不本意
七月に入り、学園祭の準備がいよいよ本格化してきた。
生徒会はもちろん多忙を極めているが、イベントを企画し運営する各クラスや有志たちの動きも活発になり、学園全体が熱気に包まれている。
アレクシスと私は生徒会の一員として、当日は全体を監督する役割を担う予定だ。そのため、クラスの催し物には直接参加せず、あくまで裏方として全体の進行を見守る立場に徹する予定だった。
──そう、それはあくまで予定の話。
「アレクシス様、クラリス様! どうか、どうかお願いします……!」
クラス委員長のレティシアが、懇願するように両手の指を組み、私たちの前で跪いている。
美しい栗色の三つ編みが揺れ、青い瞳には今にもこぼれそうな涙が浮かんでいる。その瞳が、アレクシスと私を交互に捉え、切実な思いを訴えかけてくる。その必死な表情と震える声に、さすがのアレクシスも言葉を失っているようだった。
「お二人に、ぜひ主役をお願いしたいのです……!!」
レティシアの声は真剣そのものだった。
周囲を見回すと、クラスメイトたちも息を潜め、私たちの反応を窺うように視線を送っている。その期待と不安が入り混じった空気に圧を感じる。
──なるほど、こうして劇に巻き込まれるというわけね。
心の中でため息をつきつつも、私はレティシアを見下ろす。その懇願の姿は驚くほどに情熱的だ。私は冷静さを装いながらも、彼女の行動力に密かに感心していた。
私たちが事前に把握していたクラスの催し物は、劇「エルデンローゼの誓い」。王国建国の物語を題材にした歴史劇で、初代国王と王妃の出会いと絆を描く壮大な物語だ。学園祭の目玉となるであろうこのイベントは、すでに多くの注目を集めていた。
生徒会役員は通常、クラスの催し物には関与しない。それゆえ、劇への出演など想定外だ。だが、どうやらクラス内では、満場一致で私たちを主役に推すことが決定されてしまったらしい。
隣で沈黙を守るアレクシスの表情はわずかに険しい。生徒会として、私たちはすでに学園祭の準備で忙殺されている。当日は補助人員も増える予定だが、それでもトラブルがあれば対応に追われるのは私たちだ。そんな状況で、舞台に立つ余裕などない。
──しかし。
これは私にとって、むしろ想定内の出来事だ。ゲーム中でも、私たちのクラスはこの劇を実施し、主役を務めたのは初代国王役のアレクシス、そして王妃役の私、クラリスだった。
もちろん、ヒロインは一年生でクラスが異なるため、劇には参加しない。だが、ゲームでは生徒会室でアレクシスの劇の練習を手伝うというイベントが発生する。劇中のキスシーンで、見つめ合ったまま、しかしその距離を縮められない二人──最高にエモい。
私はこのイベントを、ぜひとも成功させたい。そのために、真剣な表情でレティシアに向き直る。
「承知しました、レティシア様。わたくしでよければ、微力ながら務めさせていただきます」
「……っ!? 正気か、クラリス!?」
アレクシスの驚きの声が飛んでくる。この不純な動機を持っている状態で正気か問われると非常に困るのだが、少なくとも本気だ。
生徒会の仕事は確かに多忙を極めている。だが、劇のセリフを覚える程度であれば、隙間時間を使えば何とかなるだろう。エヴァレット家クオリティを舐めてもらっては困る。
問題は、私の表情筋がきちんと仕事をしてくれるかどうかだが──そこは目を瞑っていただきたい。重要なのは、私の演技そのものではない。この劇を通して、アレクシスとリナのイベントを成功させることだ。
当然、私が承諾するとは思っていなかったのだろう。アレクシスは困惑の表情を浮かべている。私はちらりと彼に視線を向けた。
「わたくしたちは生徒会の仕事で、クラス行事の運営のほとんどをレティシア様たちに頼り切っている状態です。わたくしにできることがあれば、お力をお貸ししたいと存じます」
「確かにそうだが……」
私の至極真っ当な意見に、アレクシスは反論できない様子だ。しかし、その顔には依然として承諾しかねる複雑な色が浮かんでいる。
たしかに彼にとって、私とラブシーンを演じるというのは耐え難いことなのかもしれない。婚約者同士とはいえ、私たちは永遠のライバルだ。私だってできればご遠慮したい。
私はアレクシスの心情に理解を示すように、深く頷いてみせた。
「お相手がわたくしでは不本意かもしれませんが、わたくしたちも生徒会の仕事で、劇の稽古にはそんなに参加できないと思われます。わたくしと向き合うのも、そんなに多くない回数で済むでしょうから、ご安心ください」
私の言葉に、アレクシスは大きく目を見開いた。心情を見透かされたことに驚いたのだろうか。ふふん、そんなことはお見通しなのだ。
「レティシア様。今申し上げました通り、わたくしたちは生徒会の仕事がありますので、劇の稽古に参加できる回数は限られます。その代わり、セリフなどは完璧に覚えておきます。それでもよろしいでしょうか?」
「もちろんです! それでも構いません!」
私たちを主演に据えるために必死なのだろう。レティシアは私の手を取り、満面の笑みで首を縦に振った。彼女は私と同じ公爵令嬢のはずだが、その様子は崇拝のようで、まるでアイドルに対するファンのようだった。その瞳は喜びでキラキラと輝き、私まで圧倒されそうになる。
自然と、私とレティシアの視線がアレクシスに移る。彼は一瞬顔を歪め、まるで逃げ道を探すかのように天井を見上げたが、最後には深いため息をついて首肯した。
「……わかった。やろう」
「ありがとうございます! アレクシス様、クラリス様!!」
その瞬間、教室中に歓声が沸き上がる。レティシアは仲間たちと喜びを分かち合うべく、すぐにその輪の中に飛び込んでいった。王城で会うときは楚々とした雰囲気なのに、学園での彼女はずいぶんと自由だ。もっとも、私も人のことは言えないけれど。
ふと、アレクシスから強い視線を感じ、私はそちらに顔を向ける。案の定、大変不機嫌そうな彼の表情が目に入った。
「……巻き込んでしまい、申し訳ございません」
巻き込んだのは事実なので、一応謝罪の言葉を口にする。後悔はしていないが、後で報復されても困る。しかし、私の謝罪にもかかわらず、アレクシスの表情は変わらない。
「……不本意などではない」
彼はボソリと呟く。教室中の歓声にかき消されそうなほど小さな声だった。
私はその言葉の意図を掴めず、訝しむように彼を見つめる。するとアレクシスは呆れたように小さく頭を振り、額に手を当てた。
「なんでわからないんだ……」
その言葉はさらに小さく、ほとんど聞き取れなかった。ただ、彼が心底呆れていることだけは伝わった。
──なんだか、不本意なのはこっちのほうだ。
レティシア嬢はずっとこの二人に劇を演じてほしいと思っていましたが、以前のアレクシスとクラリスの関係では難しいかもと考えていました。
しかし、先日のお姫様抱っこ事件で「イケる!」と思ったようです(笑)。
来週からは火、金の週2回更新になります。
次回は4/8(火) 19:00更新予定です。
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