魔物討伐 2
学園の生徒が魔物討伐に赴く先は、訓練用の区域だ。魔術で結界が張られており、魔素の濃度が適切に調整されている。この魔術結界のおかげで、強力な魔物は出没せず、安全に魔物討伐の訓練ができる。
区域全体は深い森のような雰囲気を持ち、木々の間を縫うような道が続いている。
「四人で行かれるんですね。お気をつけて」
入口に立っていたライオネルが、いつもの穏やかな笑顔で私たちを見送る。彼の落ち着いた声は、いつも私の心を和らげてくれる。
できればライオネルも一緒に行ってほしいが、特例的な場合でしかペアを組めない彼をこのメンバーに加えるのは現実的ではない。すでに桁違いの実力を持つアレクシス、ルーク、そして私がいる。彼まで加えたら、もはや訓練という名の魔物掃討になってしまう。オーバーキルにもほどがある。
訓練区域に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。魔素の濃度が増し、ピリピリとした違和感が肌を刺すようだった。私はわずかに眉をひそめる。
隣を行くリナは何も感じていないらしい。足取り軽く、まるでスキップでもしそうな勢いで森の中を進んでいる。鈍すぎる。
確かに、ヒロインという生き物は「攻略キャラの感情に気づかない鈍感スキル」を標準装備しているが、それが魔素の濃度の変化にまで適用されるとは恐れ入る。この濃度の違いに気づかないのは、ある意味才能だ。感心するやら呆れるやら。
私がそんなことを心の中で考えていると、不意に気配を感じた。
木陰から、じっとこちらを見つめる視線。その主がゆっくりと現れ、私たちの行く手を塞いだ。
体長は小型犬ほどで、漆黒の毛並みを持つ。目は赤く輝き、牙をむき出しにして威嚇している。もともとは森に生息していた動物だったが、魔素の影響で凶暴化し、魔物と化している。
「ひぃっ!」
突然の魔物の出現に、リナが小さく悲鳴を上げる。その拍子に、隣にいた私の腕をしっかりと掴んできた。
──違う、リナ。そこは私じゃなくて、アレクシスかルークの腕を掴みなさい!
「ルーク、行けるな」
アレクシスが魔物を冷静に見据えながら告げる。ルークは軽く頷くと、訓練用の剣を構えた。まだ一年生なので、真剣の使用は許可されていない。そのため、討伐訓練では、安全性を確保しつつも実戦に近い重量とバランスを持つ模擬剣が使用される。
ルークは魔物に向けて一気に距離を詰めると、狙いを定めて剣を振り抜く。刃は鈍らではあるが、剣術の正確な一撃が加われば、十分に威力を発揮する。魔物は急所を突かれ、抵抗する間もなく地面に崩れ落ちた。まるで瞬きをする間の出来事のように、すべてが終わった。
さすがルーク。この程度の魔物に手間取るはずもない。むしろ相手が弱すぎて、彼の本来の実力が発揮されていないほどだ。
隣のリナはあまりにも早すぎる結末に、私の腕を掴んだまま、驚きのあまり目をぱちぱちさせている。
「こんなものかな」
ルークは剣を軽く振り、刀身についた汚れを払うと、手際よく鞘に収めた。振り返りながら、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「動きに無駄が多い。鍛錬が足りないんじゃないのか」
アレクシスが冷静な口調で採点する。その言葉にルークは少し肩をすくめたが、不満は口にしない。
アレクシスの評価基準はいつも厳格だ。しかし、今のルークの動きは、間違いなく三年生でも到達できない域にあるだろう。それでも、そんなことをアレクシスに言ったところで、きっと「だから何だ」と返されるのがオチだ。
彼はルークを、将来の相棒として認識している。互いの父親のように、一緒に国を背負っていくと考えているので、一切の妥協は許さないのだろう。
間を置かず、木の陰から同じ魔物が複数現れた。私の腕を掴むリナの手の力が強くなる。
私はそれに優しく自分の手を添え、静かに告げた。
「あなたもやってみなさい、リナ」
「……っえ、ええ……!?」
真っ青な顔でうろたえるリナを見ていると、なんだかいじめているような気分になる。だがしかし、この悪役令嬢は容赦などしない。
「大丈夫よ。そうね、あの魔物を狙いなさい。他はルーク、あなたが排除してちょうだい」
「了解──」
私が指し示した魔物以外を狙いを定めて、今度は風魔術を構築し始める。一瞬で構築を終えると、周りの魔物たちを一掃した。
残った魔物が本能的に逃げ出そうとしたところを、私は軽く氷魔術で足止めする。足元を凍らせ、動けなくなった魔物をじっと見据えた。
「これで逃げられないわ」
リナに向き直ると、彼女は初心者用のロッドを震える手で握りしめ、ブルブルと震えていた。凍りついた魔物よりも震えているように見える。
私はため息をつき、震える彼女の手に触れる。「落ち着きなさい」と告げると、リナはハッとしたように私を見上げ、コクコクと頷いた。
ゼノとの個別指導でわかったことだが、リナの得意とする魔術は水魔術だ。……いや、得意というか、現時点では他が不得手過ぎて、水魔術が一番マシ、というレベルだが。
ともかく、今は彼女に自信をつけさせることが何より重要だ。
「ここは学園の中より魔素の濃度が高いわ。だから、いつもより多くの魔素が集まるの。でも怖がらないで、集中しなさい」
リナが戸惑わないように、できるだけ丁寧に説明する。前世の記憶を持つ私だからこそできる指導だ。魔術のない世界の人間だった私は、こういう感覚的なものがどれほど理解しづらいかをよく知っている。
リナの呼吸が次第に落ち着き、彼女の手からロッドへ魔素が集まるのを感じた。
「──今よ」
「み、水よ出てー!」
私の合図とともに、リナが大きな声で叫んだ。
……いや、この世界の魔術は詠唱や呪文が不要で、ただ魔素を形にするイメージで構築するのが基本だ。叫ぶ必要はない。
だが、リナは叫ばないと魔術を放てないらしいので、そこはあえて触れないことにする。
ロッドから放たれた小さな水柱が魔物に向かい──バシャッと魔物を水浸しにした。
……うーん。勢いが足りない。水の勢いで魔物を吹き飛ばせればよかったのだが、そこまでは至らなかった。
リナが泣きそうな目で私を見上げてくる。そのあまりの可愛らしさに、一瞬何もかも許してしまいそうになるが、私は悪役令嬢なのだ。
「……とどめは剣を使いなさい」
リナはハッとして、腰に下げていた剣に手を伸ばした。一瞬、指先が躊躇する。しかし、何かを決意したかのように柄を握り直し、しっかりと鞘から抜き放つ。そして、正面で構え直した。魔術の構えよりは、よほど様になっている。
「でぇぇぇい!」
およそヒロインとは思えない雄叫びとともに魔物に向かって突進し、剣を袈裟斬りに振り下ろす。剣の威力は十分で、魔物は低いうめき声をあげた後、地に伏せた。
「力はあるな……」
隣でアレクシスがボソリと呟いた。確かに彼女はどちらかといえば脳筋気質で、剣術のほうが向いているのかもしれない。とはいえ、この学園に入学できたのは魔術が使えるという建前のおかげだ。魔術の習得も頑張ってもらわないと困る。
地に伏せた魔物を見下ろしながら、リナは肩で息をしていた。両手で握った剣と倒した魔物を交互に見つめ、その手は微かに震えている。
私はそっと彼女に近づき、震える手に自分の手を添えた。リナが不安そうに顔を上げてくる。
「……魔物は放っておけば人々を傷つける存在よ。あなたは人々を守るために、この剣を振るったの。誇りに思いなさい」
リナの肩の力が抜け、ホッとした表情が浮かんだ。もしかすると、剣で魔物を倒したことで過去のトラウマが蘇ったのかもしれない。記憶がなくとも、体が覚えている可能性はある。やはり、剣術よりも魔術を中心に使うことを考えたほうが良さそうだ。
「ありがとうございます、クラリス様」
──どこか安心したように微笑むリナが、あまりにも可愛らしすぎて。
「……よく頑張ったわね」
私はつい、子どもをあやすようにその頭を撫でた。
すると、リナの顔がボンッと音でも立てそうな勢いで赤く染まり、周囲から驚愕の声が上がった。
「……姉さんって、リナには甘いよね」
ルークが不満げに呟く。確かに、幼い頃の彼にはここまでしてあげられなかった。
少し考えて、私は自分より少し高い位置にあるルークの頭に手を伸ばした。そして、彼の緑がかった金髪をすくように、頭を二、三度撫でた。
「……っ!?」
「あなたもよく頑張ったわ、ルーク」
実力は並外れていても、実戦経験はまだ浅いはずだ。それにもかかわらず、初戦をそつなくこなした彼をしっかり褒めておくべきだろう。
突然の行動に動揺したのか、ルークは口をパクパクさせながら顔を真っ赤に染めている。その隣では、アレクシスが不機嫌そうな表情を浮かべ、こちらを見つめていた。「甘やかすな」と言いたいのかもしれない。
しかし、今はそんなことよりも大事なことがある。
私は倒した魔物たちへ視線を移した。地に伏していた魔物たちは蒸気を上げながら、その姿を次々に消していく。そして、その場には小さな宝石のような物体が残されていた。
私はそれを一つ拾い上げ、リナに手渡す。リナはそれを受け取り、首を傾げた。
「これは……?」
「それは魔石よ。魔物の中で魔素が凝縮し、宝石のような形になるの」
魔物とは、動物や生物が魔素の影響を受けて凶暴化した存在だ。その魔素は時間が経つと体内で結晶化し、魔石となる。強力な魔物ほど大きな魔石を残すが、この程度の魔物では、小指の爪ほどの小さな魔石にしかならない。
魔物は絶命すると魔石を残し、そのほかの部分は跡形もなく消えてしまう。おそらく、魔素に呑み込まれた生物は、その生命そのものを魔石に変えてしまうのだろう。
だが、そんな理屈はどうでもいい。
重要なのは、この魔石が学園内で通貨のように扱われているという点だ。
「学園内のお店の商品は、魔石と交換して買うことができるわ。今後、あなたたちも自由に訓練区域に入れるようになるから、しっかり魔石を集めることね」
リナは「へ〜」と感心しながら、手のひらに置いた魔石をじっと見つめている。ルークもそれを覗き込むようにして興味深そうに見ていた。
──そう、ゲーム中でも、訓練区域で魔石を集めることは攻略において非常に重要だった。
集めた魔石で便利なアイテムを購入すれば、以降の攻略が格段に楽になる。さらに、学園内には服飾店もあり、貴族ではないリナはそこでグランドナイトガラ用のドレスを購入する。お金──つまり魔石──は、いくらあっても足りないぐらいだ。
リナとルークは仲良く魔石を拾い始めた。その光景は、まるでどんぐり拾いをしている子供たちのようで、思わずほっこりする。
「……おかしいな」
森の奥をじっと見つめていたアレクシスが、小さく呟いた。私はその声に気づき、彼の視線の先を追って首を傾げる。
「アレクシス様?」
「魔素の濃度が……いつもより高い気がする」
アレクシスの言葉に、私も周囲に意識を集中させた。彼が見ている方向に、かすかな魔素のゆらぎを感じる。しかし、それが特別高いという印象は受けなかった。
だが、彼は王族ゆえか、魔素に対する感度が私よりも優れている。彼がそう言うなら、何か異変が起きているのかもしれない。
「早めに戻ることにしましょう」
私たちは静かに頷き合い、不安を与えないよう努めて平静を保つ。魔石を拾い終えたリナとルークに声を掛け、森を出るよう促した。
森の入口が見えてきたとき、私は内心ホッと胸を撫で下ろした。
とりあえず、今日は特に何も起きなかった。アレクシスの言葉に一瞬不安がよぎったものの、今のところ想定外の事態は起きていない。
リナも訓練区域から出られることに安心したのか、小走りで入口に向かっていく。その後を追おうとした瞬間──全身が粟立つような異様な感覚が私を襲った。
魔素の濃度が一気に上昇する。
私とリナが立つこの空間だけが切り取られたかのように、明らかに空気が変わった。
さすがにリナもその異変に気づいたのか、足を止めて困惑した表情でこちらを振り返った。
次の瞬間、彼女の体が横に吹き飛ばされ、木に激しく打ち付けられる。
「リナっ!!」
絡みつくようにまとわりつく魔素の圧力を振り切り、私はリナに向かって駆け出した。木に寄りかかるように倒れている彼女は、意識を失っている。腕には吹き飛ばされた際にできたであろう裂傷があった。
赤い血が──流れる。
「リナ! 姉さん!」
少し遅れてやってきたルークが、血相を変えて駆け寄ってくる。アレクシスはすでに魔物に狙いを定め、魔術を構築し始めていた。
私はそっとリナの体を抱きしめ、その血の気のない顔を見つめた後、視線を魔物に向ける。
周囲の喧騒が遠のく中、私の胸に冷たい何かが広がっていく。
腕の中で意識を失ったリナ。そして、その傷口から流れる赤い血──それは、私の理性を奪うには十分だった。
──マタ、マモレナカッタ──
脳裏をよぎった言葉が胸を締めつけ、私の中で”何か”が膨れ上がる。制御不能の力が一気に解放され、周囲一帯を凍りつかせた。
ほのぼのから一転、シリアスに。
次回は3/17(月) 19:00更新予定です。
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