【リナ】クラリス様の人間関係 2
生徒会室の扉の前に立つ。中からはアレクシス殿下とクラリス様の声が聞こえた。すでにお二人は中にいるようだった。
私は数回ノックし、扉を開け──
──すぐ閉めた。
「え、な、何? なんで閉めるの?」
私と一緒に中に入ろうとしていたルークくんが、突然閉じられた扉に阻まれ、勢い余ってつんのめりそうになりながら抗議の声を上げる。
私は扉のノブをしっかりと握りしめ、震える声で言った。
「……ルークくん、今日は帰ろう」
「え? 何言ってるの、リナ?」
「今日の生徒会室の扉は壊れてるみたい」
「いや、さっき開いたよね? リナが閉めたんだよね?」
わけがわからないといった様子でルークくんが困惑している。しかし、困惑しているのは彼以上に私のほうだった。
先ほど、扉を開けた瞬間に見えた一瞬の光景が、目に焼き付いて離れない。
扉の隙間から見えた、アレクシス殿下とクラリス様。
お二人が──口づけをしているように見えたのだ。
……いや、私の見間違いかもしれない。定期テストの準備で疲れて、頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
いやいや、そもそもお二人は婚約者同士なのだから、口づけくらいしていてもおかしくはないのだろう。むしろ、驚いている私のほうがおかしいのかもしれない。
もうわけがわからなくなり、混乱していると──
ルークくんの手が私の手に添えられた。
「ごめんね、リナ」
見上げると、驚くほど綺麗な笑顔を浮かべたルークくんが、私の手ごとノブをひねり──
勢いよく扉を開けた。
「きゃあ!」
ノブごとひねられた手首が痛んだが、それよりも勢い余って部屋の中に飛び込まされたことに驚き、思わず声を上げる。
「……リナ、ルーク?」
頭上から聞こえたクラリス様の戸惑った声に、私は恐る恐る顔を上げた。
アレクシス殿下とクラリス様が、目を丸くしながら私を見下ろしている。お二人の手には、同じ本が握られていた。
私は半分パニックになりながら、必死に言い訳をひねり出そうとする。
「あ、えっと、これはつまり……」
「──二人で何をしてたのかな?」
私の言葉を遮るように、ルークくんが先ほどの見事な笑顔のまま、しかし背筋が凍るような冷たい声でお二人に問いかけた。
「何って……劇の練習よ」
クラリス様はいつもの無表情を崩さぬまま、しかし少し戸惑ったように、手にしている本の表紙を私たちに向ける。
そこには、「エルデンローゼの誓い」 と書かれていた。
どうやら、私たちが来るまでの間、劇の練習をしていたらしい。
とすると──先ほど私が見た、あの光景は。
口づけを交わしているように見えたお二人の姿は、きっと劇のワンシーンだったのだろう。
私は全身の力が抜けるのを感じた。それと同時に、勝手に勘違いしてしまった自分が恥ずかしくなる。
私が一人で百面相をしているのを見て、クラリス様は少し考え込むような仕草を見せた。しかし、すぐに顔を上げ、私に向かって声をかけてくる。
「──リナ。あなたも手伝ってくださる?」
私はきょとんとしながら首を傾げた。
お手伝い? 大道具作りだろうか? 体力には自信があるので、それなら役立てるかもしれない。
「はい! 何でも言ってください!」
クラリス様の役に立てるのが嬉しくて、拳を握りしめながら元気よく答える。クラリス様は満足げに頷くと、私をアレクシス殿下の隣に立たせた。
──え?
殿下は身長が高いので、小柄な私は見上げる形になる。とても整った顔立ちには、困惑の色が滲んでいた。
「おい、クラリス……」
「客観的に見てみないとわかりませんので」
抗議の声を上げるアレクシス殿下を、クラリス様はさらりと制する。私は何の話をしているのかわからず、お二人の顔を交互に見比べた。
クラリス様はルークくんの立っているところまで下がると、脚本に視線を落とし、「では、どうぞ」と合図をする。
……どうぞ? 何が?
頭の上に疑問符を浮かべながら、私は再びアレクシス殿下を見上げた。殿下は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「姉さん、どういうこと?」
戸惑う私を見かねたのか、ルークくんがクラリス様に問いかける。クラリス様は手にしていた脚本を開き、彼に説明した。
「『誓いの口づけ』のシーンで、どのようにしたら自然に見えるかを確認しようとしているのよ」
ルークくんが驚いたように目を見開いた。私は目だけでなく、口もあんぐりと開いてしまう。
──く、口づけ?? まさか、私と殿下がやるの??
あまりの事態に私は開いた口を塞げない。クラリス様とアレクシス殿下を交互に見つめる。
「ちょっと、姉さん……それはさすがに……」
私の方を窺いながら、クラリス様を止めようとするルークくんだったが、「大丈夫よ。本当にするわけではないから」と言って、私とアレクシス殿下を視線で促した。
──いやいやいや、本当にするわけじゃなくても、口づけっぽく見せるってことは、かなり近づかなきゃいけないわけで……
私は助けを求めるようにアレクシス殿下を見上げた。たいへん整った殿下の顔は、遠くから見ている分には感謝の念を抱くほどだが、近距離で見たら息の根が止まりそうだ。
殿下は眉根をきつく寄せてクラリス様を睨んでいた。しかし、次の瞬間、表情を緩め、口の端をわずかに上げて笑った。
なにかいい案でも思い浮かんだのだろうか。期待して見ていると、殿下の手が私の肩を掴んだ。
「悪い。少し我慢していてくれ」
アレクシス殿下は、私にだけ聞こえるくらいの小さな声で囁いたかと思うと、私の肩と腰を掴んで、一気に自分の方へ引き寄せた。
私は悲鳴を上げそうになったが、奥歯を噛んで必死に堪える。殿下の肩越しに、クラリス様とルークくんの顔が見えた。二人とも驚愕の表情でこちらを凝視している。
私は何が起こっているのか理解できなかったが、アレクシス殿下には何か考えがあるのだろうと信じるしかなかった。
肩を掴んでいた殿下の手が離れたかと思うと、その手が私の頬に添えられる。
殿下の顔が近い。どんどん近づいてくる。
硬直して動けない私の頬の近くで動きを止めると、「協力、感謝する」と小さく呟いて、すっと顔を離した。
私は殿下の腕から解放されると、その場にへたり込む。
──心臓に悪い。悪すぎる。
力が抜けて動けない私のもとに、クラリス様がそっと近づき、優しく肩に手を添えた。
「……とても良かったわ、リナ」
……いや、一体何が良かったんですか。なんでそんなに満足そうなんですか……
まったく理解できないが、クラリス様は無表情ながらも、どこか満足げだった。
「では、本番も今のようにやることにしよう」
アレクシス殿下の声が頭上から降ってくる。へたり込む私と寄り添ってくれているクラリス様を、なぜか殿下も満足そうな笑顔で見下ろしていた。
クラリス様が少し焦ったように殿下を見上げた。
「いえ、本番は別に……」
「完璧な演技を披露する必要があるんだ。今の演技は良かったのだろう? では、本番も同じようにしよう」
戸惑うクラリス様と、勝ち誇ったようなアレクシス殿下の様子に、私は自分が殿下の策略に利用されたことを悟った。
──うわぁ……殿下が悪い顔をしている……
クラリス様は、自分がアレクシス殿下の相手役だということをすっかり忘れていたのだろうか。先程のような密着ぶりを、殿下とすることになるとは、まるで考えていなかったように見える。
しかし、殿下はそれを逆手に取り、自分がクラリス様に近づく機会を作り出したに違いない。
「謀ったね、アレクシス」
ルークくんが不機嫌そうな顔でお二人の間に割って入る。だが、アレクシス殿下はまるで意に介さず、余裕の笑みを浮かべたままだった。
二人の間に漂う不穏な空気をよそに、私はそっとクラリス様の横顔を窺う。
彼女の表情には、「どうしてこうなったのだろう」と不可解そうな色が浮かんでいた。
──クラリス様……本当にわかってないんだ……
クラリス様は完璧な公爵令嬢だ。冷静で聡明で、常に的確な判断を下す。
だけど──自分に向けられる好意には、びっくりするほど鈍感すぎる。
私はこっそりとため息をついた。
クラリス様の隣にいられることは、私にとって光栄で、手放したくない立場だ。だけど、彼女を取り巻く人間関係には、これからも悩まされることになりそうだった。
ヒロインっぽい巻き込まれ方をしました(笑)。
リナとアレクシスを近づけようとして、逆にはめられたクラリス。
今回はアレクシスが一歩上手でした。
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