【ゼノ】彼女の正体 1
訓練区域の魔術結界に生じたほころびにそっと触れる。その瞬間、微かな魔素の波動が歪みとして指先に伝わった。私は眉をひそめ、それを跡形もなく消し去る。
周囲の魔術教師たちに気づかれることなく作業を終えると、私は静かにため息をついた。
このほころびを最初に確認したとき、目を疑った。結界は学園でも最重要の防護魔術の一つであり、ほころびが生じること自体が異常だ。それがいつから存在していたのかは不明だが、リナを襲った魔物の様子から推測すると、少なくとも一ヶ月以上は放置されていたと考えられる。
ほころびの周辺では魔素の濃度が異常に上昇していた。そこを根城にしていた魔物が高濃度の魔素を吸収し、強力な個体へと変異したのだろう。しかし、この異変に誰も気づかなかったことには、呆れざるを得ない。
魔術結界の監視は私の担当ではない。それでも、放置すれば学園全体に混乱が広がる可能性があった。責任感からではなく、ただ無駄な騒ぎを避けたいという一心で私は動いた。
長年訓練区域で生き延びた魔物が魔素を蓄積し、それが一時的に濃度を急上昇させた──そうしたストーリーを構築する必要があるだろう。それを後ほど魔術教師たちの間で共有すれば、真相を追及されることもないはずだ。
修復箇所を確認し、何事もなかったかのようにその場を後にする。背後では、結界が魔素を静かに抑え込む音が微かに響いていた。
気づいている者がどのくらいいるのか──この訓練区域の魔素濃度は、少し前に比べて僅かだが上昇していた。
その変化は、ごく僅かな魔素の違いを感知できる者でなければ分からない程度だ。学園内でそれを感じ取れるのは、魔素への感度が異常に高い王族である王太子くらいだろう。
結界のほころびは、この魔素濃度の変化が引き金となった副産物かもしれない。今後は、より厳密に監視する必要がある。もしこれが学園だけの問題ではなく、王国全体に波及しているとすれば──宰相への報告が必要だろう。
そこまで考えたところで、”彼女”の顔が頭をよぎった。
影を通じて訓練区域の外から監視していた彼女たちの動向を思い出す。予想通り、リナとペアを組んだ彼女──クラリスは、相変わらず過保護なほどリナを気遣い、世話を焼いていた。
リナが「封印の鍵」と知っているクラリスが、彼女を鍛えようとするのは理解できる。現時点での彼女の力は正直お粗末すぎた。クラリスのおかげで少しはマシになったが、それでも国の危機を救えるほどではない。
同時にクラリスは、リナと彼女を取り巻く男性陣との絆を深めようとしているようにも見えた。そして、その中には私も含まれているのだろう。おそらく対象は、王太子、ライオネル、ルーク、そして私だ。
彼女は、「封印の鍵」の力を使うには、人との絆を深めることが必要だと言っていた。そのため、彼女はリナと彼らとの関係を深めようとしているようだ。しかし、私の目には、むしろクラリス自身が彼らを惹きつけてしまっているように見えた。
ともかく、現時点で私の目的と彼女の目的は干渉していない。今のところ、彼女を”獲物”と見なすつもりはない。
だが──
リナが魔物に襲われたときの光景が脳裏をよぎる。
一瞬の出来事だったが、リナが木に激突する寸前、影を使って彼女の体を包み込み、衝撃を和らげることに成功した。監視対象へのダメージは最小限に抑えられたはずだが、その後に起きた出来事は、私の予想を大きく超えていた。
傷ついたリナを見たクラリスが、膨大な魔素を取り込み構築した氷魔術で、魔物ごとあたりを氷漬けにした。いつも冷静沈着な彼女が、あれほど常識外れな力を暴発させたことに、驚愕と同時に、直感的に思った。
あれは”いつもの彼女”ではない──と。
彼女は傷ついたリナを抱きしめたまま、呆然と涙を流していた。深い紫紺のはずの瞳が、光を受けて金色に輝いているように見えた。それはどこか不気味でありながらも、目を奪われるほどに美しかった。一瞬、私は起きた事象を忘れ、その美しい姿に見惚れてしまっていた。
その正体を知りたい。彼女のすべてを、自分の前に余すことなくさらけ出させたい──その衝動に似た欲望が、胸の奥からじわりと湧き上がる。
それがあまりにも暴力的な感情であることに気づき、自分自身に少し驚いた。彼女にこんな感情を抱くとは、思いもしなかったのだ。
自嘲気味に唇を歪め、静かに笑う。湧き上がる欲望を振り払うように、私は足を自分の研究室へと向けた。
リナのケガが筋肉痛で済んだのも、実はゼノのおかげ。
それにしても、ゼノが出てくると途端に年齢制限がかかって困ります(笑)。
次回は3/26(水) 19:00更新予定です。




