弟のお願い
──心臓が爆発するかと思った。
公爵邸に戻り、エミリアに着替えさせてもらいながら、私は深いため息をついた。
今日のお茶会でアレクシスと脚本の読み合わせをしていただけなのに、強力な魔物と戦った後のような疲労感がある。それというのも、アレクシスの妙に熱のこもった演技のせいだ。
「私は、これからも、君の隣に在ることを許してほしいと思っている」
彼が口にしたエルヴィンのセリフが、まるで自分に言われているかのように心に突き刺さり、私は一瞬息ができなくなった。
即座に我に返り、エルヴィンのキャラが崩れていることを指摘すると、それがよっぽどショックだったのか、アレクシスは突っ伏してしまった。
執事のヴィクトルがお茶会を終わらせてくれたから助かったけれど、あのままだったらいたたまれない空気が流れていたことだろう。ヴィクトルは本当に有能だ。
着替えが終わり、もう一度ため息をつくと、私は視線を感じて顔を上げた。
エミリアがこちらをじっと見つめている。この視線は、お茶会の後からずっと感じていた。残念なものを見るような目に、私は眉根を寄せる。
「……何かしら、エミリア」
「……何でもございません」
そう言いながらも、エミリアはどこか不満げだ。彼女がこんなに感情をあらわにすることは珍しい。
もしかしたら、私がアレクシスの言葉に動揺したことに気づき、失望しているのかもしれない。確かに、完璧な公爵令嬢としてはあるまじき失態だ。反省しなければならない。
常に完璧に。冷静沈着に。
エヴァレット家の人間は、こうでなければならない。
私は姿勢をいつも以上に正すと、夕食に向かうため部屋を出た。
──いや、出ようとして、壁に阻まれた。
エミリアが扉を開けると、そこにはルークが立っていた。
いつもの爽やかな笑顔はどこにもなく、非常に不機嫌そうな顔で扉の前に立っていた。
私は思わず一歩後ずさる。
……ちょっと待って。今日のエヴァレット家は、みんな矜持を守れていないんじゃないかしら。
我が家は大殺界なのかもしれないと思いつつ、不機嫌な表情を貼り付けたルークを見上げる。
「……何かしら、ルーク」
先程のエミリアと同じように、ルークに声を掛ける。
「……アレクシスとお茶会だったんだって?」
ルークはじとっとした視線で私を見下ろしている。
たしかにその通りだが、それでなぜ彼が不機嫌になるのかがわからない。私は少し困惑しながらも、コクリと頷いた。
「ええ。クラス劇の練習に誘われて……」
ルークの目が驚きに見開かれる。
「……二人きりで?」
「ええ、まぁ……そうね?」
学園ならともかく、城の中で婚姻前の男女が二人きりになるなどありえない。だが、執事や侍女、護衛を除けば、確かに二人きりだった。
ルークは扉を支えたままのエミリアに視線を向ける。エミリアが静かに頷くのを見て、彼はホッとしたように息を吐いた。エミリアが一緒だったことを確認し、安心したのだろう。
婚約者とはいえ、王太子と密室で二人きりで過ごすなど、醜聞にしかならない。それを案じてくれるルークは、やはりいい子だ。
「もちろんエミリアも一緒よ」
「だよね……ああ、びっくりした」
ルークの顔から剣呑な色がすっと抜けていく。私も胸を撫で下ろし、そっと息をついた。
そこで、ルークに話しておきたかったことを思い出し、口を開く。
「ルーク、明日は空いているかしら?」
「え? あ、うん……空いてるけど……」
唐突な質問に驚いたのか、ルークは目を瞬かせた。
「明日、学園にある服飾店に、リナとグランドナイトガラ用のドレスを見に行くの。あなたも一緒にどう?」
私の誘いに、彼は一瞬動きを止めた後、困ったように微笑んだ。
「……ほんと、姉さんはいつもリナのことばっかだね」
寂しげな笑みに、私は思わず少し考え込む。
──確かに、端から見れば私は立派にリナの保護者だろう。今の私は悪役令嬢というより、ヒロインのオカンだ。
自分の命、そして世界を救うために必要なこととはいえ、今さらながら自分の立ち位置に困惑する。
俯いて考え込んでいると、ルークがくすりと笑った。
「姉さんらしくていいんじゃないかな。でも、できれば僕のことも構ってほしいな」
弟の意外なお願いに驚いて顔を上げると、見惚れてしまうほど優しい笑顔がこちらに向けられていた。それはいつもの弟らしい笑顔ではなく、ゲームの中でヒロインを見つめていたあの笑顔に似ていて、私は思わず言葉を失う。
戸惑いで動けない私の手を、ルークが自然に取り、くるりと踵を返す。
「さ、夕食に行こう。安心したらお腹が空いちゃった」
扉を開けた直後の不機嫌さはどこへやら、明るい声でそう言うと、彼は私の手を握ったまま食堂へと向かった。私はその手を振り払うこともできず、されるがままに彼と共に食堂へと向かうのだった。




