建国祭に行こう 2
リナはやっぱりヒロインだった。
初めて見るリナの私服姿は、可憐という言葉がこれほどまでに似合う人がいただろうか、と思わされるほど完璧だった。
淡いパステルカラーのワンピースが彼女の優しげな雰囲気を引き立て、柔らかく巻かれた髪には国花が控えめに添えられている。
その姿を目にした瞬間、私は心臓を撃ち抜かれた。
──素晴らしい。これで落ちない攻略キャラなんて存在しないわ。
ちらりと隣に目を向けると、ルークがのんびりと「今日は楽しみだね」なんて言っている。
違う! そうじゃない! まずは、サラリと「綺麗だね」と褒めるのよ!
姉を褒めている暇があるなら、ヒロインを褒めなさい!!
私は心の中でルークに念を送り続けたが、残念ながらその思いはまるで届かず、彼は城下町へと向かって歩き始めてしまった。
──ううん、大丈夫。まだ祭りは始まったばかり。焦ることはないわ。
「じゃあ行きましょうか、リナさん」
気を取り直して声をかけると、リナは少し困ったように眉を寄せた。
「あの、クラリス様……」
彼女はもじもじと指先を絡ませ、視線を落としている。
頬がうっすら赤い。
──えっ、何? もしかして、もう本命がいて、その人と建国祭を回りたいとか?
期待と少しの緊張を胸に、彼女の次の言葉を待つ。
しかし、彼女の口から出たのは、想像の遥か斜め上をいく言葉だった。
「わ、私のことは、『リナ』って呼んでください……!」
顔を真っ赤にしてそう叫ぶ彼女に、私は目を瞬かせる。
完全に不意を突かれ、言葉が出てこなかった。
──え、いや……ずっとリナって呼んでるけど?
……もしかして、これは呼び捨てにしろってこと?
言われてみれば、彼女を呼ぶときは常に「さん」付けだった。
私は基本的にルークや家の者以外は呼び捨てにしないし、それが礼儀だと思っていた。
けれど、ここまで彼女に構っておきながら「さん」付けは、確かに妙な距離感があったかもしれない。
「……わかったわ、リナ」
小さく頷きながら名を呼ぶと、リナは肩をびくりと震わせ、顔をさらに真っ赤に染め上げた。
耳まで赤く染まっている。蒸気でも上がりそうだ。
「あ、ありがとうございます、クラリス様……」
私に向けられた幸せそうな笑顔に、心の中で小さく嘆息する。
本当に彼女はヒロインそのものだった。攻略キャラの気持ちが痛いほどよくわかる。
──こんなの、惚れるに決まってるじゃない。
私は密かに勝利を確信し、こっそりとガッツポーズを決めた。
市場や屋台が立ち並ぶ大通りに向かう途中、リナは目を輝かせながら昨日の式典のことを話し始めた。
「昨日の式典、すごかったです!」
彼女は頬を紅潮させ、王国記念式典を見た感想を興奮気味に語っている。
そう、これもフラグの一つ。
私はリナに、式典は絶対に見るように言い含めておいた。そして彼女は、その教えを忠実に守った。
ゲーム内でも、ヒロインは王都で初めて建国祭に参加し、攻略キャラたちとの出会いや交流を楽しむ。
ただし、アレクシスだけは王族であり、建国祭のお祭りの中にはいない。
ヒロインはバルコニーに立つアレクシスを遠くから見て、彼の存在が自分とは異なる世界の人間であると痛感するのだ。
「王太子殿下も、クラリス様も、本当に神々しくて……」
──いや、私のことは忘れてほしい。本来、私はあそこにいなかったはず。余計なノイズだ。
リナは私に一瞬視線を寄こした後、俯いてぽつりとつぶやく。
「……ちょっと、寂しかったです」
切なげな横顔に、私はアレクシスのフラグが立ったことを確信した。
リナはアレクシスとの身分差を意識し始めている。学園では身近だった彼が、手の届かない存在だと悟り、戸惑っているのだ。
──くぅっ、身分差の恋……いい!
胸の中で拳を握りつつ、私はリナを励ますために言葉をかけた。
「大丈夫よ、リナ。アレクシス様は身分差なんて気にしない方だから」
だから、自信を持って彼との関係を築いてほしい──そんな思いで言ったつもりだった。
しかし、リナはじっと私を見つめたまま。
「……クラリス様も」
「え?」
「クラリス様も、身分差を気にされませんか?」
──なぜ、そこで私?
私は前世の記憶があるせいか、貴族だろうと平民だろうと変わらないと思っている。それが「気にしていない」ということなら、その通りだろう。
「……そうね。関係ないと思うわ」
その言葉に、リナの顔がぱっと明るくなった。
──くっ、眩しい! ヒロインの笑顔、なんて破壊力!
「良かったです、安心しました……クラリス様、これからも、仲良くしてくださいね!」
「……? え、ええ。もちろんよ」
なぜか思っていたのと違う方向に話が転がっていく。けれど、リナの憂いが晴れたなら、まぁいいか。
ふと視線を感じ、隣を見ると、ルークが呆れたようにこちらを見ていた。
「ほんと姉さんって、無自覚だよね」
彼はこれみよがしにため息をつく。
……なんだか、ものすごくけなされている気がする。
幸せそうなリナと、なぜか悟ったような顔をしているルーク。
二人に挟まれながら、私は釈然としないまま首を傾げた。
大通りは華やかな装飾と屋台で埋め尽くされ、活気に満ち溢れていた。
通りの両側には色とりどりの旗が翻り、家々の扉や街角には《ミスティルローズ》が飾られている。屋台からは甘く香ばしい匂いが漂い、道行く人々の顔には笑みが絶えなかった。
私はその圧倒的な熱量に、内心興奮を隠せずにいた。
ゲームの中では背景としてさらりと流されていた場面。けれど、こうして自分の目で見てみると、そこには確かな息遣いがあり、人々の活気が肌で感じられる。
国花があちこちに飾られている光景は、この国が国民を大切にしている証のようで──そして、国民たちもまた、この国を心から愛しているのだと、ひしひしと伝わってきた。
よく考えれば、クラリスとしての人生の中で、こうして建国祭の喧騒に紛れるのはこれが初めてかもしれない。
貴族と平民の垣根を越えた交流の日であるとはいえ、筆頭公爵家の令嬢として、一人で気軽にお祭りへ繰り出すなど、これまでのクラリスにはあり得ない選択肢だったのだから。
今は「リナのフラグ回収」という明確な目的があるからこそ、こうしてここにいる。
もしそれがなければ──私はきっと、一生こうして建国祭の大通りを歩くことなどなかっただろう。
「すごいですね、クラリス様!」
無邪気なリナの声が、私の思考を現実に引き戻す。
「……そうね」
あまりの熱気に気圧されてしまい、私はいつものように平然と返せない。
自分でも驚くほどの弱気な返答だった。
そんな私の様子に気づいたのか、リナは首をかしげて、じっとこちらを見つめてくる。
「クラリス様?」
「……ごめんなさい。わたくしも……実は、建国祭の大通りに来るのは初めてで……」
素直にそう告げると、リナとルークが同時に目を丸くした。
「あれ? 姉さん、初めてだっけ?」
ルークは少し驚いたように目を細める。
確かに、彼は要領が良く、こういったイベントには積極的に参加していたはずだ。ゲーム中でも、彼はヒロインを屋台に案内し、楽しませていた。
なんだか居心地が悪くなった私は、二人から視線を外し、地面を見つめる。
完璧な公爵令嬢として、こうした弱みを見せるのは少し恥ずかしい。
──けれど、その瞬間。
左手にリナのぬくもり、右手にルークの温かい掌の感触が重なった。
驚いて顔を上げると、リナとルークが、それぞれ手を握ったまま笑みを浮かべている。
「わ、私も初めてですから! 一緒に楽しみましょう!!」
「僕がちゃんと案内するから、安心して」
リナは少し頬を染め、ルークはいつものように優しく微笑んでいる。
私は二人を交互に見やり、なんだか複雑な気持ちになった。
──いやいや、私は祭りを楽しみに来たわけではなく、リナのフラグ回収のために……
そう思いはしたものの、リナの嬉しそうな笑顔を見てしまうと、どうでもよくなってしまうから不思議だ。
……まぁ、少しくらいならいいか。
心の中でそう小さくつぶやき、私は二人に手を引かれるまま、大通りの喧騒の中へと足を踏み入れた。
次回は2/21(金) 19:00更新予定です。




