共犯者
……この状況は、一体何なのか。
私は眼前で微笑む魅惑の魔術教師を、驚愕と困惑の入り混じった目で見つめていた。
そんな私の反応を、ゼノはおかしそうに眺めている。相変わらず整った顔立ちが憎らしいくらいに麗しい。それを、こんな至近距離から見上げる羽目になるなんて。
──いやいや、そうじゃない。大事なのはそこじゃない。
なんで私、ゼノに膝枕されてるの?
何故か私はゼノの膝の上で目を覚まし、目を開けた瞬間、彼が私を見下ろして楽しそうに微笑んでいたのだ。
まったく意味がわからない。混乱しすぎて、頭の中が真っ白になる。私は一体何をしたのか──自分の記憶を必死に引っ張り出し、今日の行動を振り返る。
そうだ。今日はリナと魔物討伐に出かけ、妙な魔物に遭遇し、その後医務室に運ばれ──そう、医務室でしばらく休んだ後に魔術結界の状況が気になり、ゼノの研究室を訪ねたのだ。
医務室は、こっそりと抜け出した。あのまま大人しくしていたら、きっとアレクシスに強制的に公爵邸に送られていたに違いない。それも、あの恥ずかしいお姫様抱っこで。
あの調子だと、わざとやっている可能性が高い。私が嫌がるのがわかっていて、それを心底楽しんでいる顔だったから。普段、私にしてやられてばかりだからって、そんな仕返しをするなんて、嫌がらせもいいところだ。
それはともかく、ゼノの研究室に来てからの記憶が曖昧だ。確か、魔術結界にほころびがあったと聞かされて、それから……? そういえば、なにか甘くていい匂いがしていたような──
その瞬間、ザーッと血の気が引くのを感じた。
思い出した。これ、イベントスチルにもあったやつだ。
「封印の鍵」であるヒロインを探るため、ゼノは彼女を研究室に呼び出し、催眠効果のある香を焚いて情報を引き出そうとする。しかし、得られたのはヒロインがゼノに対して抱いていた真っ直ぐな好意。それをきっかけに、ゼノは彼女を一人の女性として意識し始める──という乙女ゲーム的に大変美味しい展開だ。
だが、リアルでその状況に陥るのはただの恐怖でしかない。何なの、催眠効果のある香って。嫌な想像しかできない。
体を動かそうとするが、どうやらこの香は相当強力らしい。身体が重く、思うように動けない。その間も、ゼノは私の顔に無遠慮に触れてくる。この人、接触が多すぎる。全年齢向けの範囲を超えるから、本当にやめていただきたい。
「とても有意義な時間だったよ、クラリス嬢」
ゼノの声が耳朶を撫でる。その低く柔らかな響きには、どこか艶めいた色気が宿っていた。背筋を伝うゾクゾクとした感覚に、思わず身をこわばらせる。
彼の指先がそっと頬をなぞり、次いで髪へと移る。掬い上げられた一房の髪が、彼の指の間で滑らかに揺れた。そして、ゼノはそれを宝物を扱うかのように丁寧に持ち上げ、唇を寄せる。
心臓が跳ねる。この状況で、それはちょっと──
「ゼ、ゼノ先生──」
動かない体に反して、どうやら声だけは出せるようだ。私は何とか抗議の声を上げた。だが、ゼノはその手を止める気配を見せず、魅惑的な微笑みを浮かべながら再び頬に触れてくる。
「──『古代の神』、だったかな」
口から出かかった次の抗議の言葉が、その名を聞いた瞬間に止まる。唇が震える。
──なんで、ゼノがその名前を……
「古代の神」の名前が出てくるのは、学園祭の後だ。ゼノは「王国の影」として、「封印の鍵」を監視する役割は与えられているが、それが何のための力なのかまでは知らないはずだ。それなのに、今の彼がその名を知っているということは──
「本来なら学園祭の後に現れるはずだったそれが、もしかしたら力の片鱗を見せ始めているのかもしれない。魔術結界のほころびの話を聞いて、君はそう判断したんだね?」
──間違いない。私は、彼にすべてを話してしまったのだ。
催眠状態になると、話したことを覚えていないとは聞いていたが、実際にその状況に陥ると恐ろしさが桁違いだ。私がどこまで話したのか、全く記憶がない。
だが恐怖よりも先に、別の不安が頭を占めた。
一体どこまで話したの、私!? まさか、前世の黒歴史まで暴露してないわよね!?
頭を抱えたくなるほどの羞恥に襲われている私を見て、ゼノはくすりと笑みを浮かべた。
「君でも、そんな顔をするんだね。それとも、それが本当の君の姿かな」
──今の私はどんな顔をしているんだろう。少なくとも、完璧な公爵令嬢としての仮面はズタボロに違いない。ゼノの顔をまともに見ることができなくて、必死に視線を逸らす。この羞恥心ごと地面に埋まってしまいたい。
私の反応を十分に楽しんだのか、ゼノは私の頬に触れた手で、無理やり視線を合わせさせた。その瞳に絡め取られるような感覚に、息が止まりそうになる。
「さて、君からは有益な情報をいただいたからね。私もお返しをしよう」
彼の眼鏡越しに輝くアメジストの瞳が私を射抜く。背筋にヒヤリと冷たいものが走り、私はゴクリとつばを飲み込んだ。
「結構です」と断ろうとした私の口元を、人差し指が軽く押さえる。
「これから、私も君に協力することにした。君がやろうとしていることに、全面的に力を貸そう」
ゼノの言葉に、私は思わず目を見開く。その意図を理解しようとする前に、思考が止まった。
──協力? ゼノが私に? 力を貸してくれる……?
香の影響が残っているのか、頭がうまく回らない。そんな私を見て取ったのか、ゼノはさらに言葉を続けた。
「君はリナ君の『封印の鍵』としての力を引き出すために、彼女を鍛えているんだろう? 私もそれに協力すると言っているんだ」
──私はまだ夢でも見ているのだろうか。
ゼノは私の記憶を覗いた結果、協力を申し出たと言う。その理由が見当もつかない。彼の任務は、リナを監視することだけのはずだ。それなのに──
彼の説明は続く。
「君も知っての通り、私は『王家の影』──王家と国を影から守る者だ。「古代の神」などという存在に、国を乱されては困る」
その言葉に、私はようやく得心した。
確かに、「古代の神」が目覚めれば、国は大きな混乱に陥るだろう。ゲーム内でも、学園祭の後は、国中が警戒状態に入り、今のような平穏な日常は消え去る。それどころか、もしリナが「封印の鍵」としての力を使えなければ、国自体が滅びる可能性すらある。
その事実を理解した瞬間、私の肩の力が抜けた。
今まで、「封印の鍵」や「古代の神」に関する情報を一人で抱え、必死に奮闘してきた。私は完全無欠の悪役令嬢なのだから、この事態を何とか一人で収拾しなければならない──ずっとそう信じてきた。
「完璧であれ」──それが、エヴァレット家の家訓。そして、私はクラリス・エヴァレットに転生した。
だが、今この瞬間、自分が抱えていた孤独の重みを初めて自覚する。
視線を上げ、ゼノの顔を見つめる。その穏やかで魅惑的な微笑みの裏に、「王家の影」という冷徹な正体が潜んでいることを、私は知っている。だが、それでも──彼は、リナのために力を貸すと言った。
すべてをさらけ出してしまった私を、彼は”獲物”ではなく、利用すべき存在と認識した。その手を取るべきか否かは、私に委ねられている。
ゼノは、国を守るために動く男だ。彼が国に仇なすことはない。それは絶対の事実だ。
何より──
私は静かに目を閉じた。今日起きた出来事を頭の中で反芻する。自分の知る物語とは異なる展開に変わり始めた現状。
すべてを自分一人で抱え込むのは、正直言って、限界だった。
「……承知しました」
ゆっくりと目を開ける。ゼノのアメジストの瞳と視線を交わすと、その深い光にわずかに心を射抜かれるような感覚が走った。
私は、この人が怖い。でも同時に、誰よりも彼のことを知っているはずだ。ゼノは──”約束”を違えることはしない。
それならば、私は信じる。
「私と、世界を救ってください──ゼノ」
言葉が静かに部屋の中に溶けた。
──この瞬間、私たちは共犯者となった。
秘密を抱えた二人が共犯者になりました。
次回は3/31(月) 19:00更新予定です。




