【ゼノ】影 2
建国祭、二日目。
クラリスとリナが、大通りを外れた静かな場所で休んでいる様子を、私は影を通じて見ていた。
それは監視というよりも、観察に近かったのかもしれない。
そのとき、路地裏から不快音が響いてきた。影の視点を音の出所に移すと、三人の男たちが酒に酔い、木箱を蹴倒して騒ぎ立てていた。
耳障りな音に、リナが反応する。様子を見に行こうと路地裏へ足を向ける彼女に、私は小さく息を吐いた。
──全く、手のかかる鍵だ。
危険に首を突っ込ませるわけにはいかない。
影を使い、彼女の進路を塞ぐ。リナにはそれがただの壁に見えているだろう。彼女は踵を返し、男たちのいる方向とは別の道に足を進めた。
リナが厄介ごとから遠ざかっていくのを確認してから、影を消す。
しかし、意識がリナに集中していたせいか、彼女の後を追ってきたクラリスの気配に気づくのが、わずかに遅れた。
そして──彼女は、酔漢たちと鉢合わせてしまう。
本来なら、問題はない。
クラリスであれば、たとえ相手が三人であろうと、容易く退けられるはずだった。
だが、そのときの彼女は様子が違った。
珍しく冷静さを欠いていたのか、彼女らしからぬ隙を見せ、不意を突かれたのだ。
影越しにその光景を見下ろし、私はしばし思案する。
助けるべきか、否か──
やがて、私は口角をわずかに上げて微笑んだ。
──少し、試してみようか。
影を操り、一瞬で男たちを闇に沈める。
彼らを闇が呑み込む音だけが響き、クラリスの身体は自由になった。
虚を突かれたように目を見開く彼女を、私は影越しに見つめる。もし彼女が私の正体を認識しているならば、この出来事と私を結びつけるはずだ。
そして翌日。王宮の庭園で、私を見た瞬間のクラリスの反応がすべてを物語っていた。
──仮説は正しかった。
本来であれば、これは重大な問題だ。
「王家の影」の正体を知られたとなれば、即座に始末するのが筋であろう。たとえ筆頭公爵家の令嬢であり、王太子の婚約者とはいえ、替えがきく存在だ。
それでも私は、その判断を保留にした。
理由は単純だ。私が彼女に興味を持ったからだ。
なぜ彼女はリナの力を知り、私の正体に気づいたのか。
不可解で、興味深い。
始末するのは簡単だ。
彼女が本当に“獲物”であると判断できたとき、その役目を果たせばいい。
私は自分の指先を見つめる。彼女の恐ろしいほどに柔らかく、上質な肌の感触が、鮮明に蘇る。指先に残る確かなぬくもりは、擬態や幻影では表現しきれない、生身の人間特有の感触だ。
”彼女”は、確かにそこにいた。
再び口元に笑みが浮かぶ。
──もう少し、楽しませてもらおうか。
音もなく立ち上がり、机に並べた魔法陣のサンプルを束ねる。
魔術教師としての平凡な一日を始めるため、私は静かに研究室を後にした。
次回から新章になります。
3/12(水) 19:00更新予定です。




