添い寝
リナを公爵邸に迎え入れてから一週間。
とうとう明日は定期テストだ。
リナが無理をしないよう、彼女の寝泊まりする客室の隣の部屋を陣取り、毎晩監視──いや、見守りを続けてきた。
どうやら彼女は、寮でも夜遅くまで勉強をしていたらしく、その積み重ねが疲労となって蓄積していたらしい。
この一週間、私は帰宅後の彼女の勉強に付き合い、夜十時にはきっちりと床につかせるよう努めた。
リナの健康維持を最優先にしたのだ。
その成果は確実に表れている。以前よりも集中力が増し、学びのペースも格段に良くなっていた。
これならば、明日からの定期テストもきっと乗り越えられるだろう。
入浴を済ませ、自分の使っている客間へ戻ろうと廊下を歩いていたとき、ふとリナの部屋の扉の隙間から、淡い光が漏れているのに気がついた。
──時刻はすでに十時を回っている。
今夜こそ、しっかり睡眠を取らせなければならない。
明日のために、万全の状態で臨んでほしい。
そう思い、扉をノックしようとしたが、わずかに開いた隙間から見えた光景に、私は手を止めた。
静かに扉を押し開けると、リナは机に突っ伏して、穏やかな寝息を立てていた。
手元には開きっぱなしの参考書と、消し忘れたランプがぽつりと灯っている。
おそらく、寝る前に最後の復習をしようとして、そのまま力尽きたのだろう。
その姿に、胸がじんわりと温かくなるのを感じる。
この一ヶ月──いや、彼女が入学してからの二ヶ月間。
リナは、ひたむきに努力してきた。
最初は、ゲームの攻略のためだった。
ヒロインである彼女を成長させ、攻略キャラたちとの絆を深めること。それが世界を救う鍵だと信じて、私は彼女に魔術や剣術の個別指導を受けさせてきた。
──けれど、今は。
純粋に、彼女に強くなってほしいと思う。
リナは、本当に頑張ってきた。
だからこそ、その努力が報われてほしい。
積み重ねたものが、きちんと彼女に結果として返ってくることを、私は誰よりも願っている。
机に突っ伏して眠る無防備な寝顔を見つめ、そっとその頭を撫でた。指先に伝わる、柔らかな茶色の髪の感触が心地よい。
リナは私の手のぬくもりに反応するように、微かに身じろぎした。
そして──幸せそうな笑みを浮かべる。
その微笑みを見て、私はホッと胸を撫で下ろした。
「──寝ちゃったの?」
扉のほうからかけられた声に、私はそちらに顔を向けた。
扉に寄りかかりながら、ルークがじっとこちらを見つめている。
「ええ。疲れていたんでしょう」
机に突っ伏して眠るリナを見ながら、私は静かに答えた。
けれど、このまま寝かせておくわけにはいかない。ベッドで休ませなければ風邪を引く。ちょうどルークが通りがかったのを幸いに、私は彼にお願いをした。
「ルーク、リナをベッドまで運んでちょうだい」
一瞬、彼の表情が戸惑いに揺れる。こんな時間に淑女の部屋に入るなど、紳士としてはあってはならない行動だと思っているのだろう。
しかし、この状況なら許されるはず。
「仕方ないか……」
そう呟き、ルークは諦めたようにため息をつくと、部屋の中へ入ってきた。
「ごめんね、リナ」
彼がリナの体をそっと抱き上げるのを見て、私は思わず叫び出しそうになった。
お姫様抱っこ……!!
寝間着姿のリナを、横抱きにするルーク。
尊い。なんて尊いの……!!
この目の前の光景は、ゲーム内ではなかったイベントだ。しかし、幻かと思うほどの尊さがそこにあった。
私は目を見開き、その瞬間を脳裏に焼き付ける。
この一週間、ルークは帰宅後のリナの勉強にも毎回参加していた。
彼にとって、テスト対策など不要なはず。それでもリナの隣で座って黙々と勉強していた理由はわからなかったが、結果として二人の距離が縮まったのなら、一石二鳥だったと言わざるを得ない。
ルークはリナをベッドに優しく横たえると、振り返って私を見た。
私は慌てて目を伏せる。危ない、危ない。
「姉さんも寝るの?」
「そうね……リナさんの隣で寝たら、気持ちよく眠れそうね」
「は?」
さらりと爆弾発言をする姉に、ルークが目を剥いた。
もちろん冗談だ。だが、リナの体温は高い。冷え性の私には湯たんぽのような存在になりそうだ。私の手足は冷たいのだ。「氷の公爵令嬢」の名は伊達じゃない。
私はそっとリナにシーツを掛け、その頬に触れた。柔らかな感触が指先に心地よい。
リナはくすぐったそうに小さく笑う。
かわいい。変な気持ちになりそうだ。
「……じゃあ、僕も一緒に寝ようかな」
リナの頬に触れていた手が、ピタリと止まる。
背後から聞こえたルークの言葉が、あまりにさらりと爆弾すぎた。
──何か、とんでもないことを言わなかった?
お姫様抱っこも相当破壊力があったけれど、添い寝はそれ以上でしょ!
心の中では「ぜひ!」と枕を差し出しそうになるが、冷静に考えてルークを無礼者に仕立てるわけにはいかない。
子どもならともかく、この年頃の男女が一緒に寝るとか──
そこまで考えて、「そういえば」 とクラリスの記憶が蘇る。
ルークがエヴァレット家に来たばかりの頃。
ひどく泣きじゃくり、涙が止まらなくなったルークをベッドに寝かし、朝まで一緒にいたことがあった。
理由は忘れてしまったけれど、私の手を握ったまま眠るルークは、本当に天使のようだった。そんなふうに思っていたことを、私はおくびにも出さなかったけれど。
「わたくしたちはともかく、リナさんはだめでしょう」
昔のルークを思い浮かべていたせいか、そんなことをついポロリと口にしてしまった。
──いや、この年だと姉弟でもないか。
ふとルークを見上げると、驚いたような顔をして立ち尽くしていた。自分でもおかしなことを言った自覚があるので、少しだけ気まずくなる。
「冗談よ」 と軽く流そうとしたところで、ルークが口を開いた。
「……僕も“男”だよ、姉さん」
その声は静かで、だけどどこか真剣で──
目の前に立つルークが、いつもの彼ではないように思えた。
「女の子には見えないわね」なんて冗談を返す雰囲気でもなく、私は言葉を失う。
「……おやすみ」
しばらく沈黙が流れた後、ルークはそう言い残し、部屋を後にした。
バタン と静かに扉が閉まる音が響く。
私は、その余韻に取り残されていた。
──最近、私へのルークの態度が軟化してきていたため油断していたが、私はまだまだ彼を理解しきれていないらしい。
リナとの仲を取り持つためにも、これからはルークのこともちゃんと理解できるようにしていこう。
私は、そう固く誓った。
次回は2/10(月) 19:00更新予定です。




