威厳も感じられる。
エミリアの言うとおり、試してみる価値はありそうだ。軽く息をつき、私は静かに頷いた。
二度目の定期テストが終わり、リナは無事に平均点以上の成績を収めた。バッドエンドの回避成功である。
しかも今回は、余裕を持って平均点を上回っている。成績優秀とまでは言えないが、学園に入学した当初のポンコツぶりを考えれば、十分すぎるほどの成長だろう。
七月も終わり、学園は八月の夏休みに入る。そして、夏休みが明ければ、すぐに学園祭が訪れる。
エミリアに着替えさせてもらいながら、私はこれまでのことを振り返る。
あまりのリナのポンコツぶりに、悪役令嬢の立場を返上して、彼女をサポートしてきた。おかげでリナの成績は向上し、攻略キャラたちとの交流も順調に進んでいる。
だが──本当にこれでうまくいくのか、自信がない。
ゲームと違い、私はヒロインであるリナの行動をすべて把握することができない。彼女が私の見ていないところで、攻略キャラたちとどのような関係を築いているのか、それがさっぱりわからないのだ。そもそも、二人きりでいい雰囲気になるイベントに私が介入できるはずもない。
──リナの本命がわからない……
どのキャラとも一定以上の好感度は獲得しているはずだが、彼女は一体誰を選ぶのだろう。
学園祭の最終日、グランドナイトガラと呼ばれる舞踏会で、世界の命運が──そして私の生死が決まる。
ゲーム中では、建国祭の必須フラグを立て、かつ好感度が一定以上のキャラがヒロインにダンスを申し込む。それに応えるかどうかは、ヒロインの選択肢次第だ。
私は、リナが幸せになれるなら、誰を選んでもらっても構わない。ただ、もしそのキャラの好感度が条件に達していなかったら──
背筋を冷たいものが駆け抜ける。胸の奥に湧き上がる不安を押し殺し、私は奥歯を噛み締めた。
「クラリス様、できました」
背後からかかったエミリアの声に、私はハッと意識を引き戻す。
そして──目の前の鏡に映る自分の姿に、息を呑んだ。
そこにいたのは、紛れもなく悪役令嬢──クラリス・エヴァレットだった。
漆黒のドレスを纏い、堂々とした姿勢で鏡越しにこちらを見据える彼女は、まるでヒロインの前に立ちふさがる運命そのもの。
──学園祭の夜、初めての舞踏会に不安を隠せないヒロインに、彼女は悪役令嬢らしく告げる。
「今さら何を怯えているの? 不安に身を委ねるくらいなら、前を向きなさい。誰に何を言われようと、自らの足で進むことね」
その言葉が、私の中で反芻される。
今さら何を怯える必要があるのか。私は悪役令嬢。ヒロインを引き立てる、絶対的な存在でなくてはならない。ならば、前を向いて、最後まで足掻くのみ。
鏡越しに、エミリアに招かれたリナとルークが部屋に入ってくるのが映る。私の姿を目にした二人が、息を呑んだのがわかった。
ゆっくりと振り返り、静かに告げる。
「……これにするわ」
リナは口元を押さえながら、何度も小さく頷いた。
一方で、隣に立つルークは、呆然とした顔のまま、私をじっと見つめている。やがて正気を取り戻したのか、視線を逸らさずに、小さく呟いた。
「……いいんじゃないかな」
二人の反応に、エミリアは満足げに頷くと、控えていた針子たちに微調整の準備を進めさせる。それと同時に、リナとルークに再び部屋の外で待つよう促す。
だが、ルークは動かなかった。
「……ルーク?」
じっとこちらを見つめたまま、動かない。何かに取り憑かれたような視線に、少しだけ居心地の悪さを覚える。
しばらくして、ルークは伏し目がちに小さく息を吐くと、「ごめん、出るね」と言い、リナの後を追って部屋を出て行った。
針子たちの指示に合わせて体を動かしながら、私は再び鏡の中の自分を見やる。
──そう。私は”クラリス・エヴァレット”。完全無欠の悪役令嬢。
必ず、この難局を乗り越えてみせる。
運命の時は、もうすぐそこまで迫っていた。




